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神隠しの杜−6

 日番谷が五番隊の雛森を訪ねてゆくと、雛森は大喜びをして、お茶と茶菓子を出してくれた。
「日番谷くんとこうして会うの、久し振りだね!羽織、似合うわよ」
「似合うなら日番谷隊長って呼んでくれよ」
「うふっ、そうね。日番谷隊長か〜…」
 雛森と会うと、心が洗われるような気がするものなのだが、なんだか今日は後ろめたいような気もして、落ち着かなかった。
「五番隊の前の副隊長って、市丸だったんだよな…?」
「え?そうよ。今の三番隊の市丸隊長よ」
 そう、市丸はあの時、羽織を着ていなかった。
 単に脱いできただけということも有り得るが、調べてみたらやはり、日番谷が霊術院にいたあの頃、市丸は五番隊の副隊長だった。
 そして、そのすぐ後くらいに、三番隊の隊長になっている。
「あいつが三番隊に移る直前くらいに、副隊長が現世で虚討伐に行ったような任務はあるか?」
「たくさんあるわよ」
「副隊長一人で?」
「一人じゃないと思うけど、副隊長の指揮で、隊長はこちらに残ったまま現世の任務に行くことは結構あったみたいだわ」
 隊によって、または隊長や副隊長の実力や経験により、どのような形で任務に出るかはさまざまだが、当時すでに隊長の実力を持っていた副隊長が隊長の代わりに指揮を執って現世に下りることは、確かによくありそうなことだった。
「現世の…神社の近くに、下りたような記録は?」
「えー?ちょっと待っててね、それくらいだったら、報告書がまだこっちにあるかも」
 雛森について五番隊の書類庫に入ると、書物独特の匂いがした。
 雛森の隣でその辺の書物を棚から抜いてパラパラとめくると、副隊長・市丸ギン、という名前が目に入り、ドキリとする。
 あんなにいけすかないと思っていたのに、過去を思い出すにつれ、市丸が自分に対してあんなに態度を変えてしまった理由を知りたいと思うようになった。
 自分が彼を記憶から消してしまった理由も知りたいと思った。
 あの狐は、間違いなく市丸だった。
 あの時、死神の姿で自分を迎えにきた市丸に、日番谷は一瞬で魅せられた。
 彼の手に、見覚えがあって当然だった。
 差し出されてきたその手を、芸術家のような、指の長い独特な手を、日番谷は息を飲んで、じっと見つめた。
 あんなに理性がストップをかけたのに、聞こえないフリをして彼の手を取った。
 そして、彼に連れられて現世へ下りて、…
 あれは、本当に現実だったのだろうか?
 今思うとただ本当に夢の中のように、幻想的なイメージに包まれている。
 暗闇の中に浮かび上がる、どこまでも続く朱色の鳥居。
 そのトンネルを、大きな市丸の手に引かれ、どこまでも歩いてゆく自分…。
「あった、これかしら?」
 雛森の言葉にはっと我に返り、渡された書物を受け取って、目を走らせる。
 そこには、丁度あの頃と一致する年に、市丸が部下を数人連れて現世に下りた記録が書かれていた。
 その辺りの地に、子供の魂魄を好んで食らう虚が出て、その棲家が神社のある山の中ということがわかり、その討伐に向かった、というような内容だった。
(子供の魂魄…)
 ドキッとはするが、市丸は一人で討伐に向かったわけでもなく、簡単に倒してすぐに尸魂界に戻ったことになっている。
 あまり重要な件でもなかったらしく、それほど詳しくも書かれていなかった。
「やあ、日番谷隊長、ここで何か探しもの?」
 突然掛けられた声に、日番谷はビクッとして、書類を取り落としそうになった。
「藍染隊長」
 慌てて棚に戻して、何でもない顔を作って振り返る。
「お邪魔してます。今、雛森に昔の書類を見せてもらってたんすけど。もういいんで、戻ります」
「昔の…報告書?」
 日番谷が書類を戻した棚を見て、藍染が不思議そうな顔をする。
「市丸隊長がここの副隊長だった時の記録を調べているのかい?」
「別に、あいつのことを調べているわけじゃ」
 なんとかごまかそうと考えたが、雛森から話を聞くに決まっている。ならばいっそ開き直って聞いてみてもいいだろうかと考えた。
 だが、何故知りたいのだと聞かれたら?
「単に、過去の書類をどんな風に保管しているのか、参考にさせてもらおうと思って。十番隊は、そういうの、ちょっと大ざっぱになってて、このままじゃいけねえと思ったもんですから」
 なぜか、あのことは、他の誰にも話してはいけないような気がした。
 市丸が狐になって日番谷のところへ来たことも、二人で千本の鳥居をくぐったことも。
「ああ、そうかい?保管期間も保管場所も、書類にはそれぞれ決まりがあるからね。きちんとしておかないと、後で大変だよ」
「そうスよね。スイマセン、お邪魔しました」
「ゆっくりしていくといいよ。おいしいお菓子もあるし」
「や、ほんとに、ちょっと寄っただけすから。…その、雛森が、ちゃんとやってるかなって」
 あ、ひどいー、あたしの方が先輩なのにー、と雛森が言い、俺はもう隊長だ、と返してやると、そのやりとりを微笑ましそうに見て藍染が、
「ああ、二人は幼馴染だっけ」
 にっこり笑う笑顔にホッとして、日番谷はもう一度軽く会釈をすると、急いで五番隊を退出した。
 何か思われたかもしれないが、とぼけ通すしかない。
 それに、あの記録は、…恐らく、自分が探していたものなのだろうと、日番谷は思った。
 市丸が、現世実習の一環として、日番谷を連れて虚討伐に…行ったのかと思ったが、連れて行った部下の名前は、日番谷の知らない者だった。
 もしかしたら、正式な手順を踏むことなく、市丸の一存で連れて行かれ、表向きは正規の部下を連れて行ったことにしたのかもしれない。
 それが規則違反だから、市丸は調べられたら困ったのかもしれない。
 もしそうだったとしたら、市丸が無理に自分を連れて行った理由は、おそらくその虚が子供の魂魄を好んだから、自分はそれをおびき出すための囮にされたのだと思う。
 そしてそのことがバレると困るから、日番谷の記憶を消してしまい、知らん顔していたのかもしれない。
 最初に狐の姿で現れたのも、自分の正体をバレにくくするため、また、大人の姿で現れるより、日番谷が心を開きやすいと踏んだのだろう。現に日番谷は市丸の名前も正体も知らないまま、また、聞くこともしないまま、黙って彼について行った。…どうやって狐になったのかは、わからないが。
 そう考えたら色々と説明はつくが、少しさびしい気がした。
 日番谷はあの頃、狐を…、市丸を、それなりに慕っていた。
 市丸が来いと言ったから、不安を押して、あんなところまでついて行ったのだ。来いと言ったのが、市丸だったからだ。
 囮にしたといっても自分はこうして無事戻っているのだし、二人だけの秘密だと言われたら、絶対に口外なんかしない。
 それなのに、利用するだけして、再び会って日番谷が思い出しそうになったら、あんな態度で突き放すなんて。
 あの頃まだ死神のことを何も知らない世間知らずだったからといって、そんな男を信じて心を許してしまっていたなんて、自分が情けないような気がした。
 今では自分も市丸と並ぶ隊長なのだし、護廷隊の隊長格であった市丸を、あの時ほど上の存在として見てはいない。
 ここまでわかってきた以上、このまま利用されっぱなしでは悔しいような気がして、市丸にそれなりの弁明や、謝罪をさせてもいいような気がした。
 市丸は確たる証拠がなければ、いつもの態度で、何も認めないだろうが、もともと今更証拠を掴めるようなことではない。
 当時すでに出来得る限り証拠隠滅工作はしただろうし、日番谷の記憶の抹消も、そのひとつだろう。
 思い出したと言ってやるくらいしか思いつかないし、それくらいではとぼけられるに決まっているが、言わないではいられない。
 少しばかりでもプレッシャーにはなるだろうし、後ろ暗い罪の意識を胸にわだかまらせることくらいはできるだろう。
 そこまで考えたら我慢できなくなって、日番谷はその足で三番隊へと向かった。



 通された部屋は、前と同じ部屋だった。
 どうせ待たされるのだろうと思ってまっすぐ庭園の方へ向かい、心を落ち着けるためにも、じっと眺める。
 もうすぐ市丸が来るのだと思うと、心臓は破裂しそうにドキドキした。
 前来た時は、あんなに嫌な奴だと思っていたのに、今だってロクでもない男だと思っているのに、市丸を待つ時の気持ちは、全く違うものになっていた。
「お待たせしました。よう来てくれはったね、十番隊長さん?」
 今回はそれほど待たずに背後で扉が開き、掛けられた声に心臓が喉から出そうになった。
「ああ、忙しいところ、悪いな」
「とんでもない。いつでも大歓迎て言いましたやろう?さ、そないなところに立ってないで、こちらどうぞ?」
 前はその丁寧な言葉が逆に嫌味ったらしいと思ったのに、今回はずいぶんと優しい言葉をかけられているように感じて、落ち着かない。
 それに、現れた市丸は、…胸が熱くなるくらい、あの夜自分を迎えにきた、あの男そのものだった。
 隊長羽織を着ていると、あの時よりも堂々とした風格が増し、手を離したらどこかへ消えてしまいそうな神秘的な風情は薄れている。
 自分に敬語で話してくるのが、当たり前だこの野郎と思いながらも、距離を置かれているようで、それはそれで憎らしいような気持ちになった。
(俺が何も知らねえと思って、スカした面してんじゃねえよ)
 ゆっくり座って話すことでもないと思い、日番谷は腕を組んでじっと市丸を見てから、
「…俺、思い出した」
 単刀直入に、切り出した。
「何をですか?」
 やっぱり市丸は、とぼけてみせる。
「お前、狐だっただろう」
「そないストレートに言わはるお人も、ボクが隊長になってからは、あまりおれへんけども…」
「顔が似ているとかゆう話じゃねえ。お前、狐の姿で、まだ霊術院生だった頃の俺のところに、やって来ただろう」
「霊術院生だった十番隊長さんのところにですか?」
「とぼけるな。思い出したって言っているだろう。お前はしばらく通った後、突然死神の姿でやって来て、俺を連れて、現世の神社に、…虚討伐に向かっただろう、俺を、囮に使う為に」
 市丸は、ぽかんとした顔をしている。
 まだ推測の域を出ていないことまで言ってしまったから、言いすぎたかな、と思って動揺した。
 その動揺が焦りを生んで、日番谷はどんどん重ねるように、
「お前は、白い狐の姿で、俺の前に現れた。俺に霊圧の制御方法を教え、俺がお前に心を開くのを待って、今度は死神の姿で、現れた。そして俺をこっそり現世に連れて行って、…」
 幻想的な朱色のトンネルのイメージが、日番谷の胸を一杯にした。
 どこへ続いているのかわからない暗いあの道を、市丸に手を引かれて歩いた記憶。
 市丸は、しっかりと日番谷の手を握り、時折日番谷を振り返っては、優しく勇気づけるように、守るように微笑んだ…。
「思い出したって言っているだろう!お前は、俺の手を引いて、千本の鳥居をくぐっていった。俺は、行ってはいけないとずっとわかっていたのに、お前の手を離せなくて、…。俺、は、思い出したけど、どうしてお前は、…」
 もっと冷静に追い詰めてやるつもりだったのに、口から飛び出してきたのは、まるで恨み事みたいな言葉だった。
 そこで初めて日番谷は、自分の気持ちに気が付いて、驚いた。
「そこまで、思い出してもうたんやね?」
 それまでぽかんとした顔をしていた市丸は、突然立ち上がり、さっと日番谷のところへ寄って来た。
「そこまで思い出して、ボクに会いに来てくれたんやね?」