.


眠れる森の氷の王子様−2

 ざくざくと雪を踏みしめて、市丸は十番隊に向かった。
 もともと凍る程に寒い日だったとはいえ、雪など降っているのは十番隊舎の上だけだが、近づくにつれ積雪量も増えてきて、歩くのも大変だった。
「こらマジですごいわ」
 しかも手にはお粥の鍋を持っているので、転んだらマジでヤバそうだ。
 十番隊へ見舞に行くと言ったら、吉良は本気で心配して、最初全力で止められた。
「やめて下さい。今十番隊がどうなっているのか、ご存知ないんですか?隊長が氷漬けになっている間、誰が業務をすると思っているんですか。市丸隊長が行ったって、日番谷隊長の風邪を治せるわけがありませんよ。大変な思いだけして、何もいいことなんてないに決まってます!」
 まるでお前の愛なんか何の役にも立たないと言われたみたいでムッとしたが、副隊長として吉良が心配する気持ちはわかる。
「別に遊びに行く言うてるんやないんよ。ほんまに十番隊長さんが心配やねん。ボクに何かできることがあったら、してあげたいねん」
「ありませんよ、そんなこと」
 即座に言われてまたムムッとしたが、
「そんなん、行ってみなわからへんやん。それに心配で心配で、仕事なん手につかへんもん。ちょうっと、ちょうっとお粥だけ持って、様子見てくるわ」
「誰がそのお粥作るんですか!」
「ボクが作るよ」
「ええっ!」
「うまいんやで、これでも」
 言って早速水場に立ち、用意を始めた市丸に、吉良は本気をわかったらしい。
 結局いくさに出る息子にあれこれ用意する母親みたいに、長靴やら上着やら手袋やら、山のように防寒具を用意して、これを全部装着していかれるなら、黙ってお見送り致します、と言った。
「…しかし、こないに着ぶくれとったら、却って危ないんちゃうか?ここで転んだらボク、ほんまに雪玉みたいに、どこまでも転がっていくで?」
 ブツブツ言いながらも吉良に押し切られ、重装備でようやく十番隊の、日番谷のいる離れまで辿り着いた。
 門をくぐるとすぐそこにかまくらが作ってあり、横に「受付」と書いた看板が雪に半分埋もれていた。
 チラッとのぞいてみると、
「あれ、乱菊やん。こないなところで、何しとるの?」
「あら、どこの雪だるまかと思ったら、ギンじゃない。何よその格好」
 市丸を見るなり眉を寄せて、松本は容赦なく言った。
「いくらなんでも、着すぎよ!餅太りでもしたかと思ったわよ」
 松本が言うのも、無理はない。市丸は細い身体の上に綿の入った丈の長い上着を何枚も重ね着し、イヤーマッフルをした上で、中にふさ毛のついたフードもしっかり頭にかぶっている。
 マスクとマフラーで顔も覆い、腰にも分厚い腰巻、足には長靴、更には手袋も装着して、ほとんど完全武装だ。
「しゃあないやん。十番隊長さんのお見舞いに行く言うたら、イヅルに着せられてもうたんやもん。乱菊こそ、そない軽装で、大丈夫なん?」
 軽装といっても市丸に比べてというだけで、分厚い上着にマフラーをぐるぐる巻き、布団と言ってもいいほどの膝掛けをかけている。
「寒いわよ。こんな火鉢ひとつで、こんなところで受付なんか、本当はやってられないんだけど。他にここに長時間座っていられる隊員がそんなにいないから、交代勤務なのよ」
 かといって病気の隊長放っておくわけにもいかないし、と、松本はため息をついた。
「卯ノ花隊長がおかしなことを言うから、おかしなのがたくさん来るし」
 まるで「あんたもそのひとりよ」とでも言わんばかりの目で睨んでくる松本に、
「ふうん。そないぎょうさん来たん?」
「来たわよ。ほとんど近くに寄る前に凍らされて終わりだけどね。面倒だから、もうそんなバカは、そのまま放ってあるわよ」
 そりゃあ、あんな宣伝をされたら、自分こそ日番谷をその愛で救ってやりたいと思うファンは、山のように押しかけただろう。
 日番谷は病気だから本調子でなく、今なら近づけるのではないかと考えた者も多かろう。
 もっとも、本調子ではないからこそ日番谷は能力を抑えられないわけで、愛はあっても力の弱い者達は、憐れな末路を辿ったようだが。
「ほなボクは、凍らされへんように、せいぜい気ぃつけるわ」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
 こんなところで長く立ち話をしていても寒いだけなので、そろそろ日番谷のもとへ行こうとした市丸を、松本が慌てて追いかけてきた。
「誰が通っていいって言ったのよ!何のためにアタシがここにいると思ってんの?!あんたみたいなのを、隊長に近づかせないためよ!」
「あんたみたいなのって何や〜。真実の深い愛を持った信用できる恋人募集中なんやろ?」
「何一つとして当てはまらない奴を通すわけないでしょ!」
「心外や。ボクなら十番隊長さんとこまで、辿り着く自信あるで」
「そりゃ、辿り着くでしょうよ。隊長は風邪で弱ってて、制御はできなくても力そのものはいつもより弱いんだから、隊長格の霊圧がある死神なら、わけないでしょう。でも、だからこそあんたは、通せないわ」
「なんでや〜」
「弱ってる隊長にあんた近付けたら、何するかわからないじゃない!」
 この不信感は、いったいなんだのだろう。
 確かに風邪で弱っている日番谷なんておいしいと思ったのは確かだが、身体だけが目当てなわけでもないし、どちらかというと、その真実の愛とやらを証明するチャンスだと思ってやって来たのだ。
 卯ノ花の言っていた話の意味はよくわからないが、少なくとも風邪で弱っている時は、不安なものだ。
 変な手は出さないでそばにいて安心させてやったら、日番谷は感激してうっかり惚れてくれるんじゃないかとは思っていたが、企んでいるとしたら、せいぜいそれくらいのことだ。
 これは市丸の中では、堂々純愛の部類に入る。
 それなのにここまで信用がないのは、本当に心外だった。
「あんな、乱菊。ボクかて、病気の十番隊長さんにそない無体なことするために、雪の中ここまで来たんとちゃうよ」
 重装備だから、半分雪に埋もれた状態で、振り返るのも大変だ。
 よっこらしょ、と向きを変えて、市丸は真剣な顔で言った。
「早うようなってほしい思うて、お粥持ってきただけやん。乱菊にも昔作ってやった、ネギのぎょうさん入ったお粥や」
 鍋を差し出して言うと、松本は少しハッとした顔になった。
「食べ物食べられへんと、風邪なん治らへんねんよ。乱菊も風邪ひいた時、これ作って食べさせたったら、早う治ったやん。今度は十番隊長さんに食べさせたろ思うて、ボクが自分で作ってきたんよ?」
 昔の話を持ち出すと、松本は少し弱いのだ。
 それを知っていて、市丸はわざと、思い出させるように言ってやる。
「乱菊はおいしいおいしい言うて、泣きながらいっぱい食べとったね?食欲ない言うとったのに、ボクの分までみんな食べてもうて」
 元気になってから、あれは市丸の分もあったのに、ひとりで全部食べてしまったと気が付いて、松本は目にいっぱい涙をためて、ゴメンナサイと言ったのだ。
『ええんよ。乱菊が早うようなってくれたから、ボクも嬉しい』
 市丸が言ってやると、松本はそれ以上何も言えなくなって、市丸の着物の袖を、ぎゅっと握って俯いた。
 あの時のことを、松本が忘れているわけがない。
「……」
「な?乱菊かて、早う十番隊長さんに、風邪治ってほしいやろ?ボクかて、それだけや」
「…案内は、しないわよ?」
 とうとう折れて、松本はため息をつくように言った。
「あたしだって、これ以上近づけないんだから。せいぜい凍らされないで、さっさと帰ってきなさいよ?」
「うん。おおきに。乱菊も、風邪ひかんようにな?」
 市丸は吉良に付けさせられていたイヤーマッフルを取って、松本に渡した。
「いらないわよ、あんたのつけてたものなんて!ダサいし!」
「せやかて、可愛えお耳が寒さで真っ赤になっとるやん。耳は直接身体の中とつながっとるし、冷たい空気が中に入って、身体悪うするで?大事にしいや?」
 ヒラヒラと手を振って言ってやると、後ろで松本が怒ったように、「もう!」と言うのが聞こえたが、もう追いかけてきたり、それ以上怒ったりする様子はないようだった。
 どうやら、第一関門は、突破したらしい。
 松本が言っていた通り、建物に近づくにつれ憐れな氷漬けがそこここに立っていて、市丸もさすがに、ブルッと震えた。
「こら、眠れる森の美女やのうて、氷の女王やん」
 近づくにつれますます厳しくなる冷気に、市丸は初めて、日番谷の風邪を治すには、真実の深い愛を持った信用できる恋人が必要だと言った卯ノ花の言葉の意味がわかったような気がしてきた。