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愛して、温めて−4

 突然部屋を震わせるほどの鋭い声が飛んできて、飛び上がったのは、平子の方だった。
 ふたり同時に振り返ると、いつの間に入ってきたのか、そこには見たこともない男が立っていた。
「わ、ちょ、日番谷ちゃん、勘弁してやもう〜、誰もおらへん言うたやんかー!」
「誰もおらへん思うて冬獅郎にいたずらしに来よったんか!」
「ちょ、誤解、誤解やから、あかん、またな、日番谷ちゃん!」
「ひ、平子…!」
 何がなんだかわからない中、平子は脱兎のごとく家を飛び出していった。
「おい、ちょっと、俺、こんな奴知らね…」
 とりあえず、平子に襲われかけていた?ような状態だったので、ホッとしたのも確かだった。
 だが日番谷は、突然現れたこの男が誰なのか、わからなかった。
 当然のように日番谷の家に入り込んでいる見も知らないはずのこの男は、この上なく堂々とした態度で、何故か日番谷の名前を知っている。
 平子も、この男が日番谷やこの家をよく知っている身内のような態度で現れたので、保護者のうちのひとりなのだと思って、ビビッて逃げたのだ。
 そうでなかったら、いくら間の悪い時に現れたからといって、少なくとも平子は日番谷の許可を得てこの部屋にいるのだから、不審者として追い出されるのは、突然人の家に入り込んできた、この男の方のはずだ。
(し、親戚にいたっけ?それとも親の知り合いか?)
 必死で記憶を辿ってみるが、どうしても思い出せない。
 スラリとしてはいるが、背がとても高く、体格もそれなりにいい。
 それだけでも存在感があるのに、見たこともない狐顔だ。
 こんな独特な顔をした男を、忘れるとも思えないのだが。
 それにこのへんでは珍しい、平子のような関西弁、つまり土地の者ではない。
 両親の友達にしては若すぎるように見える。
 まだ大学生か、もう少し上くらいだろうか。
 それとも雛森家の知り合いなのだろうか。
 日番谷が必死でぐるぐる頭を回転させているうちに、男は平子を追い立てるように玄関まで出て行っていたが、すぐに戻ってきて、にっこりと笑った。
「危ないところやったね?あないな男をお部屋に上げたりなんしたら、あかんで?」
「あ、いや、その、平子は友達だから。なんか、変な展開になったけど、悪気はなかったと思うし」
「ズボン脱げ言う男なん、庇ったらあかんよ。完全に狼の目ェやったで?友達ちゃうわ。男の目やわ」
「…違うんだ、俺、その、教えてほしくて」
 何を、とは言えなかったが、男は言わなくてもわかっているようだった。
「そんなん、ボクが教えたるし。ゆうか、教えてあげよう思うとったんに、キミ、途中で逃げてまうし」
「…はあ?あの、俺、あんたのこと、知ってるんでしょうか…」
 とうとう勇気を振り絞って、核心に迫ることを聞いてみた。
「冷たいこと言わはるんやねえ。キミ、ボクのことわからへんの?」
 とたんに淋しそうに言われて、申し訳ない気持ちになる。
「わ、悪ぃ、ど、どこで会ったかな?」
「毎日、ここで。そうや、名前教えてへんかったね。ボク、市丸ギンいうんよ。ギンて呼んでな?」
「はあ?」
 ここで会っていながら、今初めて名前を名乗るというのは、どういうことだろう。
(もしかして、ネットで会ってたのか?)
 といっても日番谷は出会い系統のサイトを使ったことはないし、チャットもしない。
 掲示板にハンドルネームで書き込みをしたことはあったが、この男が日番谷の名前を知っている理由にはならない。
 日番谷が戸惑っていると、市丸はにっこりと微笑んで、
「まだわからへん?ボクは、このこたつやねん。毎日キミに可愛がってもろうて、恋してしもうたんよ?」
「はあ?」
「電化製品や思うてバカにしたらあかんで。超高性能やねん。恋かてするし、恋したら、人間の姿にもなるよ?」
 そろそろ日番谷は、ヤバいと思い始めていた。
 ヤバい。この男は、頭がおかしい。
 じりじりと後ずさりながら、日番谷は電話で警察を呼ぶか、隣の雛森家に駆け込むか、どちらにしろこの男の隙をつく方法を、必死で考えていた。
「ボクらは倉庫で出荷を待つ間、どないなご主人に買われていくんやろうて、毎日ドキドキ待っとるんよ。とうとうボクの番がきて、初めてこのおうちに連れてこられてキミを見た時、どないな気持ちやったか、わからへんやろうね?初めてキミのその可愛え可愛えあんよがボクの中に入ってきた時、どないな気持ちやったか、わからへんやろうね?」
 ヤバいどころじゃない。この男は、頭がおかしいだけじゃなくて、変態だ。
 まだ平子の方がマシだったような気がして、日番谷は思わずゾッとした。
 少なくとも、平子は興味本位と、年長者として大人の世界を子供に教えてやろうという、男の世界ではよくあるだろう行為をしようとしただけだ。
 だがこの目の前の男は明らかに、日番谷を性的な対象としてロックオンしている。
 頭のおかしなことを言い、いつの間にか日番谷の個人的な情報を得、その家まで堂々と入り込んで、当然のように不埒な行為に及ぼうとしているのだ。
「バカなこと言ってんじゃねえ。こたつは、ここにあるじゃねえか」
 とりあえず、突っ込むところは突っ込んでおかないと気が済まなくて、こたつを中心にして市丸と反対側に位置を保ちながら、日番谷は言った。
「そうやね。これは、ボクや。この身体は、いわばキミに恋する魂が、実体化したみたいなもんやから。この身体やないと、キミのこと、最後まで愛してやれへん。満足させてやれんと、キミが逃げてもうた時は、ほんまに辛かったんよ?」
「な、何言ってんだ、こたつがそう簡単に人間になってたまるか!」
 日番谷が叫ぶように言うと、市丸はフッと柔らかく笑った。
「そうやね。その通りや。ボクの気持ちがどれくらいのもんか、それでわかってくれるよね?」
「てゆうか、お前、どこから入った!玄関には、鍵がかかってたはずだ!」
「せやから、ボクは最初から、ここにおったんやて。…この部屋にはエアコンもストーブもあれへんのに、キミは毎日ここに来てくれはったよね?エアコンはキーキー言うとったけども、ボクはそれが嬉しゅうて、誇らしかったんよ。キミは毎日夜になったら寝るためにお部屋に上がっていってもうてたけども、初めてキミがボクの中で眠ってもうた時は、ほんまに嬉しかった。キミが風邪引いてしまわんように、ボクは一晩中、そらもう一生懸命、温度調節しとったんよ?」
「ななな、なんだ、ソレ?!」
 恐ろしいほどに、電化製品的なセリフだ。
 それに、ストーカーにしても日番谷の毎日について、詳しすぎる。
 どこかに監視カメラか盗聴器でもあるのかと、思わず日番谷は部屋を見回した。