.


神隠しの杜−14

 市丸はしばらく黙って日番谷を見ていたが、やがて気乗りしない声で、
「キミの中の虚を取り出して、直接炙り出してみたらどうやろか?」
「どうやって出す?」
「キミの中に手を入れて」
 言われて瞬間警戒して、市丸との距離を更にとった。
 市丸はため息をついて、
「変な意味やないよ。霊気の手ぇや。ボクはボクの霊圧を探って、キミの門の中へ入る。キミはキミで門を開けて、一緒に中を探したらええ」
 市丸が、自分の中に?
 考えただけでゾッとして、日番谷はキッと市丸を睨んだ。
「絶対に嫌だ。他の方法を考えろ。それか、俺がひとりで探す」
「ボクに入られるの、怖い?」
 挑発しているわけではないらしく、能面のような顔で、市丸が聞いた。
「怖いわけじゃねえ。でも、入れさせねえ。お前には、二度と」
 痛烈な拒絶に、市丸は少しだけ表情を曇らせた。
 まるで、本当に心を痛めたみたいに。
「自分で探すのは、難しいねん。自分で作った堰の向こうの、自分の莫大な量の霊圧の海の中に沈んでる、ちっちゃなゴミみたいな霊圧やから。自分に埋もれてまうねん」
「だからといって、テメエは入れねえ。絶対に」
 市丸は小さく、息をついた。
「せやったら、ボクがナビだけするいうのは?」
「どうやって?」
「中には入らへん。ボクの霊圧で、キミを包」
「冗談じゃねえ。包まれてたまるか」
 言葉が終わらないうちに撥ね付けた日番谷に、市丸はまた、切なそうな顔をする。
 今度は何を言ってくるかと身構えるが、それきりしばらく市丸は黙ってどこか遠くを見るような目をしてから、
「…狐の話、してへんかったね?」
 静かな声で、言ってきた。
 狐の話とは、もちろんあの白い狐のことだろう。
 そういえばまだあの詳細を聞いていなかったと思い、日番谷が顎で先を促すと、
「前にボクがあの虚を討伐しに行った時…、死にかけた虚がお山の霊気の中に逃げ込んで、小さな珠になったんよ。ボクはそれを手に取って、ああ、お山が珠にならはった思うた。虚の霊気はほんのちょっとで、ほとんどお山やったから」
 日番谷は慎重に市丸の顔を見ながら、慎重にその話を聞いた。
 少しでも矛盾をみつけたらすぐに指摘してやろうと思って。
「ボクはそれがとても気に入って、ボクの霊圧で包み込んで、こっそり持って帰ったんや。死にかけた虚の霊圧なん、いくらでもどうにでもなると思うた。…せやけどそいつはもともと獣と融合しとるよって、いつの間にかお山の霊気と、ボクの霊気を吸い取って、…そこに、ちょっとした形を作ったんよ。…狐の形や」
 日番谷はピクッと顔を上げ、白い狐を思い出す。
「それじゃ、お前が狐の姿で現れたのは…」
「ええ気持ちやったなぁ。ボクがそいつの中に滑り込んだら、そいつは珠から飛び出して、大きな白い狐になったよ。ボクはその狐の姿で、夜空を思い切り駆け抜けたんや。軽くて、自由で、どこまでも行ける思うた」
 懐かしそうに遠くを見る市丸の顔に、あの白い狐の顔が重なった。
 市丸であって市丸でない、あの狐の顔が。
「ボクは楽しくて、楽しくて、ほんまにどこまでも駆けていったら、誰かの霊圧を感じたんや。大きくて強いのに、頼りなくて泣いとるような霊圧やった」
 ドキリとして、日番谷は思わず息を詰めた。
「それでいて生命力に溢れとって、キラキラ輝いていて、惹き付けられずにはおられへん。ボクはその霊圧をたどって、なんや見覚えある建物に入ってみたら、ちいちゃな男の子が倒れとってな。その子は、ちっちゃいけど、その目は子供やないねん。せやけど、大人でもないねん。ボクは……」
 少しでも心を乱したら表情に出てしまうと思って、日番谷は懸命に気持ちを抑えた。
 本当はドキドキしている心臓の音が、お堂中に響いているんじゃないかと思っていた。
「…ボクは、気が付いたらその子とまた会う約束してもうてた。あんまり狐の姿になってたら、あかんてわかってたんやけども。いうてもお山と虚の霊力が融合した身体やったから、ほんまは一晩潜り込んで遊ぶだけのつもりやったんや」
 鋭い日番谷の頭脳は、それを聞いて、すぐさまそれが、あの虚を復活させた原因になったのだろうと、読み取った。
 あの虚は取り込んだ霊気をこの山へ送るのだと、さっき市丸が言っていたから。
 その事実は、日番谷の胸を締め付けた。
 気紛れに遊びに来ていると思っていた狐が、そんな危険を冒して毎夜自分のところに来てくれていたなんて。
 そしてそのことがあの虚復活につながり、市丸を困った状況に追い詰めてしまったのだ。
 あの不安定だった、弱かった自分が、市丸を苦しめ、自らをあの狂った夜へと導いてしまったのだ。
 言葉にはしなかったけれども、全身で、また来てくれと狐に訴えてしまっていたから。
 すがりつくみたいに、狐に心を寄せてしまっていたから。
 市丸は、それを見捨ててしまえなくて、……
 あまりにも早く日番谷がそこまで読んだことを市丸もすぐに気が付いて、市丸は困った顔をして、そっと日番谷に、その指の長い手を伸ばしてきた。
「そないなお顔せんといて。これはな、ちっちゃな恋のお話やねん」
 絶対に触れさせないと思っていたのに、その手が伸びてきたら、日番谷はそれを払うことはできなかった。
 その日番谷を惹き付けてやまない手と、思いも寄らない、けれど抗えない力を持った言葉に包まれてしまったから。
「恋?」
「そうや。…笑わんといてな?ボクはその子に会うてから、魔法にかかったみたいになってもうて、足元がふわふわして、もう、正気やないねん。その子が気になって、気になって、あかんわかっとるのに、狐にならずにはおられへんねん。毎日毎日、これで最後や、今回きりやと思いながら、毎晩毎晩、狐になんねん。…狐になって、たくさんの屋根を越えて、その子に会いに行くねん」
 大きな手が日番谷の手をぎゅっと握って、本当に恋したみたいな声で、囁くように言ってくる。
 日番谷は、まるで愛の言葉を囁かれているような、呪文をかけられているような気分になって落ち着かないのに、もっと、もっとその気持ちを味わいたくて、ただ息を詰めて、じっと市丸を見て、じっとその言葉を聞いていた。
「せやけどやっぱり、あかんかったんや。とうとう虚はほんまにあのお山で復活してもうて…、ボクは、他のもんにそれを気付かれる前に、どうにかしておく必要があった。急がなあかん理由もあった。…ボクは、もう少ししたら、五番隊の副隊長から、三番隊の隊長になることが決まってたんや。このお山が、自分の管轄区やなくなってまうんよ」
 日番谷はハッとして、目を見開いた。
「ここは、五番隊の管轄区なのか!」
 考えてみたら、当たり前だ。五番隊の副隊長が虚討伐に向かう先は、五番隊の管轄区に決まっている。
「あの時はな。それからしばらくの間も、五番隊の管轄区や。せやからその後は、ボクにはどうにもできへんようになってもうた。…今度の管轄区の入れ替えで、三番隊の管轄になるまでは」
「!」
 今度の管轄区の入れ替えで…、そんな都合よくいくものだろうかと日番谷は思って、もしかしたらそれは偶然ではないのかもしれないと、思い至る。
 裏工作のうまそうな男だ。
 もしかしたら、なんとかして自分の管轄区になるように、あらゆる手立てを使ったのかもしれない…。
 初めて日番谷が三番隊へ管轄区の話をしに行った時、そんな小さな磁場になど興味はないと市丸は言った。
 あれも、もしかしたら、…自分はこの山を手に入れたのだから、と続いていたのかもしれない。
「…キミは、どうしてあれからボクがキミのところへ行かなかったのか、それを気にしてはったよね?」
「…気にしていたわけじゃ…」
 そんなふうに言われると無性に恥ずかしくて、あれは間違いだったと言いたいくらいだった。
 でも今更言い訳みたいなことを言うのもやっぱり恥ずかしくて、日番谷がモゴモゴと言うと、市丸は握っていた手にいっそう力を込めて、
「行かなかったんやない。行けなかったんや。ボクは…ほんまはキミを、帰すのもイヤやった。いっときやって、離れたくなんなかった。…せやけどな、キミは朝になっても目を覚まさなくて、ボクはそれからしばらくの間、大がかりな任務に駆り出されてもうた。その上、なんや最近ボクの様子がおかしいて、当時のボクの上司が、怪しみ始めてもうたんよ」
「当時の…藍染か」
 頬が火照るのを隠すように、ことさら重々しく、言ってみる。
 心の中では、市丸が前半に言った言葉が、何度も何度も繰り返されていた。
「そうや。なんもかんも、ボクがこっそり、勝手にしたことやったから。ボクが隠れて何しとるんやて、あの人、目を光らせ始めたんや。ボクは、…、ボクが、キミが記憶失うてるて知ったのは、その頃やった。それを知ってボクは、……」
 市丸は言葉を切って、切なそうに、じっと日番谷を見た。
「堪忍な。ボクは、キミとのことを、他の誰にも汚されたくなかった。永遠に、ふたりだけの秘密にしておきたかった。キミは大切な時期やったし、ここで無理に近付いて、思い出させても、ええこと何もないように思えたんよ。…せやけど、ボクがそうしてキミに近付けないでいる間に、キミは、よりにもよって、一番隊に入ってもうて」
 本当に苦悩したみたいに、市丸は重いタメ息をついた。
「なんとか三番隊に入れたろう思うてたのに、じいちゃん職権乱用やねん。キミのこと欲しいて思うてた隊長さん達、みんな一斉にタメ息や。さすがのボクも、あそこには手ぇ出されへんし、そん時のボクの気持ち、わかるやろか」
 ドキドキしすぎて、市丸の言葉におかしなところがないかどうか、考えられるほど頭は回らなかった。
 ただ、自分が願っていた通りに、市丸が自分をどうでもいいような扱いをしたのではなかったということが嬉しくて、それを信じてしまいたい欲望に勝てなくなってしまう。
 そんな気持ちは、必死で押し殺したけれども、成功したのかどうかは、わからない。
 市丸はそんな気持ちさえ覗き込むように、じっと日番谷の目を見て、
「せやけどキミは、十番隊の、隊長さんになった。そして今、みんな思い出して、こうして再び、ボクと会うてる」
 そのことに、とてもとても深くて重要な意味があるように、この時を待ち望んだみたいに、重々しく、市丸は言った。
「…何かまだ、聞きたいことはあるやろか?」
 ある。
 聞きたいことが、ある。
 聞きたくて聞きたくて仕方がないのに、口が裂けても聞けないことが。