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眠れる森の氷の王子様−3

 誰かの霊圧が、近づいてくる…
 風邪をひいて霊力のコントロールがうまくできなくなってから、ここまで来れたのは、卯ノ花だけだった。
 だが今回近付いてきているのは、卯ノ花じゃない。
 熱でぼうっとしながらも、誰かが近付き、戸を開けるのを、日番谷は布団に寝たままで、ぼんやりと見ていた。
「…んん?雪だるま…?」
 すうっと開いた戸の向こうから、白くて丸いものが、のっそりと入ってきた。
(な、なんで雪だるまが入ってくるんだ?これは夢か?熱のせいで、幻覚が見えてんのか?)
 入ってきた雪だるまは、日番谷を見ると小首を傾げ、嬉しそうに、
「こんにちは、十番隊長さん。お加減は、どないですか?」
「い、市丸ゥ?!」
 その声とそのイントネーションは、間違いなく市丸だ。
 びっくりして目をこすっていると、市丸はぽてぽてと近付いてきて、
「風邪ひかれたて聞いて、お見舞いに来ましたんよ?まだお熱ありそうやね?大丈夫?」
 近くで見ると、確かに本当に、市丸だった。
 目を疑うほどの重装備に、体型まで変わって見えただけだ。
 その有様を上から下までまじまじと見た日番谷は、この状況も忘れて、思わず吹き出してしまった。
「ぶはっ、なんて格好してんだテメエ。ま、丸い、丸すぎる…マジで雪だるまが来たかと思った…!」
「そない笑わんといて〜。最初はボクもやりすぎや思うたけど、こうでもせんと、ここまでよう来られへん。命懸けて来た男見て、笑わんといて〜」
 笑わんといてと言われても、無理だ。
 何枚着たらそこまでまん丸になれるのだろうと思ったら、笑えて笑えて、気持ちが悪くなって、吐きそうになってしまった。
「お、おええ〜〜」
「ほら、人のこと笑うから、バチ当たった」
 言いながらも市丸は水を汲んで来て、日番谷に手渡してくれた。
「ほら、飲み」
「う、すまん…」
 とりあえず水を飲むと、少し落ち着いた。
 飲み残した水がコップの中ですぐに氷になるのを見て、日番谷は市丸を見上げると、
「…まだ、外は凍ってんのか?」
「外だけやなくて、中も凍っとるよ?」
「お前、大丈夫なのか?」
「大丈夫やないから、こない着ぶくれとんねん」
 また笑いそうになったが、少しだけことの大変さを感じ取って、日番谷は笑うのを堪えた。
 市丸は日番谷の様子を見てから、なんとかその重装備で日番谷の枕もとに座ると、
「お粥作って持ってきたんよ。土鍋やからまだあったかいと思うけど、置いといたらすぐ冷めてまうよって、食べられそうやったら、食べや?」
「いらねえよ、テメエの作ったものなんか、食えるか」
「おいしいんよ。ネギもぎょうさん入ってて、風邪に効くんよ?」
「絶対食わねえ。ネギ以外に何入れたか、信用できねえし」
 というよりも、今この本調子でない時に、あまりそばにいてほしくない。
 ゆっくり休みたいのに気が抜けないし、何をされるか心配しているだけで、疲れてしまう。
(松本はどうしたんだ。どうしてこんな奴、中に入れるんだ)
 何かあったら、卯ノ花を呼ぶことになっていた。
 市丸が強行突破したなら呼んでくれるはずだし、来ないということは、松本も承知なのだろうか。
 市丸なのに?
 憤然と睨み付けると、市丸は困った顔をした。
「入れてへんて〜。もう、信用ないなあ、ボク」
「日頃の行いを反省して、さっさと帰れ」
「いやや〜。ここまで来るのに、どれだけ大変やったと思うとるん?」
「知るか」
 どうせ弱っていて、今がチャンスとでも思ったのだろう。
 日頃されてきた数々の痴漢行為や迷惑なほど強引なアプローチを思い出して、日番谷は無意識に冷気を強めた。
「う、寒っ」
 市丸はまん丸な身体を更にまん丸にして、ブルッと震えたが、帰ろうという素振りは見せなかった。
 代わりに冷気に包まれ、冷凍庫の中のような部屋を見回して、
「四番隊長さんは、今日はもう来はらんの?」
「…あいつも、そうそう、暇じゃねえ」
 二人きりを確認されたと思って、思わず日番谷は警戒して、ますます部屋の温度を下げた。
「乱菊も、ここまでは来られへんみたいやね?」
「何かあったら、卯ノ花を呼んできてくれることになってる」
「キミにご執心の十三番隊長さんも、今日は具合悪いみたいやし」
「何が言いたいんだよ」
 いつもただでさえ考えていることがわからない顔なのに、今日は更に大きなマスクをし、マフラーを巻いた上、裏側にふわふわの毛のついた上着のフードをしっかりと頭にかぶっているので、何を考えているのか、表情が全く読めない。
 まん丸になるほど着込んだ服も、動きが読みづらくて苛立った。
 熱でふわふわしながらも、なんとか集中して隙を作るまいとしていると、市丸は思いがけず静かな優しい、それでいて真剣な声で、チカラ強いいうんも、難儀やね、と言った。
「風邪なんひいて弱っとる時は、誰かにそばにいてほしいもんやろうに。この力のせいで、誰も近付かれへん。こないなところで、ひとりぽっちで、治るもんも治らへんなあ。…キミ自身は、寒ないん?大丈夫なん?」
 思ってもみないことを言われて、日番谷はびっくりした。
 市丸はまるで本当にそう思っているみたいで、…するっと懐に入り込まれたみたいで、…姿が雪だるまじゃなかったら、うっかりドキッとしてしまうところだったかもしれない。ちょっと危なかった。
「いや、俺は…布団の中だし、自分の熱で、熱いくらいだ」
「そうなん」
 答えて市丸は、ただじっと座っている。
 そうされると居心地が悪い気がして、日番谷はため息をついた。
「…わかった、粥、食ってやる」
「え、ほんま?」
 せっかく作ってきたのに日番谷が食べないから、来た甲斐がないというか、何かしてやった感が満たされなくて、帰れないんだろうと思った。
 日番谷が粥を食べれば、じゃあ、そういうことで、と、帰ることになるだろうと思った。
 日番谷が言うと、市丸はいそいそと、持ってきた粥を椀に盛った。
 凍りついた部屋の中で、鍋や椀から湯気が立っている光景が、不思議に見える。
 そのまま椀を渡すかと思いきや、市丸は突然顔を覆っていた大きなマスクを外すと、粥をさじにすくって、ふうっと吹いて冷ました。
「はい、あ〜ん」
「バ、バカか!」
 動揺したのは、主にその行為に対してではなかった。
 マスクを外した市丸の口からこぼれ出た息が、見る間に空中で凍って、キラキラと結晶になって落ちたからだ。
 鍋や椀や、市丸の身体そのものは、おそらく彼がその霊力で覆いをし、冷気から守っているのだろう。
 だがいったん彼の身体から出て行った空気は、その庇護から離れ、一瞬にして日番谷の冷気で凍りついたのだ。
 自分は熱で火照っていたし、自分の冷気なので、着ぶくれた市丸を見ても、今この部屋がどれほどの温度になっているのか、よくわからなかった。
 だがどうやらとんでもないことになっているらしいと、それを見てようやくわかった気がした。
「なんやの、バカてひどいわ。キミ、起き上がれもせえへんのに、どうやって自分で食べるつもりやの?普通やん、こんなん」
「…お前、大丈夫かよ?」
「え?何が?」
「…いい。一人で食えるから、もうお前、帰れ」
「え〜、ええやん、『あ〜ん』くらい!」
(そういう問題じゃねえんだよ!)
 まん丸な市丸の姿はあまりに緊張感がなくて、命を懸けて来たとか、大変だったと言われても、いまいちピンとこなかった。
 熱で頭がよく回らないせいもあったかもしれない。
 マスクを取ってその大きな口が見えると、雪だるまが突然市丸になったような気がして、少しドキドキした。
「…じゃあ、ちょっとだけな」
「え、ほんま?」
 少しだけ、市丸の誠意に応えてやろうという気持ちになった。
 何を考えているのかわからない市丸だが、ここまで来るだけでも、半端な気持ちではできまいと思った。
 ほんの少しでも相手を信用したとたん、市丸が言ったとおり、今誰かがそばにいてくれるということそのものが、とても安心できることに感じてしまったせいもある。
 日番谷が答えてためらいがちに口を開けると、何を思ったか突然市丸ははめていた分厚い手袋を外した。
 雪だるまの手から突然ほっそりした市丸の手が出てきて、またも日番谷はドキッとしてしまう。
 市丸が妙に真剣な顔をしてさじを差し出してくるので、余計に緊張してきてしまう。
 温かくてよい匂いのする粥が唇に近づいてきて、口に含むと、素朴な味が口に広がった。
 まだあまり食欲はなかったが、するりと腹に入ってゆく、あっさりした味だった。
「ん、うまいな」
「ほんま?よかった」
 続けて数回口に運ばれると、少し慣れて、身体も安心して、ホッと力も抜けてくる。
 こんな粥が、どうしてこんなにおいしいんだろうと思って、日番谷はさじを口に入れながら、チラリと市丸を見た。
 目が合うと、市丸はあまりに真剣な顔をしていて、ちょっとびっくりする。
 その瞬間、…なぜか、そのさじで市丸の手と自分の口がつながっている…なんて、ちょっと艶かしい妙なことを考えてしまって、動揺した。
「あっ、…俺、もういい…」
 慌てて粥を飲み込んで、さじを口から出して顔を背けると、
「もっと食べなあかんよ」
 次の粥が容赦なく突きつけられてきた。
「も、いぃ…って、…」
 答えるために口を開けると、すかさず中にさじを入れられてしまい、日番谷の拒絶の言葉は、ムグ、というような声になって、粥と一緒に喉に落ちた。
 ケホッと咳をすると、ようやくさじが口から抜かれたが、またすぐ次の粥が差し出される。
「もぅ、いらねぇ」
 答えたらまた口に入れられたので、日番谷はさじを入れたまま、ぎゅっと口を閉じて市丸を睨んだ。
 市丸も息を詰めるようにじっとみつめてきていたが、日番谷がさじを咥えたまま口を開かないでいてやると、やがてふっと息を抜いて、あかん子や、と言った。
 そのまま目を逸らし、黙り込んでしまうので、日番谷は布団から手を出して市丸の手からさじを取り、口から出した。
「ボクのせっかくのお粥やのに」
 落胆したように言うその市丸の掠れた声が、何故か日番谷の鼓動を煽って、少し息苦しくなった。
「…また後で、食べる」
「そう?」
 日番谷が譲歩すると、市丸は静かに答えてようやくこちらを向き、日番谷の手から、優しい仕草でさじを取った。
 ふわっと触れてきた市丸の細い指先が、ひんやりと日番谷の指をかすめてゆく。
「…冷たいな、お前の手」
「今ここ、何度やと思うとるの、キミ?ボクの指しもやけになってもうたら、キミのせいやで」
「悪かったな。だったらさっさと帰れよ。粥も食ったし」
「あかん。半分も食べてへん」
 憎まれ口を叩いても、市丸は笑うだけで、怒って帰ったりはしなかった。
「それに、こういう時は、ひとりでおったらあかんよ…?」
 市丸が何かをしゃべる度、白い息が舞い上がり、キラキラと凍って散ってゆく。
 それを見ていたら、市丸の手が伸びてきて、そっと額に当てられた。
「あは。キミのおでこが一番あったかい。安全地帯や」
 大きな手が額にかぶせられると、ひんやりと心地良い冷たさに、自然に瞼を閉じてしまった。
 自分の熱が、市丸の手に移ってゆくのがわかる。
「…気持ちいい…冷たくて…」
 無意識に言ってしまってから、ハッとした。
 市丸の手が気持ちいいなんて、何言ってるんだろう俺、と思うが、自分で動揺して固まってしまい、フォローの言葉も出てこない。
 市丸も何も答えないので、「なんか言えよ!」と心で叫んだ声が聞こえたのか、
「…やったら、お手々も」
 そうっともう一方の手が伸びてきて、日番谷の手を包み込んできた。
「…こうしとっても、ええ…?」
 その握り方や言い方が、市丸とは思えないほど遠慮がちで、初恋中の中学生みたいに純粋なものを感じて、日番谷はうっかり、振り払うのも忘れた。
 目を閉じていると、市丸のその大きな冷たい手の感触ばかりに意識が集中してしまって、頬がますます熱くなる。
 肌が触れ合うということは、心の距離も、ぐっと近くしてしまうのかもしれない。
 それともまた熱が上がって、正常な判断力を失っていたのかもしれない。
 藍染に頼もうとしてみた時は、大きな氷の柱を立ててしまった。
 でも、もしかしたら、市丸なら。
 そう思ってしまったのは、雪だるまのように着ぶくれた市丸の姿に緊張感がなくて、いつもの警戒心が薄れてしまっていたからかもしれないし、このひんやりと気持ちよい大人の大きな手が、優しく頼もしく感じてしまったからかもしれなかった。