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WHITE SNOW LOVE−11

 真っ白な雪の世界に戻ってくると、運悪く、吹雪とまではいかないが、しんしんと雪が降っていた。
 夢のようにまばゆいクリスマスの夜の下界から帰ってきた市丸は、夢から覚めたように呆然とした顔をしている。
(…ま、そんなもんだろな…)
 下界の美しく楽しい夜を味わえるのは、年に4回、クリスマスの夜だけ。
 戻ってきたらまた毎日真っ白なこの雪の中で、凍える夜を過ごすのだ。
 下界の夜を駆け巡る間、市丸はキラキラと目を輝かせ、とても楽しそうだったが、それは彼の慣れ親しんだ下界へ降りたからだとも思える。
 やはり市丸は、下界が好きなのだ。
 普通は誰でも、そうだ。
 あんな美しい色は、ここにはない。
 写真を撮るのが好きな市丸にとって、色とりどりに輝く街の方が、何百倍も魅力的に決まっているのだ。
 夜空を駆けることは、最初は珍しくて楽しいだろうが、市丸はあまり子供が好きそうでもなかったし、プレゼントを配るのも、仕方なくそうしているように見えた。
(…そりゃ、そうだろうな)
 市丸は空っぽになったそりにぼんやりと座ったままだったし、日番谷も何も言わないまま、ポン太を家まで走らせた。
 サンタの仕事は大好きだったが、仕事を終えてこの雪山に戻ってくると、いつも祭りの後のように、高揚した気持ちと同時に、すこし淋しい気持ちになる。
 夢から覚めて、現実に戻ってきたような。
 クリスマスの夜の夢のような気分の余韻に包まれて数日を過ごし、そして次のクリスマスへと思いを馳せて、残りの夜を過ごしてゆくのだ。
 ポン太の家の前に着き、日番谷がそりを降りても、市丸はまだそこに座ったまま、黙って日番谷を見ている。
「おい、お前、大丈夫か?そりに酔ったのか?」
 空を飛ぶそりも乗り物だから、慣れないと酔うということもある。
 本当は、上空から見た下界のクリスマスの眺望の美しさに魅せられているのだろうとわかっていたが、あえて日番谷はそれには触れなかった。
「大丈夫や。ただまだちょうっと、ぼうっとはするけども」
「初めての体験だからな。温かい飲み物用意してやるから、ゆっくり休め」
 ここへ来てから市丸は、だいたいワンクール、ここでの生活を体験した。
 聖夜を駆け巡る夢のような一夜と、残りの長い、雪に埋もれるような毎日を。
 これから自分の未来を決めるのは、市丸自身だ。
 いつまでもそりから降りようとしない市丸に、日番谷はゆっくりと近付いてゆくと、
「…逃げなかったな、お前」
「え?」
「下界に下りたら、お前、なつかしくなって逃げ出すと思ってた。チャンスだからな」
「逃げ出すかいな。ボクはキミに惚れ直したで。…まあ、ボクにあんま才能ないんも、バレてもうたけども」
 しゅんとしたように言う市丸に、日番谷は慌てて、
「そんなことはないさ。子供やプレゼントの選び方や、ルートの組み方なんかは、センスがある」
「ほんま?おおきに」
 サンタの仕事は、何もクリスマスの夜だけが大事なのではない。その日に向けて完璧に準備を整えるからこそ、当日の成果が上がるのだ。
 日番谷が本当の気持ちで言うと、市丸はパッと顔を輝かせて、
「せやったらボクは、サンタさんの仕事、合格なん?」
 またしても、日番谷の予想とは反対のことを言ってきた。
「合格も何も…なりたいかどうかは、お前が決めることだ。…まあ、最低限以上の資質はあることは、俺が認める」
 サンタの仕事のセンスも、雪山で暮らす忍耐力も。
「…あとは、…慣れ、かな」
 慣れるほど、ここにいればの話だが。
「ほな冬獅郎クン、改めて言わせて。ボクはここでキミと、サンタとして暮らすよ。ボクと結婚して?」
「おま…っ、また簡単に…!」
「嫌やないんやったら、すぐに村に行こう。あの神父さんのとこに行ったら、ボクサンタさんにしてもらえるんやろう?」
「お前、今はクリスマスの余韻が残っているから、勢いでそんなこと言っちまうんだろうけど、俺と結婚しちまったら二度と人間には戻れないって、言っただろう!あの本ちゃんと読んだのか?もう二度と下界では暮らせなくなるんだぞ!」
「余韻や勢いで言うてるんやなくて、ボクはこれまでも何度も言うてきたよ。キミが好きや。これからのことも真剣に考えてきたし、あの本は、これからキミと暮らすための参考として、熟読させてもろうた。ボクはキミの家族になって、一生ふたりで一緒にサンタの仕事をして、そして、キミの写真を撮りたい」
「俺の…?」
「うん、この雪の世界でも、毎日違う一日があるんよ?ボクはそのキミの一日一日を、ずっと写真に収めて、何百冊も、アルバム作るんや。雪に包まれた、ここのきれいな写真もいっぱい撮って、ボクらの毎日を残してゆくんや」
 こんな雪ばっかりの世界での、毎日、毎日を。
 市丸がそう言うと、突然それはとても輝いた、かけがえのない瞬間の連続のように感じてしまった。
 市丸がこれまで撮ってきた、たくさんの美しい写真。
 こんな世界でもこんな瞬間、こんな美しさがあるのだと、驚いた。
 市丸が本当に、自分が切り抜いてきたその世界を愛していることも、その写真から感じ取れた。
 市丸はいつでも日番谷とは全く違うものを見ていて、なんでもないことを、とても美しくて楽しい、幸せなものに変えてしまうのだ。
「…俺も、撮る。俺もお前の毎日の顔、写真に撮って残してやる。…俺は、デジカメでいいけど」
 市丸の見せてくれた夢に、一瞬にして魅せられて、思わず日番谷が言うと、市丸は輝くように笑って、
「えー、ほんま?魂抜かれてもうたら、どないしよう〜」
「抜かれるか!」
「あは」
 市丸はさっとそりを降りると、日番谷の身体を、ぎゅっと強く抱き締めてきた。
「結婚したら、ポン太に奥さんみつけてあげようか?ボクらだけラブラブになってもうたら、可哀相やもんね?ポン太の写真も、撮ってあげなあかんな?大事な家族やもんね?暗室も作ってな?ボク、大切な写真は、自分で現像したいよって」
 まるで、日番谷があの夜夢に描いた未来を、それ以上の幸せな未来を、市丸も同じように心に描いているみたいに。
 まるで、本当にその夢が、現実になるみたいに。
 次々と魔法の呪文を唱えてゆく市丸に、日番谷はとうとう、腕を伸ばして、その背を力一杯抱き締め返した。
 悲しくなんか全然ないのに、淋しくもなんともないのに、寒さではないもので身体が震え、熱い熱い思いが込み上げてきて、胸と目に熱いものが溢れてしまって、日番谷は市丸の胸にしっかりと抱きついたまま、顔を上げられなくなってしまった。
 市丸は力強い大きな腕で優しく抱き締めて、日番谷が落ち着くまで、ずっとその髪を愛しそうに撫で続けてくれた。

 その後再びポン太のそりに乗って二人で村へ下り、神父の家へ行くと、もう遅い時間だったのに、神父は教会にいると言われた。
 教会はすぐ隣だったので、急いでそちらへゆき、大きな扉を開く。
 教会そのものは小さく質素だったが、厳かで、聖なる夜のために美しいろうそくがたくさん灯されていた。
 神父は祭壇の前で祈りを捧げていたようだったが、ふたりに気が付くと、立ち上がって、振り向いた。
「来ると思っていたよ?」
 ふたりを見ると、神父は何もかも全てを包み込むように優しく微笑んで、さあ、こちらへおいで、と言って、美しい祭壇の前へふたりをいざなった。



 市丸のアルバムは、あっという間に十冊を超えた。
 そのアルバムは、家族の写真と雪山で撮った写真に分けられていて、雪山の写真の方は、時々下界に送っているようだった。
「この間の写真、何枚か売れたで。今度カレンダーに使うんやて。冬の写真しかないんやけどな」
 市丸はサンタの仕事の手伝いもしているが、ちゃっかり写真も副業にしていて、いつの間にか下界とのコネクションもつなげたようだった。
 逞しい男だ。
 暖炉の前で自分の撮った最新の写真を並べて見て言う市丸に、
「あ、そう。他の季節の写真も撮りに、どこへでも行っちまえよ」
 日番谷が冷たく言うと、市丸は平然と、「ボクは愛する奥さん置いて、どこにも行かへんよ。写真は副業やし、ボクは雪山専門やて言うてあるし。それに極めたら奥深い世界なんや、雪山て」と言った。
「あ、それからな、もしかしたら、写真集も出してもらえるかもしれへん。そしたらキミがちっちゃく写ってるあの写真、使うてもええやろか?ちっちゃいし、後ろ姿やから、ええやろう?雪の精みたいで、お気に入りなんや」
「好きにしろよ」
 日番谷にサンタの仕事があるように、同じくサンタの一族になったとはいえ、市丸にも市丸の世界がある。
 日番谷がホットミルクを入れて、自分も仕事に専念するため部屋にこもろうとすると、アルバムを見ていた市丸が、いきなり後ろから飛びついてきた。
「うわっ、危ねえ、こぼれる!」
「ほんまはキミの写真集も出したい。めっちゃ神秘的で可愛くて、この世のものとは思われへん、最高の写真ばっかりやもん。せやけど、ボクの可愛え冬獅郎を他の男の目に晒すなん、耐えられへん。ジレンマや」
「あほか。そんなもん、出されてたまるか」
「サンタさんのキミの姿も載せたら、もう、ものすごいセンセーショナルやで?」
「サンタは夢の世界にいるんだ。見せ物じゃねえ」
「そうなんやけど。…ああ、もう、ほんま可愛え。ボクの冬獅郎…」
「なんだよ、もう…」
 なんだか盛り上がってきたらしい市丸が、抱き締めたまま、ちゅっちゅっと顔中にキスをし始めた。
 本当に市丸はいつまで経っても日番谷に夢中みたいで、さきほどちょっとばかり、写真の世界に市丸をとられたみたいで軽く嫉妬してしまっていただけに、その唇から逃げないで、日番谷は大人しくしていた。
「な、このお金入ったら、ふたりで下界に旅行に行こう?」
「は?旅行?」
「それくらいええやん。温泉でもええし、遊園地でもええよ?キミももっと、色んな楽しいことするべきや」
 そりゃあ、下界へ数日遊びに行くことくらいは禁止されているわけでもないが、ひとりで行ったってつまらないから、行かなかっただけだ。
 でも確かに、下界のことをよく知っている市丸と一緒だったら、行ってみたいかもしれない。
 市丸がひとりいてくれるだけで、こんな雪の中の日番谷の世界が、びっくりするほど果てしなく広がってゆくように思えて、日番谷はまたしても、軽く感動を覚えた。
 窓の外には、今日もしんしんと雪が降っている。
 暖炉の上の、可愛らしい白鳥の形をした置時計は、配達便の阿散井が、「ふたりの結婚のお祝いです」と言って泣きながら贈ってくれたものだった。
 阿散井は、日番谷の見ていないところで市丸に、「日番谷サンを幸せにしなかったら、テメエ本気で殺すからな!」とすごんでいて、市丸はあの阿散井にそこまですごまれても平気な顔をして、「言われなくても世界で一番幸せにするよって、キミの出る幕なんないで」などと言ってからかっていた。
 それ以外にも、お揃いのはんてんだとか、鍋のセットだとか、市丸が写真を撮ると聞いて可愛い写真立てだとか、村の人達からも、色々とお祝いの品をもらった。
 市丸はお返しに自分の撮った写真を配って、喜ばれていたようだった。
 ある日突然現れた男が、あっという間にこの雪の世界に、日番谷の世界に溶け込んでくるなんて。
 そして永遠という言葉を、暗く厳しく重いものから、まばゆく美しく、楽しいものへと変えてしまった。
 彼のいる空間は、いつもキラキラ輝いていて暖かく、日番谷はその全てを愛さずにはいられなかった。
 暖かな暖炉の前で、市丸と二人、彼の撮った写真を見たり、他愛もないおしゃべりをしたり、ふざけあったり。
 こんな幸せな毎日が自分に訪れるなんて、日番谷は今でも信じられなくて、毎日神様に感謝していた。
 そんな色々な思いが、顔に出たかもしれない。
 市丸は嬉しそうに笑って、決まりやね、と言って、唇に深くくちづけてきた。
 

END