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押し入れの冒険−4

「おお、麗しき恋人達よ。私を呼び出したのは、お前達か?」
 パッと頭上で何か光ったと思ったら、厳かな声が聞こえてきた。
 見上げると、真っ白い羽の生えた、天使…?らしきものが、ふわふわ浮かびながら俺達を見下ろしている。
「うわ、ホントに出た!ヤッタ、恋人同士じゃねえけど、あんたを呼び出したのは、俺達だ!」
「…ええところやったのに、ほんまに出よった…。愛の天使やったら、こないなところで出て邪魔せんでもええやろうに…」
 文句を言いながらもさすがに驚いたらしい市丸の腕からわずかに力の抜けた隙に、俺は急いでその下から抜け出した。
「外の空気を吸ったのは、何年ぶりだろう。よい気持ちだ。お前達の願い、何でもひとつずつ、叶えてやるぞ」
 そうこなくては、ここまで来た意味がない。
 俺はそれを聞くなり、
「それじゃあ今すぐ、俺達を元の世界へ戻してくれ!」
「ボクらを永遠にこの世界にいさせてください」
 勢い込んで言った俺の言葉のすぐ後に、市丸が続けてとんでもないことを言った。
「…相反する二つの願いを同時に聞くことはできぬが…」
「いや、今のは冗談です!こいつの願いはきかなくていいですから!」
「…冗談やないけども」
「テメエは黙ってろ!」
 せっかくのチャンスなのに、こんな奴にふいにされてはたまらない。
 ジロリと睨みつけて言ってやると、そんな俺達の様子など気にした様子もなく、愛の天使は思いがけないことを言った。
「元の世界へは、夜が明ければ、自然に帰ることができる。それより、もっと私にしか叶えられないような願いを言うがよい」
「えっ、そうなのか?」
「えっ、ほんま?」
 俺と市丸は、同時に驚きの声を上げた。
「ただし、願いはたったひとつだから、ようく考えて言うがよい。…ちなみに私は愛の天使なので、得意分野は恋愛に関することだ。もちろん、それ以外でも叶えられるが」
 余計なことを言いやがった。
 そんなことを言われたら、他に色々願いがあっても、ついうっかり恋愛関係の願いを考えてしまうじゃないか。
 特に、市丸のバカが。
「こいつが、もう俺にまとわり付いて変なこと言ったりしないようにしてください!」
「この子が、ボクのことを好きで好きでたまらんようにしてください!」
 またも、俺達は同時に言っていた。
「ちょっと待て!それが両方叶ったら、俺が市丸に片思いしてるみたいな状態になっちまうじゃねえか!」
「ああ、それ、ええねえ〜。今と立場が逆になるんやねえ〜」
「冗談じゃねえ、今のなし!」
「ボクの願いは、そのままでええでvv」
「じゃあ俺の願いは、こいつのこと絶対に好きになりませんように、だ!」
「…相反する二つの願いを同時に叶えることはできぬと言っておろうが」
 愛の天使は困ったように言った。
「違う願いを考えよ」
「ええ〜、それ以外の願いなん、思いつかへん」
 子供のように口を尖らせる市丸を睨みつけて、
「テメエな、こんな願いなんかで俺がお前を好きになったとして、そんなもん嬉しいのか?ニセモノの愛だぞ?…まあ、身体が欲しいだけなら、そういうのも、ありかもな?」
「キミ、冷静に厳しいところ突っ込みはるね。愛の天使さん、ちょっと今のナシな?もう一度よう考えてみますよって」
 冷たく言ってやると、市丸は慌てて先の願いを取り消すと、腕を組んで悩み始めた。
 なんだ、こいつ、一応は身体目当てじゃなくて、本当に俺のこと好きだったのか。
 …などと、見直している時じゃなかった。
「せやったら、この子をもっと素直にしたって下さい。特に、ボクに対して」
「なんだとテメエ〜!」
「いつも素直に気持ち出しとる言わはるんやったら、こんな願いなん、怖くもなんともあれへんよね?」
「こいつなんかに、俺の性格とやかく言われないようにしてください!」
 今度はわざと、市丸の願いが打ち消されるようなことを言ってやった。
 愛の天使は呆れたようにタメ息をつく。
「そうや!この子をボクのお嫁さんにしてください!」
「ウワーッ!絶対、死んでも、こいつの嫁になんかならないようにしてくださいッ!」
「キミずるいわ!ボクのお願い打ち消すようなことばっかり願ったら、なんも叶わへんやん!」
「テメエこそ、もっと違う願い考えろよ!事務処理能力がもっと欲しいとか、もっとみんなに好かれる性格になりたいとか、世界が平和になりますようにとか!」
「せっかくなんでも願い叶ういうんに、そないどうでもええことなん、願うかいな」
「どうでもいいだと!テメエ、どんだけ周りに迷惑かけてると思ってるんだ!」
「誰にも全く迷惑かけんと生きとる奴なん、ひとりもおらへん。ボクがほんまにほしいのは、キミの愛だけや」
 この阿呆は、真顔で言い切りやがった。
 前半部分だって、一見もっともそうだけど、ものには程度ってもんがあるぞ?
「俺以外のことで、なんか考えろ!」
「思いつかへん」
「健康とか長寿とか、そのへんはどうだ?」
「愛の天使や言うとるやん。気ィ悪するで?」
「それ以外でもいいとも言ったぞ!」
「いやや。ボクの願いは、それだけやもん」
 俺の気持ちを、こんな奴と愛の天使なんかに、好きにされてはたまらない。
「こいつの性格を、なんとかしてください!」
「…そんな漠然とした願いでは、お前の心に描いた通りにならなくても、知らんぞ」
「女を愛する、普通の男にしてやって下さい!」
「ボク別に、最初から男なん好きやないから、何も変わらへんよ?」
「こいつがウソつかないようにしてください!」
「それ、ええね!ボクも同じこと願ったろうvv」
「い、いや、ちょっと待て…」
 がっくりと疲れて、俺はタメ息をついた。
 この男と折り合いのつく願いなど、思い付かない。
 そもそも、愛の天使に願いを叶えてもらうなどというのも、どうだろう。
「市丸…なんか、不毛な気分になってこねえ?やっぱ願いは叶えてもらうもんじゃねえよ…そもそも、本当に叶うのかどうかも怪しいし」
「失礼な」
「せやったら、ボクだけ叶えてもらいますわ。キミは放棄したらええよ」
「そ、それもちょっと」
 市丸一人に願われては、どんなことになるか、わかったもんじゃない。
 なんとしても対抗策として、自分の願いも叶えてもらわないと困る。
「どうやらこのままでは、埒が明かぬようだ。こうしよう。お前達、相手の願いは聞かず、別々に考えて、こっそり願いを言え。それが打ち消し合うものでなければ、そのまま叶える」
「ええーっ、そんなんじゃ、何願われるか、わかったもんじゃねえ!」
「ボクは、それで、ええよ?」
 俺は慌てて叫んだが、市丸はあっさりと承諾しやがった。
「願う言葉は、絶対に互いには聞こえぬようにするから、それぞれ考えて、遠慮なく言うがよい」
 有無を言わせず、シンキングタイムが始まってしまった。
 俺は市丸が何を言っても困らないような、うまい願いを考えないといけない。
 市丸はすでに決まっているようで、にこにこして俺が願いを決めるのを待っている。
 あいつは俺が何を言っても自分の願いが通るようなうまい願いを考えないといけないというのに、もう何か思いつきやがったんだ。ムカつく。
 しかもあいつが何を願ったか、俺にはわかりようもないわけだから、この後それに対して、対策の立てようもない。
 俺に関する何かを願うのは間違いないから、なんとか今叶うこの願いで、あらゆるパターンに対抗しないといけない。
(あいつの考えることなんか、俺にわかるか…)
 眩暈がするほど考えに考えた末、俺はあることに気が付いた。
 そうだ、あいつの願いは俺にはわからないが、俺が何を願うかだって、あいつにはわからないのだ。
 それならば、とてもいい案がある。
 それひとつ願うだけで、市丸が何を願ったとしても、なんとか対抗できる上、あいつに痛い目を見させてやれる願いだ。
 これだけ願っておけば、市丸の願いが何だったとしても、怖いものなど何もない。
「よし、決めた」
「では、願いを言え」
 俺が言うと、愛の天使はふわりと下りてきて、俺の口に耳を寄せた。
「あいつには、絶対に、聞かれねえんだろうな?」
「聞こえぬ」
 俺は少し離れたところで涼しい顔をしている市丸をチラッと見て、不敵に微笑んでから、願いを言った。
「では、お前の願いを言え」
 愛の天使は次に市丸のところに行くと、同じようにその口に耳を寄せた。
 市丸が何かを言って、天使は頷いた。
「二人の願いが打ち消し合うものではなかったため、お前達ふたりの願いは、そのまま叶える」
 その言葉に、俺の胸はドキドキと高鳴った。
 打ち消し合わなかった。
 俺の願いも、市丸の願いも、そのまま叶えられるのだ…。 
 言うなり天使はぱっと金色に輝いて、目も眩むようなその光に思わず目を閉じた瞬間に、跡形もなく消え去っていた。