.


神隠しの杜−21


「当たり前だーー!厚かましいこと言ってんじゃねえ!」
 日番谷が怒鳴っても市丸は全く平然としたままで、
「ええやんか〜。ずっと抱き締めとってあげるし」
「ソレがイヤだ!絶対入れねぇ!」
「ほらほら、そない興奮すると、お熱ますます上がってまうで?」
「誰のせいだ、バカ野郎!」
「責任とって、お熱下がるまでずっと抱いとったるよ?」
「いらん!」
「ええやん、入れて、入れて♪」
「ダメだ、ダメだ、ダメー!」
 冗談みたいに笑いながら、本当に布団に入ろうとしてくる市丸を必死でブロックしていたら、なんだかちょっと思い出してしまった。
 白い狐。
 あの頃は…、直接ねだったことは一度もないが、一緒に寝たがっていたのは、むしろ日番谷の方だった。
 あの大きな尻尾や、生き物の体の抱き心地がすっかり気に入った日番谷は、何かある度、隙を見ては狐を捕まえようとしていた。
 特に狐にはその尾を見せ付けるように大きく振る癖があって、そうして目の前で揺らされる度、日番谷は猛烈に狐に触りたくなった。
 だが狐はなかなか隙を見せず、そう簡単には触れさせてもくれなくて、何かの褒美か慰めるような時だけ、その大きな尾を布団に入れてくれたのだった。
『しゃあないなあ、尻尾だけやで?』
『早う寝るんよ?』
 本当はその身体ごと抱き締めて眠りたかったが、狐はそれは、絶対にさせてくれなかった。
 でも狐の尾は大きくて柔らかくてふかふかで温かくて、それを抱いて寝たら気持ち良くて安心して、それだけでもぐっすりと眠りにつけた。
(…こいつが、あの狐だったんだよ…な…?)
 目の前のこの男があの狐だと、実感があるような、ないような。
 初めて見た時は、その不思議な雰囲気にうっかり魅せられてしまったけれども。
 あの狐の正体が、触っても嬉しくもないこんな大男だとわかっていたら、あんなに必死で触りたがっていたかどうか。
 市丸も、狐の姿の時はあんなに触られるのを嫌がっていたくせに、この男の姿になってからは、平気で自分から触れてくる。
 過剰なくらいに。
 そんな様子を見ていたら、なんだか色々不思議な気分になってきて、
「…そんなに言うなら、入れてやってもいいけど」
 とうとう日番谷が言うと、市丸はぱっと顔を輝かせて、
「ほんま?」
「…尻尾だけ」
 日番谷の言葉に、市丸はぽかんとした顔をしてから、それはすぐに苦笑に変わった。
「あかん、この子尻尾フェチや〜。尻尾見せた時だけ、子供みたいに可愛くお目々キラキラさせはるんやもん、敵わんわ〜」
 日番谷の言葉の意味は、即座に通じた。
 そこで改めて、確かにあの狐は市丸だったのだと思ったが、この男が最初からこの姿で現れていたら、自分はあそこまで心を開いてはいなかっただろうとも思った。
 あんなにも無邪気に慕っていられた狐が懐かしくも恋しくて、無理だとわかっていても、会いたくてたまらなくなった。
「その面だったら、まだ化けられるんだろ、正体見せてみろよ、狐」
 案外市丸だったら、なんらかの方法で本当に化けられるんじゃないかと思って、半ば本気で言ってみると、
「ん〜、正体言うても、今化けられるんは、狼さんくらいのもんやけど、ええやろか」
「いいわけねえだろ!」
 さらっと返してきた答えにびっくりしたが、つまりは市丸の姿はやはりもう二度と狐にはならないということなのだ。
 わかっていても、ハッキリそれを示されると、やっぱり淋しいような気持ちでいっぱいになってしまう。
 市丸はそんな気持ちを敏感に感じ取ったようで、
「…ボクが狐やないと不満なん?そういえばキミ、ボクが狐やった頃の方が、もっと素直に甘えてくれはっとった気ィする。やっぱ尻尾なん?尻尾ないとあかんの?」
「なんだソレ。バカか」
 言葉で拒絶しても、もう日番谷は、拗ねたように言いながら市丸が布団の中に潜り込んできても、追い出さなかった。
「尻尾はなくなってもうたけど、ボクにはこうして指があるんよ。キミを優しく愛してあげられる指が」
 さらさらと髪を撫でられても、日番谷は冷たく、
「肉球の方が良かった。あれ、好きだったのに」
 正攻法ではまず触らせてはもらえなかったが、それがよけいに日番谷の気持ちを惹いたあの柔らかな感触を思い出して言うと、
「え〜、イヤや〜。触らせへんよー。キミ、肉球の間に指入れようとするし〜」
 まんま狐のようなことを、困ったように言う市丸に、その手がまだあの狐の手なのではないかと一瞬錯覚して、
「ケチケチすんなよ、いいじゃねえか、肉球くらい」
 言ってぱっと市丸の手をとるが、そこに肉球はなく、それはほっそりとして指の長い、何度も日番谷に差し出されてきた、あの手だった。
 そこに肉球はなくても、やはり日番谷の胸をじんと震えさせる、あの…
「……」
 チェ、と小さく言って手を離し、もぞもぞと布団に潜り込んで、市丸の胸に額を押し付けてみる。
「日番谷はん?」
 狐でも、あの男でも、市丸でも。
 結局この男は、日番谷の心に入り込んで、胸を熱くさせてしまうのだ。
「…今度ふたりで現世に行く機会があったら、お前狐の義骸に入れよ。そしたらも一度、狐に会える」
 密かにちょっといい案だと思って日番谷が言うと、
「えーーー…そしたら獣姦になってまうけども…」
 すかさず返された言葉に、日番谷は目を剥いた。
「アホか、なんでそんなことばっかり考えてんだ、テメエ!狐のイメージ壊すな、思い出を汚すな!」
「せやったら、思い出は思い出のままにしといたらええんちゃうの」
 あっさり言われて、日番谷は少しふくれて、市丸の胸の中で、ぷいっとそっぽを向いた。
「…なんや、ボクには冷たいんやね。そないにされると、ボク、狐にやきもち焼いてまうよ…?」
 言葉とは裏腹に、市丸はひどく嬉しそうに言って、後ろからぎゅっと日番谷を抱き締めてきた。
 ムッとしながらも、どうして市丸はそれをそんなに嬉しそうに言うのだろうと考えて、そういえば市丸は、狐と日番谷のあの清らかな関係をブチ壊したくてあんな無茶をしたのだと言っていたことを思い出した。
 そうやって考えたら、市丸は口ではそう言っても、狐にやきもちなど、全く焼いていないのだ。
 そうまでして自分が望んだ立場を手に入れた今、狐の方がいいなんて、市丸の方はこれっぽっちも思っていないのだ。
 それでもそう言ったのは、そう言う日番谷の態度が、言葉は冷たくても本当は市丸に甘えたものだということをわかっているからで、そうやって日番谷を甘えさせて喜んでいるのだ。
(……)
 この市丸とは、会ってそれほど経っていないのに、日番谷のことをとてもよくわかっている。
 日番谷も、なんだかんだ言って、実際にはこの男に心を開いてしまっている。
 それもこれも狐と日番谷のあの時間があったからで、狐は二度と戻らなくても、決して消えてしまったりはしないのだ。
 市丸はやっぱり、あの狐なのだ。
 そう思ったらその腕に包まれていることも、なんともいえない懐かしい気持ちになって、日番谷はそのまま、目を閉じた。
 気持ちが落ち着くと微熱がふわりと戻ってきて、考えることが面倒になってくる。
「…俺、もう、寝る」
「うん、そうやね。おやすみ」
 目を閉じて聞くその囁くような優しい声は、厳しくも優しかったあの狐と、やっぱり同じ声だった。
 ただ、狐だった時にはいつもうっすらと感じられていた、どこか一線を引き、突き放すような色合いはそこにはなく、溶け込んでくるかのように親密な甘さに変わっているように感じた。
(…ああ、あの狐は市丸だったけれども、この男は、あの時の市丸でも、もうないんだ…)
 それは、狐だとか死神だとか、そういう問題ではなくて。
 ふたりの間にあった時間や、立場や状況の変化などが変えた、二人の新しい関係なのだ。
 院生だった日番谷が、死神になり、十番隊の隊長になったように。五番隊の副隊長だった市丸が、三番隊の隊長になったように。
 ふたりが二度あの鳥居を抜けて、その度にその関係を大きく変えてきたように。
 それは、時の流れなのだ。
 今この市丸が狐の体に入ったとしても、あの時の狐が再び現れることはないのだ。
『残念やったね。せやけど、ええやん。ボクは、ボクや』
 あの狐が今いたら、そんなことを言うだろうか。
 いつものすました顔でそう言って、あの大きな尾を振ってみせるのだろうか。
(…そうだな。お前は、お前だ。…そして俺も、俺だ)
 抱き締めているのは、日番谷ではなく市丸の方で、色々と狐の頃とは違うけれども。
 それでもそうしていると、あの頃と同じように優しく安心した気持になって、日番谷は久しぶりに夢もみないほど、ぐっすりと深い眠りについた。