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神隠しの杜−2
「ほんま、真面目な隊長さんや。もう少し肩の力抜かはった方が、楽やで?」
「失礼する」
その長い指が肩に触れそうになって、慌ててそれを避けるように身を引いて、日番谷は応接室を出た。
振り返りもせずに早足で三番隊を出ると、どっと疲れを感じた。
(なんだあいつ。妖怪じゃねえのか、あの顔は)
それほど重い霊圧をかけられたわけでもないのだが、妖気のようなものをまとったあの男と対峙していたら、それだけでかなり消耗させられた。
あの、開いているんだか怪しいような目で、じっと、中まで覗き込むようにじっと、試すようにみつめてくるから。
来なければよかったと後悔しながらも、そのプレッシャーから逃れると、やはりあの顔は、どこかで見た気がしてならないと、日番谷は再び思った。
どうもうまくごまかされたが、ごまかしたということは、隠すべき事実があったということか。
モヤモヤしたものを感じながら十番隊へ帰ると、松本が戻っていた。
「あら隊長、どこ行ってらっしゃったんですか?…ご機嫌ナナメみたいですね?」
「別に。三番隊へ所用でな」
「三番隊ですか。…ギン、じゃない、市丸隊長に、何か言われたんですか?」
松本が心配するような顔で言ってくることが、よけいプライドに障った。
「何も。ただ、あいつの前世は狐だったんじゃないかと思えて、いい気分がしなかっただけだ」
「あら、ヒネリがないですね。見たまんまじゃないですか」
さらっと言う松本に、日番谷は思わず目を剥いて振り向いたが、すぐに確かにそれももっともだと思った。
「狐…。狐かぁ。狐だよな、狐だ」
「隊長、そんなに繰り返さなくても」
松本が笑って、茶と茶菓子を出してくれた。
白い、狐。
あれは、いつのことだったろう。
真央霊術院にいた頃、日番谷は優等生であったが、同時に自らの莫大な霊力に、悩まされてもいた。
特に氷輪丸を得てからは、その力はあまりにも強大すぎて、他の院生達のそれから飛び抜けすぎていて、上の者達も扱いに困っていたようだった。
とんとんと進級してゆく日番谷は同期の者達から離され、上級生をも抜いてゆき、何もかも特別に扱われた。
個室をあてがわれたのも、その一つだった。
理由はいくつもあって、どの学年にも長くいないことや、霊力が強すぎて、他の院生達と共に過ごすには不都合が多いこと等があったが、その為にいつも日番谷は、ひとりだった。
とてつもない霊力を持っていたとしても日番谷はまだ子供で、悩みや苦しみがなかったわけでもなく、それを分かち合う友人がいなかったことも、更に日番谷を孤独にさせ、苦しめていた。
当時特に苦しんでいたのはその力の制御やコントロールで、なまじ力が強い為に、少し誤ると他人に与える被害も大きいこと、常に気を緩めることなく力を抑えていないといけないことで、日番谷は精神的にも肉体的にも、かなりまいっていた。
日番谷があてがわれた部屋は霊的な力を封印する施しをされていて、そこにいれば少しは気が抜けることが、唯一の、わずかな安らぎだった。
その日も日番谷は稽古が終わると一人遠くの荒地に向かい、荒れ狂う自身の霊圧を解放し、制御する訓練に必死になっていた。
腹の底にはまだ解放されていない未知の力が潜んでいることを自分で感じるのに、制圧できない恐怖から、無意識にそれを抑え込んでいて、引き出すことができない。
事実、それを出してしまったら、実際に自分の力では制御できないだろうとも、容易に予想ができた。
まだ今は。
まだ今は、内に潜んでいる力どころか、勝手に溢れ出てくる巨大な霊圧に自分自身がもみくちゃにされぬよう、なんとか意のままに操る術を会得することで、精一杯だった。
平和な日常生活を送る分には、差し障りがないくらい制御はできる。
疲れはするが、ほとんどを抑えてしまえばいいだけだからだ。
だが、闘うとなると、力を出しつつそれをコントロールせねばならない。
力任せに霊圧を放出するだけでも、これだけの力であれば相手を倒すことはできるだろうが、それでは単独での戦闘しかできなくなるし、戦える状況も限られてきてしまう。
まだまだ感情の揺らぎとともに霊圧が漏れ出る日番谷は、元来の性格に加えて、ますます感情を表に出さないようになってきた。
それが余計に幼い少年の外見とそぐわないらしく、異質なものとして、院内ではいっそう孤立を深めることとなってしまっていた。
唯一心を開けた友も、斬魄刀を手に入れると同時に失った。
こんな力など与えられても、いいことなど何もないのに。
目の前にはただどこまでも続く、厳しい茨の道があるばかり。
それでも日番谷は進むしかなくて。
精も根も尽き果ててしばしその場に倒れてから、ようやく日番谷はのそりと起き上がり、くたくたになって部屋に帰り、ばたりと布団に倒れ込んで、色んなことを考えていた。
死神になることの意味。
自分の力の意味。
いやがうえでも強くなるしか、道はないということも。
目を閉じると瞼の裏に浮かぶのは、そんな自分でも受け入れてくれた、お日様のような幼馴染、優しい祖母。
自分の存在に、この力に、何か意味があるとすれば、そのかけがえのないものを守ること。
守りたい何かがあるということは、幸せなことなのだと…、
じっとそんなことを考えているうちに、ふと何かの気配を感じて、目を開けた。
「あらあら、力感じて来てみたら、なんや可愛え子供が寝てはる」
目の前の真っ白な生き物が、人間の言葉でそう言って、日番谷の顔を覗き込んできた。
「う、わあっ、な、なんだ、お前!」
びっくりして飛び起きると、目の前の白い生き物は大きな尾をふわりと揺らして、踊るように右に跳んだ。
「あかんて。そない簡単に動揺してもうたら、霊圧揺れて、漏れてまうで」
「狐がしゃべった!」
目の前のそれは、どう見ても、狐だった。
しかも大きくて白く、言葉をしゃべる。
「どこから入った、お前!」
「キミの霊圧、外まで漏れとるで。漏れとるゆうことは、入ることもできるんや」
「答えになってねえ!俺に何の用だ」
白い狐は日番谷の言葉に小首を傾げ、別に、何も、と答えた。
「呼んだのはキミの方やろう。子守唄でも歌ってあげたらええやろうか?」
「バカ言うな、呼んでねえぞ!子供扱いするな!」
「子供やないんやったら、そないな霊圧漏らさんといて。人様とお話しとる時に、お行儀悪いで、キミ」
「…ッ、今、抑える!」
冷静にならなければ、と、日番谷は焦った。
動揺するから、溢れてしまうのだ。
得体の知れない生き物を目の前にして、防衛本能が働いていることもあるかもしれない。
その得体の知れない生き物は、小さなその身体には巨大すぎる霊圧を必死で抑えている少年を冷静に見ていたが、
「腹の底にな、門を作るんよ」
大きな尾をふわりふわりと揺らしながら、日番谷の発する霊圧を避けるように、右に左に飛び跳ねながら言った。
「門?」
「その奥に全部閉じ込めて、お尻を乗っけてしまうんや」
もしかして、霊圧の制御の仕方を教えてくれているのだろうか。
狐が?
「その方法は、教官に教えてもらった。やってみたけど、うまくできなかった」
日番谷が言うと、何故か狐はころころと笑い転げた。
「教官、教官てキミ!あいつらの言うこと聞いてはるんか。どんだけ真面目やねん」
「な、なんだよ、何か文句あんのか!」
どうして狐にバカにされなきゃいけねーんだ、と腹が立つが、白い狐は笑い転げながら、踊るようにくるくると跳ね回っている。
「あいつら、キミほどの霊圧もあらへんで。そないなもんに教えてもろたて、うまくいかへんに決まっとるやんか〜」
「そ、そんなことはねえ。力の大きさが違うだけで、術とかそういうもんの使い方は、同じだろう?」
確かに、日番谷よりも力が弱いことは感じていたが、それでも日番谷に色々教えてくれる先生であることには違いない。
今の日番谷には唯一頼れる大人で、霊力がいくら強くてもまだ子供の日番谷には、とてもとても大切な存在なのだ。
その教官をバカにされて、さすがの日番谷も本気で腹を立て、ムカつく狐の尻尾を掴んでやろうと、素早く手を伸ばした。
「大きな力を手なずけるには、それなりのコツがいるんよ」
日番谷の手をひらりとかわし、狐はぴょんと跳ね上がると、日番谷の腹の上に無遠慮にその前足を乗せて、押し倒してきた。
「何しやがる!」
思わず言って払いのけようとするが、前足をちょんと乗せただけの狐の身体は、ビクともしなかった。
「どかせるもんなら、どかしてみい。キミのその、無駄に大きいばかりの霊圧で」
「言ったなこの野郎!」
頭にきて、ありったけの霊圧を、狐の足の乗ったところに集中する。
するとまるでその白い前足にまとめられたように、荒れ狂っていた霊圧が、すうっとそこに収まった。
「あっ…」
「ひゃあ〜、冷やっこい霊圧やなあ。しもやけになってまいそうや〜」
まさか、自分のこの霊圧を、こんな狐が抑えてしまうとは。
「やっぱりや。門の向こうに、キミ、網張っとる?」
「網?」
「大きな網を、一面に張り巡らすイメージや。目は大きくても構わへん。小さい力は、スルーや」
「それじゃ、結局漏れ出るじゃねえか」
「せやから、門があんねん。大きな戦いの時くらいしか使わへん大きな力は、大きな網で、とりあえず抑えとく。日常で使う霊圧だけ、門を開閉して使う。おっきな力もちっちゃな力もいっしょくたやから、消耗すんねん」
「…ふうん、網か…」
「キミの教官はおっきな網で抑えとくほどのもん持ってへんよって、小さな門だけで制御しろ言わはるんや。抑えるもんの大きさちゃうんやから、そら、無理やで」
まるで、自身も強大な霊圧を持つ死神みたいに。
さらりと言い、そしてやってのける狐に、日番谷は暴れるのをやめ、じっとその顔を見上げた。
「…お前、どこから来たんだ?」
「お山の上から」
「マジで聞いてるんだけど」
本当に真剣に聞いているのに、狐はひゃひゃひゃと変な笑い方をして、尾を大きく振るばかりだ。
「名前、なんていうんだ?」
「キミは?」
「日番谷冬獅郎」
「おおー、なんや、立派なお名前やね。大物になりそうなお名前や」
「茶化すなよ。お前の名前は?」
重ねて聞くと、狐はニッと笑ったまま、腹の上の前足をそっとどかした。
「狐に名前なんあれへんよ?」
前足をどかされても、まだ日番谷の霊圧は、そこにまとめられたままだった。…狐の霊圧に、くるまれるように。
それを確認すると、狐はそのまま踊るような身のこなしで、窓の方へ下がってゆく。
「おいっ…」
「その感覚、覚えときや」
狐が尾の先で障子を開くと、眩しい月の明かりが部屋に射し込んできた。
逆光になって暗く陰った狐の顔は、後ろ脚で立つそのシルエットは、どこか神秘的で、美しく見えた。
「ちょっと待てよ、お前は、一体…」
「残念ながら、タイムアウトや。ボクもう、お山に帰らなあかん。また来るよって。さいなら」
くるっと空中で一回転したと思ったら、狐は文字通りその場で消えてしまい、日番谷は驚いて窓の下に駆け寄った。
なだらかな峰のように続く、家々の屋根から屋根へ。
白い狐が月の光を受けてキラキラとその毛並みを輝かせながら、飛ぶように遠くへ去ってゆくのが見えた。