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WHITE SNOW LOVE−4

 松明を一本渡し、日番谷がポン太の傷を見ている間に、市丸は狼が逃げていった方を見に行き、そこに開けられている穴をふさいでから、日番谷のところに戻った。
「ポン太クン、大丈夫そうか?」
 言いながら自分の松明の火もかざし、覗き込んで、市丸はハッとした。
 ポン太は明らかに、大丈夫そうではなかった。
「俺、救急箱取ってくるから、お前、ポン太をみていてくれ。それから、医者を呼んでみる」
「医者?医者がおるの?」
 市丸の質問には答えずに、日番谷は家の方へ走ってゆく。
「ポン太、キミ、頑張らなあかんで。キミが死んでもうたら、あの子…」
 たったひとりの大事な友達のように、それはそれは可愛がっていた日番谷を思うと、なんとかしてやりたいが、ポン太の傷は深そうだ。
 しばらくすると、大きなかばんを持って、日番谷が戻ってきた。
「お医者さん、来てくれるって?」
 市丸が聞くと、日番谷は暗い顔で首を横に振った。
「明日の朝一番には来てくれるけど、今夜すぐには来れないって」
「なんでやねん。すぐ来な意味ないやろが」
 市丸の言葉に、日番谷はぎゅっと唇を噛み締めて、
「消毒薬と、抗生物質はある」
 細かい事情はともかく、今できることがそれならば、できることをするしかない。
 抗生物質を打ち、傷を消毒して、ふたりでなんとか、包帯を巻いた。
「俺は今晩、ポン太のそばについてるから、お前は戻って休め」
「あほ言いなや。ボクもおるよ。ここは寒いよって、毛布持ってくるな?運べるようなストーブとかは、ある?」
「物置に」
 市丸は母屋へ走ってゆくと、毛布とストーブとクッションを順番に運んできた。
 クッションは、大きな角で首が苦しそうなポン太の頭の下に入れてやる。
 こんな時に何もしてやれないことは、どれほど辛いことだろう。
 あとはポン太の体力と生命力に賭けるしかないのだ。
 毛布にくるまってポン太の顔を覗き込み、一生懸命励ましている日番谷に、市丸は温かいミルクを入れてきてやると、自分も毛布を巻いて、日番谷の隣に座った。
「大丈夫、ポン太クン、きっと元気になるよ。キミのことが、大好きなんやもん。キミをひとりにするはずない」
 市丸が言うと、日番谷は沈痛なおももちでしばらく黙っていたが、やがて震える声で、
「…俺のせいだ。俺なんかの相棒にさせられたせいで、ポン太はトナカイなのにひとりぼっちで、医者にも診てもらえねえで…」
「え?」
 日番谷はポン太の毛並みを優しく撫でながら、ぽつりぽつりと、話し始めた。
「…もう少し降りたところに、サンタの村があるんだ。サンタは何も、俺ひとりじゃない。そこにはトナカイもいっぱいいて、ポン太の親や、兄弟もそこにいる。ばあちゃんがいた頃は、ポン太もそこにいたんだけど…」
 大きな目には涙がたまって見えたけれど、日番谷は泣かなかった。
 ぎゅっと唇を噛んで耐えると、
「…俺、生まれつきのサンタ族じゃねえから、村の皆にあまりよく思われてなくて。閉鎖的な村だから。ちっちゃい時に山に捨てられてたのを、ばあちゃんが拾って育ててくれたんだ。ばあちゃんは、大きくなったら人間の世界に戻ってもいいんだって言ったけど、俺はここでばあちゃんと暮らすことを選んだ。ばあちゃんは、正式に息子にしてくれて、俺はサンタになって、ばあちゃんのために一生懸命サンタの仕事頑張った」
 サンタの仕事をするには、正式にサンタの一族にならないといけないんだ、と、日番谷は付け加えてから、
「でも、気が付いたら一族の中で一番成績がよくなってて、俺がまだ子供なこともあって、それでよけいに村の皆の反感を買っちまって。ばあちゃんが亡くなってしまったら、村にも行きにくくなって」
 サンタの成績というのは、プレゼントを配る数とか、それで子供達に与えた幸せや喜びの量で決まるのだと日番谷は言った。
 本当にプレゼントを必要としている子供をみつけて、その子供が喜ぶものを、喜ぶ方法で届けることも、サンタの腕のみせどころなのだという。
 子供達がどんなに喜んだか、幸せになったかということは、サンタの本部でわかるようになっていて、それによって報酬(給料のことだ)が決まるから、日番谷は言ってみれば、ナンバーワンセールスマンみたいなものらしい。
「もちろん、村にはよくしてくれる人もいっぱいいて、一緒に暮らそうと言ってくれる人もいるけど、俺はばあちゃんのこの家を守りたかったし、俺がいることで、迷惑かけたくなかったし」
 つまりは日番谷にとって、ポン太はたったひとりの家族なのだ。
 そこまで言って、膝に顔を埋めてしまった日番谷の小さな肩を、市丸はそっと抱き寄せた。
「…村にいる医者も、俺をよく思ってないひとりなんだ。だから、すぐに来てもらえないのも、俺のせいなんだ」
「そんなん、キミのせいやないよ。大丈夫、ポン太も男や。こないな傷になん、絶対負けたりせえへん。絶対にキミをひとりになん、せえへん。…それに、ボクがいるやんか。キミは、ひとりやないんよ?」
「お前にはお前の人生や、友達やお前を大切に思ってくれてる人達がいる。向こうで生きてきた生活があるし、これから生きていく場所がある。…プロの写真家になるんだろ?」
「どこでどう生きていくか、決めるのはボク自身やろう。プロでなくても、写真なんいくらでも撮れるよ。…ボクは、ここでキミと暮らしたい。…あかん?」
「いいわけねえだろう。お前は何も知らないから、そんなこと言うんだ。ちょっとの間いるだけだったら、こんな生活も楽しいかもしれない。でも、ここは冬しかなくて、いつでも雪の中で、向こうの世界みたいな楽しみなんか、何もない。景色だって、雪ばっかりだ。撮るものもねえ」
「でも、キミがいる。それに撮るものは雪の中だって、たくさんある」
「耐えられるもんか。俺は信じない、お前の言葉なんか」
 市丸は、全てわかったような気がした。
 日番谷が、ずっと冷たい態度をとり続け、決して市丸に心を開くまいとしていた理由を。
 早く帰れと繰り返し言った理由も、時間の流れがどうというよりも、情が移るのが怖かったのだ。
 なぜなら、クリスマスは年に一度ある。例えばひと月の間に何年も過ぎるのならば、サンタである日番谷は、ひと月の間に何度もプレゼントを配りに行かねばならないが、どう見てもそんなペースではない。
 もちろん多少はそういうこともあるかもしれないが、一日二日で大変なことになるほどの違いではないはずだ。
「ボクがここにいたらあかん理由がそれだけなんやったら、ボクはキミが何と言おうとも、ここにおるで。キミのそばにおる」 
 日番谷を抱き寄せる手にぎゅっと力を入れると、日番谷はそれには逆らわず、膝に顔を埋めたまま、それだけじゃない、と言った。
「時間の流れが違うと言っただろう?俺達の寿命は、果てしなく長い。その意味は、お前にはわからないだろう。全てが緩慢なんだ。…俺は、ほとんど成長しない。お前もここにいたら、お前の大切な人達が、年をとって死んでいっても、お前は全く変わらないまま、何も変わらないまま…」
 それでこの少年が、年の割にとても大人な意味がわかった。
 苦労をしてきたとか、ひとりで何でもしてきたからというだけではなかったのだ。
「せやけどキミは、おばあちゃんと一緒に暮らすて決めたんやろう?同じ決心を、ボクもしたで?」
「…俺にはもともと、向こうでの暮らしなんてなかった。向こうに大切な人もいなかった。生きる場所もなかった。お前とは違う」
「ええよ。信じてくれへんのなら、信じてもらえるように頑張るだけやから。どちらにしろ、ポン太クンが元気になるまで、ボクは帰られへんのやろう?」
「……」
 それきり日番谷は、黙ってしまった。
 ポン太が死んでしまうのではないかと不安になったあまり、うっかり取り乱して喋りすぎたとでも思ったようだった。
 ただ、しっかりと抱き締める市丸の腕は、払うことはしなかった。
 小さな肩は市丸の腕の中で、何かに怯えるように、ずっと小さく震えていた。


 ポン太はどうやら峠を越え、持ちこたえた。
 次の日村から医者という男が来て診ていったが、傷口に薬を塗って、栄養剤を注射したくらいで、大丈夫だと言って早々に帰っていった。
 市丸をジロジロ見ていったから、村に帰ったら噂になるに違いない。
 そのことに関しては、日番谷は平気なようだった。
 ただポン太が死ぬようなことはないとわかって元気になり、夕べのような気弱な顔はもう見せなかった。
 市丸としては少し残念だったが、どうやら少なくともポン太が回復するまではいてもいいわけで、日番谷は市丸に通販カタログのようなものを渡して、着替えの服を買えと言った。
「注文しとくと、週一で持って来てくれるんだ。急ぎ便だと特別料金取られるけど。向こうの世界とこっちを行き来する業者があって」
「へえ、便利なもんやねえ。ほんまに何でも買えるんや」
「もちろん代金は、てめえの労働で返してもらうけど」
「うんうん、何でも言うて。ボクなんでもするよって♪」
「嬉しそうにすんな」
 こんな雪の中で楽しみもないと日番谷は言ったが、日番谷と一緒にいられるだけで、市丸は何をしていても楽しかったし、幸せだった。
 毎日の家事と家の手入れを手伝い、ポン太の世話をし、空いた時間でこの辺りの景色の写真を撮った。
 日番谷の写真は相変らず撮らせてもらえなかったが、現像は定期便で出したらしてもらえるだろうし、フィルムも少しなら買ってやってもいいと言われた。
 ここでの生活に少しずつ慣れてくると、日番谷のサンタの仕事がどんなものなのか、教えてもらえるようになった。
 日番谷のネットは特別な回線と繋がっていて、世界中の子供達の情報を、労力を惜しまなければいくらでも入手できて、プレゼントを配る相手をみつけ、登録し、リストアップする。
 そして割り当てられた予算の中でその子達が喜ぶものをネットやカタログで探し出して、ラッピングに必要なものを手配し、当日配って回る手順も綿密に計画する。
 だいたいの流れはそんなところだが、一口にサンタの仕事といっても、これがけっこう大変なことで、できるサンタとそうでもないサンタの差は、センスと努力の差で大きく開きができる。
 日番谷は加えてまだ若くて体力があるから、ナンバーワンというのも納得できた。
 また、日番谷が時間の流れが違うと言っていたのも、単純に遅いというだけでなく、どういうわけか、年に4回、同じクリスマスの晩の下界と、こちらとの入口が繋がるらしい。
 日番谷に言わせると、一晩ではプレゼントを配り切れないから、4回に分けるらしいが、本当はそれでも足りないのだそうだ。
「でも、下界との通路そのものは、いつでも開いている。だからお前みたいなのが、時々間違って落ちてくることがある」
 たぶん、日番谷自身もその一人なのだろうが、市丸は突っ込まずに、ふうん、と言って頷いた。
「お前も帰りたければ、いつでも帰れるぞ」
「嫌や。帰らへん。キミとふたりで、デートに行くんやったら、ええけども」
「デートてなんだ。あほか」
(お)
 冷たく言うけども、日番谷の頬は心なしかピンクに染まっていて、市丸は少し嬉しくなった。
 こんな人生は想像もしたことがないけれども、日番谷のいない人生なんて、今では想像もできない。
 日番谷の毎日は、年に4回のクリスマスの夜に向けて忙しいが、それ以外は、比較的平和といってもよかった。
 雪山では吹雪もしょっちゅうだが、頑丈なログハウスにいればそんな夜もロマンチックなくらいで、困ることなど何もなかったが、これが一人だったら、さぞかし淋しかったのではないかと思えてならない。
 それを思うといっそう日番谷が愛しく、ますます帰る気など起きなかった。
 だがある日、珍しく玄関の呼び鈴が鳴った。
 元気よく走ってゆく日番谷の後から、誰だろうと思ってそっと覗きにゆくと、見たこともない男が大きな荷物を持って立っていた。
「ちゅーっす、日番谷サン。お荷物配達に来ました。今回は多いスね」