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眠れる森の氷の王子様−4

 熱で赤く火照った可愛らしい唇を見て、市丸は粥のさじを持つ手が震えないようにするのに、必死だった。
 期待はしていたが、まさか本当に、世紀の一大行事、『あ〜ん』をさせてもらえる日がこようとは。
 風邪で弱っているとはいえ、こんなにガードが甘い日番谷を見るのは初めてで、早くも理性がグラグラ揺らぎ始めている。
(あ、あかん。今日は手ぇ出したらあかんねん。市丸は本当に俺のこと心配してくれとったんやなあて、思うてもらうためにここにおんねん)
 今日の目的は、風邪で弱って不安でいる日番谷に、大人らしく優しく傍に付き添ってやって、安心感を与え、その信頼を得ることだった。
 だから今日は手を出そうなどとは思っていなかったし、出さないことによって、頼れる恋人として、一歩近付く予定なのだ。
(とはいえこれは、堪能せずにはおられへん大イベントや。冬獅郎クンの可愛えお口に、ボクのおさじ初挿入やで…!)
 ゴクリと唾を飲み、真剣そのものでさじを差し出すと、日番谷の唇がふわりと開き、あっさりとそれを迎え入れた。
(オオーウ!)
 日番谷の柔らかな唇や舌の感触が、さじを通して手に伝わってくるようで、興奮のあまり、クラリとした。
 日番谷は横になったまま、顎を上げて上手に粥を飲み込んだが、唇の端に少しだけ、汁が溢れた。
 それをさっと出てきた可愛い舌が舐めとって、
「ん、うまい」
「ほんま?」
 反射的に答えたが、市丸の中では、もうそれどころではなかった。
(見た!見た!可愛え舌ベロ出てきたでぇ!アアアアンコール!アンコール!)
 ちょっとでも顔の筋肉を緩めたらとんでもない顔になりそうで、市丸は神妙な表情を必死で保ったまま、次の粥をすくった。
 ふうっと吹いて冷まし、日番谷の唇に近付ける。
 またも可愛い唇が花のように開いて、さじを含んだ。
 今度はとても上手に含んだので、汁がこぼれなくて残念だったが、さじにあの舌の柔らかな感触が伝わってきて、ゾクゾクした。
 日番谷も上手に飲むが、市丸も上手に飲めるようにさじを動かしているわけで、市丸の手の動きに合わせて日番谷が顎を上げ、唇を開いたり閉じたりする様子も、たまらなかった。
 市丸が粥を運んでやりながら食い入るようにみつめていると、日番谷が視線を上げて、目が合った。
(ウッ!なんや、おくちでしてもろうてる時に、目ェ合うたみたいにエロいで?!)
 一瞬おかしな妄想をしてしまったのを、感じ取られたかもしれない。
 日番谷の顔色がさっと変わり、
「あっ、…俺、もういい…」
 さじを出して、向こうを向いてしまう。
 市丸は慌ててごまかそうと、わざと少し怒ったように、もっと食べなあかんよ、と言って、おかわりを差し出した。
「も、いぃ…って、…」
 口が開いたところですかさずさじを入れてやると、日番谷は可愛い声で、ムグ、と言った。
 ちょっと嫌がっているところに、ムリヤリ入れる、というのも、何やら卑猥で興奮してきて、市丸が続けて強引にさじを含ませてやると、日番谷は怒ったようにさじを咥えて、睨み付けてきた。
(あっ、冬獅郎クン、それはあかん…!)
 今度は粥を飲むだけではなく、さじそのものをぎゅっと咥えてきたので、生々しく日番谷の口の感触を手に感じた。
 何枚も重ねた着物の下で、股間が破裂しそうに脈打っている。
(…は、早くも大ピンチ!)
 狼に変身しないで、どうやってこの局面を乗り切れというのか。
 市丸はあらん限りの理性を総動員して、日番谷から目を逸らした。
「…あかん子や」
 それだけ言うのに精一杯で、頭を冷やすために、身体を守っている霊圧をちょっと緩めると、容赦ない凍気が襲い掛かってきて、慌ててバリアを張りなおす。
(…あかん。ほんまに命懸けになってきてもうた)
 弱っているとはいえ、強力な冷気だ。
 心底ヒヤリとして少しばかり理性を取り戻すが、今度は日番谷の可愛い手が布団から出てきて、市丸の手からさじを取った。
(い、今、可愛えお手々がボクの手に触った!!)
 何度握ろうと伸ばしても逃げられてきた可愛い手が、自主的に伸びてきて、触れてきた。
 それがさじを取るためであっても、その接触は市丸の理性を、またも遠くへ吹き飛ばしそうになった。
(小っさかった!柔らかかった!あったかかった!)
 たったそれだけのことで軽くパニックになりかかって、もう一度触れたい一心で、市丸は日番谷の手から、さじを取り返した。
 その手はやはり小さくて、柔らかくて、温かくて、どんな口実があったら誠意を疑われないでその手を握らせてもらえるのか、名残惜しく指を離しながら、必死で考えた。
 そんなことは全く気付かぬように、熱を持った日番谷の目が市丸を見上げてきて、
「…冷たいな、お前の手」
「今ここ、何度やと思うとるの?」
 言いながら、そうか、と思った。
 日番谷は今、発熱しているのだ。
 冷たい市丸の手を嫌がっているわけではない。
 …むしろ、
「あは。キミのおでこが一番あったかい。安全地帯や」
 額に触れると、燃えるような熱が、凍りそうに冷たい指先を温めてくれる。
 日番谷は大人しくそれを受けると、
「…気持ちいい…冷たくて…」
 その可愛い声でうっとりと、気持ちいい、なんて言われた日には。
(な、なんちゅう可愛え声出すねん!いくら風邪いうたかて、キミ、ちょう無防備すぎなんちゃう?こ、これで手ぇ出すな言われても、…ボ、ボク、試されとるんか?!)
 今こそ日番谷の信頼を勝ち取りたいという思いと、奪い取りたいと思う純粋な雄の本能が、胸と腹の間くらいで、さっきから壮絶な戦闘を繰り広げている。
 それでもそんなことは今までだって日常茶飯事で、凶暴な欲望もなんとか飼い慣らしてきたはずだった。
「…やったら、お手々も」
 どもらずに裏返らずになんとか言えたが、いやらしくなく言えたかどうかは、怪しかった。
 なによりそう言って伸ばした手が、あまりにも下心見え見えでいやらしくなかったか、全く自信はなかった。
「…こうしとっても、ええ…?」
 今にも振り払われるのではないかとドキドキしながら言ったが、日番谷は答えずに、大人しくじっとしている。
 いいとも言わないが、離せとも言わない。
 自分の大きな手で日番谷の顔は半分隠れてしまっているが、チラ、と見ると、大きな瞳を閉じていて、拒絶する様子ではない。
(日番谷はんが…初めてボクに手ぇ握らせてくれた…)
 感動というよりは興奮で、鼻から蒸気が出そうになった。
(いや、あかん。この子は、ボクを信じてくれとるんや。何もせえへんて信じてくれとるから、こない大人ししとってくれとるんや!今ここで欲望に負けたら、全てが水の泡や!)
 負けそうになった理性を、なんとか奮い立たせて持ちこたえられそうだったのに。
「…市丸」
 熱で掠れた、色っぽいその声に、一瞬警戒はしたのだ。
「こんなこと…、本当は、お前に頼むことじゃねえんだろうけど」
「なに?なんでも言うて。キミの力になれるんやったら、なんでもするで」
 だが、信頼を得たいと思う気持ちは本物だったから。
 日番谷は市丸の答えを聞くと、何かを決心するように一度きゅっと唇を結んでから、
「…布団、足の方、ちょっとだけ、持ち上げてくれるか…?」
「…え?」
 耳を疑うセリフに、市丸は思わず固まった。
(なんですとー?!そ、そんな嬉しいお願い、よ、喜んで!!いや、あかん、襲ってまうよ、そないなことしたら襲ってまう!)
 普段だったら、一も二もなく飛びつくお願いだ。
 えー、めくってええの?ほな、遠慮なく、可愛えあんよ拝見!などと言いたいのをぐっとこらえて、深呼吸をする。
 ここは、余裕を見せるべきところだ。
 日番谷は何か理由があって言っているに違いないのだから、市丸も欲望と結びつけずに、冷静に対応するべきだ。
「…このへんですか?」
 努めて冷静な声で言ったが、内心では狼が歓喜のダンスを踊り狂っていた。
(うわ、可愛えあんよ見えたでー!しゃ、しゃぶりつきたいぃ!)
 喜びとは裏腹に、ここで襲いかかれないからには、目の前にご馳走がありながらも理性を保たなくてはいけない状況に、クラクラしてきた。
 しかも日番谷は、布団が捲くられると自ら脚を開いて、
「俺の着物の裾…、膝の上まで、上げてくれるか?」
(誘っとるのかーーーー??!!)
 普段だったら、夢のような展開だ。
 日番谷がその気なのだとしたら、我慢することなどないのではないか?!などと鼻息も荒く考えながら、誘惑に満ちたお願いに逆らえず、震える手で着物の裾に手をかける。
「ほな、失礼して」
 膝の辺りまでめくると、眩しい素足に目がチカチカした。
 興奮しすぎて鼻の穴が広がらないように気を付けながら、もっと上までめくり上げたい衝動と必死で戦っていると、
「膝の、内側に」
 勝手に倒れて柔らかな内側の肌を見せてくれる可愛い脚に、目は釘付けだった。
 手は出せない代わりに舐めるように見ていると、
「…蝶がいるの、見えるか?」
「んん?蝶?」
「膝の内側に、蝶がいるんだ」
「……」
 意味不明な展開に、目を凝らして膝の内側を見るが、白く輝く肌に蝶など見えなかった。
 何を言っているのだと思ったが、見えないと言ったら日番谷の期待を裏切ることになると思って、市丸は黙ったまま、眩しい肌に手を伸ばした。
「あっ…」
 その蝶とやらがいると言う場所に指を触れると、可愛い声とともに、みるみるそこに、鮮やかな蝶が…
 市丸はあっと思ったが、ゴクリと唾を飲んで、
「…おるね、蝶々さん」
 平静を装った声で言うと、日番谷は驚いたように市丸を見上げてきた。
「見えるのか?」
「見えるよ。黒い羽根に赤と青の玉の乗った、綺麗な揚羽蝶や」
 本当に綺麗なその姿に息を飲みながら、形をなぞるように指を滑らせると、日番谷は膝をビクリと震わせて、
「…その蝶のいるところが…すごく熱くて…、なんとか追い出そうとして霊力を集めたりしたんだけど、そうしたら身体の中を飛び回って、逃げるんだ…」
「…身体の中、飛び回るん?」
 この、彫り物のように艶かしく浮かぶ蝶が、日番谷の柔らかな肌の上を飛び回る…想像しただけでもそれは、息を飲むほどに妖艶な光景に思えて、市丸はさっと日番谷を見た。
 日番谷は熱のためか本当にそれで苦しんでいるのか、熱っぽく潤んだ瞳で助けを求めるように市丸を見ていた。
「卯ノ花には、見えないって…それに、追い出すことも、できないって…。お前に見えるなら、…市丸、そいつを追い出すこと、…お前、できるか…?」
(そ、それは…!)
 抱いて、と言われたように聞こえて、その瞬間、冷え切った市丸の身体が一気に燃え上がった。
 震える声で言うその言葉に驚きながらも、市丸はそこで初めて、卯ノ花の言葉の本当の意味を、身体中の血液が沸騰するほどの衝撃と興奮とともに理解した。
 真実の深い愛を持った、信用できる恋人募集。
 それは、氷の女王の領域に踏み込むことだけではなく、この蝶の熱を解放するためには…、
(だ、抱いてええゆうことなん?それしかないよね?わかっとるんか、この子?!ほんまにええの?!)
 いや、わかっているはずもない。
 わかっていて市丸にそんなことを頼むはずがない。
 真に受けてうっかり暴走したら、変態だの痴漢だの獣だのさんざん罵られて嫌われるに決まっているのだ。
 だが。
 すがるような潤んだ瞳。熱を帯びて上気した肌。白い脚。布団の中。信じられないほど無防備な日番谷。
(こ、ここで何もせぇへんなん、男として有り得へん〜〜!)
 それに、方法はともかく、日番谷は熱から解放されることを望んでいるのだ。何もしなかったら、それこそがっかりされてしまう。
(何より本人望んでんねん。治療言うといたらわかれへんよ!てゆうかもうボク我慢の限界やー!!)
 だがそこで、市丸はハッと気が付いた。
 ここで日番谷を抱くとしたら、こんな着ぶくれたままではいられない。この冷気の中、分厚い防寒具を脱ぎ捨てて、少なくとも大事なソレは完全に、何の防御もなく外に出さなければ、行為を成立させられない…。
 市丸のそこは一瞬ヒヤリと竦んでから、すぐにカッと燃え上がった。
(心配無用やん!日番谷はんの中は、燃えるように熱いで!この凍えるような極寒の中で、溶かされるほどに熱い冬獅郎の蜜の壺の中に、ボクの…)
 考えただけで、そこにますます熱が集まってきた。
 霊圧でガードをし、何枚も着込んでもなお迫る冷気さえ、市丸の温度を下げることはできなかった。
「やってみますわ」
 内なる野獣は表面にはのぼらせず、市丸は静かに言って、膝で立ち上がった。