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WHITE SNOW LOVE−2

 目が覚めると部屋は暗くなっていて、夜になっているようだった。
 カーテンが閉められているから日番谷が来たのだと思うのだが、目が覚めなかったことが残念だった。
 身体を起こしてみると起きれそうだったので、そのままベッドから降り、立ち上がってみた。
 まだ少々ふらつくが、大丈夫そうだった。
「ちょっとおなかすいたなあ…」
 あの少年はどこにいるのだろうと思い、ショールを掛けて部屋を出て、家の中の様子を窺ってみる。
 暗い廊下の向こうに明りが見え、暖かい空気が流れてくるのを感じたので、そっと歩いてゆくと、広い居間のようなところへ出た。
 中央に大きな暖炉があり、まだ火が燃えている。
 さっきの部屋同様、そこに置いてある家具や小物は皆メルヘンチックで可愛らしく、絵本の中のようだった。
 暖炉の上には写真立てや可愛い人形が置いてあり、壁には綺麗な絵と、山の中の家らしい猟銃が掛けてある。
 しっかりした作りの木製の椅子と揃いのテーブルの上には白いレースのテーブルクロスが掛けてあり、暖炉の前には大きな毛皮の敷物が敷かれていて、アンティークな揺り椅子もある。
(…ほんまに可愛えおうちやなあ…)
 童話に出てくるような可愛いログハウスに、妖精のような少年。
 ここがどこだか知らないが、遭難するような目に会いさえしなければ、雪山の中のこんな家も、なかなか悪くないと思えた。
 市丸はそこに置いてある写真立ての写真を見ようと、暖炉に近付きかけて、揺り椅子の上で可愛い少年が眠っていることに気が付いた。
(わ、こないなとこに…小さくて見えへんかった。…火の番していて、眠ってもうたんかな?)
 日番谷は揺り椅子の上で薄い毛布を膝に掛け、膝の上に開いた本を乗せた状態で眠っていた。
 こうして眠っていると、大人のような雰囲気もキツい表情も消え、本当に天使のように可愛い少年だった。
(どないなご本読んではるのかな?)
 そっと覗き込むと、それは子供が読む童話のような類の本ではなく、細かい字がぎっしり書かれた、難しそうな本だった。
(うわあ、勉強家なんやなあ、この子。それにしても、どうしてこないな小さい子が、一人でこないなとこで暮らしてはるんかなあ)
 市丸は暖炉の前へ行くと、写真立てを手に取った。
 今よりも更に小さな日番谷少年と、優しく微笑む年配の女性の姿が写っていた。
 これが日番谷が言っていた彼の祖母なのだろう。
 日番谷は、その写真の中でも難しい顔をしてこちらを睨んでいた。
 その様子が可愛くて、市丸がふっと微笑むと、
「おい。何見てやがる。勝手に触るんじゃねえ」
 声に振り向くと、怖い顔をした日番谷少年が、睨み付けていた。
「ゴメン。起こしてもうたね。ボクも今目ぇ覚めたよって、キミを探しにきたんやけども…」
「もう夜中だ。もう一度寝ろ。腹が減ったなら、そこにシチューの残りがあるから、勝手に食え」
 怒っているようなので、さりげなく写真立てを戻し、「…ここ、座ってもええ?」
「…起きてて平気なのか。だったら、明日には帰れるな?」
「そない冷たくせんといて。ボクほんまに感謝しとるんよ?お礼に何でもお手伝いするよって、何でも言うて」
 揺り椅子の隣に腰を下ろすと、毛皮の敷物の感触が、とても柔らかかった。
 火に暖められて、とても暖かい。
「手伝いなんかいらねえ。俺ひとりで何でもできるからな。俺はヨソ者は嫌いなんだ。勝手に人の写真見やがるし」
「せやけど、ボクを助けてくれたよね?」
「死にかかっている奴見捨てるほどヒトデナシじゃねえだけだ」
「キミの体温で、ボクを暖めてくれたよね?」
 キミの身体で、と言おうとしかかったところを、スケベくさいと思って言い換えたが、どちらにしろ日番谷は嫌そうに眉を寄せた。
「…冷え切ってたからな。暖房もかけてたし、湯たんぽも入れたけど、なかなか体温戻らなくて」
「命の恩人や」
 言うと日番谷ははあっと大きなタメ息をついて、
「わかった。気持ちは受け取るから、まだ無理すんな。準備してやるから、シチュー食ってもう寝ろ」
 こんなところにひとりで住んで、淋しいのではないかと思うのだが、市丸との会話を楽しみたいと思っている様子でもなかった。
 単に警戒されているだけかもしれないし、ひとり暮らしでも近くに仲間がたくさんいて、淋しくないのかもしれない。
 日番谷が立って行ってシチューの用意をしてくれたので、市丸もテーブルの方に移動した。
「このシチュー、キミが作らはったの?料理上手やね?」
「何でもできるって言っただろう?」
「小さいのに、すごいんやね。せやけど、大変やろう?ボクな、大学生で今は学校お休みやし、ひとりで暮らしとるし、ここへも一人で来てたから、急いで帰る必要もないんよ。誰も心配してへんよって」
 半分嘘だったが、なんとかもう少しここにいさせてもらいたくて、言ってみる。
「そんなわけあるか。人ひとりが突然何日もいなくなって、探されないわけがない。だいたいお前、こんな山の中にあんな軽装で、何しに来てたんだ」
「写真撮りに来てたんよ」
「写真だと?ああ、そういえば、カメラ持ってたな?」
「うん。雪山の写真撮りたくて。まだ学生やし、趣味の域なんやけども、ボクの写真気に入って、買うてくれる人もいてはるんよ?」
「ふうん。すごいな。プロになるのか?」
「なれたらええんやけど、どうやろね?な、ボク、人間の写真はあまり撮ったことないんやけど、キミの写真は撮ってみたい。あかん?」
 市丸が撮るのは風景専門で、本当に人物はほとんど撮ったことなどなかったのだが、この少年の一瞬一瞬の輝きはぜひとも写真に収めておきたいと本気で思って言ったのだが、
「いいわけねえだろ。勝手に撮ったら、そのカメラ壊してやるからな?」
「ええー…なんでなん?魂抜かれたりせえへんよ?」
「なんでもクソもあるか。バカなこと言ってねえで、ゆっくり休んだら、とっとと帰れ。お前の親とか友達も、きっと心配してる。俺は、誘拐犯とか、言われたくねえからな」
「キミとボクとがふたりでいたら、普通誘拐犯言われるのはボクの方やで。それにボク、親いてへんねん。ふらっといなくなることも日常茶飯事やし、誰も心配なんせえへんよ。逆にキミにみつけてもらえんかったら、ほんまにひっそり淋しく死ぬところやった」
「親、いねえのか」
「うん」
「…悪いこと言っちまったな…」
 ずっと取り付く島もなかった日番谷が、少し表情を緩め、同情するような顔になる。
「別にええよ。もうええ大人やし。ボクはキミの方が心配なんやけど」
「俺こそ平気だ。自分で仕事もしてるし」
「えっ、ほんま?こないなとこで、何してはるの?」
「こんなとこでも、インターネットがあるからな。必要なものも、ネットで注文すれば、なんでも届く。手紙もくるし、メールもくる」
「へえ〜、そうなんや。便利なもんやねえ。…ところで、ここは、どこなん?ボク遭難する前にすっかり迷ってもうてて、ようわからへんねやけど。白恋岳なんよね?」
 普通で考えたら、自分が登った山の中にいるのだろうが、さっき日番谷が「向こうから落ちてきた」という言い方をしていたことが、少し気になる。
 すると日番谷は市丸から目を逸らし、少し言い淀んでから、「ああ」と歯切れ悪く答えた。
(…違うんや。嘘の下手な子ぉやな…せやったらここは、どこなんやろう)
 嘘をつく理由もわからないが、何か訳がありそうだ。
「せやったら、明日ボク雪かきするよ。薪も拾ってくるし、家の中修理するとこあったら、するで?ボクもたいていのことはできるんよ?ずっとひとりやったからね」
 市丸が言うと、日番谷は子供らしくない皮肉な表情で、それでもふっと初めて淡い笑みを浮かべた。
「お前はまだ寝ていた方がいいよ。全快したら頼むから、そんな必死で礼をしようとしてくれなくてもいい」
「あは」
 笑うとこの子は、もっと可愛い。
 その笑顔だけで、市丸はその夜、胸が高ぶって眠れなかった。


 次の日市丸は早々に起きて、約束通り家の周りの雪かきを始めた。
 日番谷は無理すんなと言って止めたが、じっとしていられないほど気持ちが高揚していた。
 なんとか日番谷の役に立ちたいと思って、慣れない雪かきを必死でしていたら、日番谷が温かい飲み物を持って来てくれた。
「お前元気だな。昨日は死にかけていたのに」
「う〜ん、ボク血液の循環がめっちゃよくて。きっとそのせいやな。すっかり元気や」
 血液の循環がいいのはきっと日番谷に会って、何か特別なホルモンが分泌されているためだと思うが、市丸が言うと、日番谷は意地悪く、
「じゃあ、これ飲んだらもう、帰れるな?」
「あ、やっぱりダメかも。無理してもうた。起き上がれへん」
 慌てて倒れて見せると、日番谷は苦笑して、早く帰りたくねえのか、お前、と言った。
「全然。ボクはここがとっても気に入ってもうた。雪の中の可愛えおうちと、可愛え可愛え冬獅郎クン。な、やっぱりキミの写真撮らせて?」
「誰が可愛いか。絶対撮らせねえ」
 褒めたつもりなのに、日番谷は怒って、容赦なく市丸の足を蹴ってきた。
「あイテ。なんや、恥ずかしがりやさんやなあ。ところで冬獅郎クン、あっちにもおうちがあるみたいやけども、あれは誰のおうちなん?」
 家の正面から半周ほど雪かきをしていたら、家の裏手に、同じような造りの小さめの家をみつけたので聞いてみると、
「ああ、あれはポン太の家だ。俺の相棒」
「えっ、そうなん。…相棒って?仲良しなん?」
「もちろん」
 名前からして、男の名前だ。
 そこで女の子の名前を言われても心穏やかでないが、男の名前を言われても、やっぱり嬉しくはなかった。
「一番仲良しなん?誰より仲良しなん?もしかしてキミ、そのポン太くんのこと、好きなん?」
「もちろん」
 冴え冴えとしていた日番谷の目が、ポン太の話になったとたん、優しく輝いた。
 市丸は激しいショックを受けて、呆然とそこに立ち尽くしてしまう。
「ボ、ボクの入る隙間は、そこにはないんやろうか?」
「当たり前じゃねえか。何言ってんだ、お前」
 呆れたように言って、日番谷は無情に、
「今からポン太に会いに行くから、お前あそこまで、雪かきしろよ」
「ええっ、イヤや、会いになん行かんといて!ボクにその道作らせんといて!」
「なんで嫌なんだ。何でもやるって言っただろ。俺はお前の命の恩人なんだろ。文句言わずに、さっさとやれよ。できねえなら、部屋帰って寝てろ」
「ううっ、ヒドイ」
 そりゃあ、昨日会ったばかりの市丸がそう簡単に日番谷の心に入れないのはわかっていたが、ひと目で日番谷に恋してしまった男に、他の男に会うための道を作らせるなんて、酷すぎる。
 そう思ったところで、市丸は愕然として、日番谷を振り返った。
(恋や…。そうか、恋なんや、これ。ボク、この子に恋してもうたんや…)
 今まで誰にも夢中になることのなかった市丸が、こんな小さな少年の一挙一動一声一視線で右へ左へ大きく心を揺さぶられるほど、すっかり魂を奪われてしまっている。
 生まれて初めての恋の相手が、こんな小さな少年だなんてビックリだが、恋とは、自分でもどうしようもない感情なのだと、市丸は生まれて初めて知った。
「おい、何見てやがる。やる気ねえなら、どけ。邪魔だ」
 いつまでも突っ立っている市丸を、日番谷が押しのけて行こうとするので、市丸は慌てて、
「やる、やるよ。キミの行くとこなら、どこでもついてくて、今決めた。あと、雪かきはええけども、ボクはこのスコップを持ってポン太クンとこ行くことも忘れんといてな?」
 スコップは、立派な凶器だ。
 場合によってはこれでポン太と、日番谷を奪い合って闘う決意だと言いたかったのだが、日番谷は意味がわからなかったようだ。
「何言ってんだ、お前。どうでもいいから、早くしろ」
 こうなったら、そのポン太の顔は、ぜひ拝ませてもらわなくてはならない。
 市丸が気合を入れて裏の家まで雪をかいてゆくと、日番谷はポケットから鍵を取り出して、ポン太の家のドアを開けた。