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眠れる森の氷の王子様-1

 雨が降ったならば雪になっていたかもしれない、寒い日だった。
 その日の午後、珍しく日番谷が疲れたといって五番隊にサボりに来た時、丁度雛森は所用で出ていて、藍染は一人だった。
「温かいお茶を入れるよ。君は頑張りすぎだからね。ゆっくりしていくといい」
 優しく声をかけ、お茶とお菓子を出すと、日番谷は背中から氷輪丸を下ろし、お前、今、ひとりか?と言った。
「ああ。雛森くんは、用事でちょっといないんだ。夕方には帰ってくると思うけど、さっき出ていったところだから…」
「あ、いや、いいんだ。雛森に会いに来たわけじゃねえ」
 そう言って上目遣いで見上げてきた日番谷の頬が、ほんのり赤くなって見えたのは、気のせいではあるまい。
 いつもと違うその雰囲気に、藍染は、おや?と思った。
 まだほんの小さな子供でありながら、日番谷が大人顔負けなのは、その霊力だけではなかった。
 まだあどけない幼さもありながら、いやそれ故にかもしれないが、彼にはどこか、大人を誘うような色気があると、常々藍染は思っていた。
 今の自分のキャラではなかなか手は出せないが、心惹かれることは否定できないし、このまま彼の信頼を得てゆけば、そのうちおいしいことも起こるのではないか…起こったらいいな…、などと、うっかり期待してしまうくらいに…。
「藍染、…俺、…」
 じっとみつめてくる日番谷の目が潤み始めたと思ったら、みるまにその大きな目に、涙がたまってきた。
「…日番谷くん?」
 藍染がハッとすると、
「違うんだ、藍染」
 とうとうポロリとこぼれた涙を慌てて袖で拭いて、日番谷は助けを求めるように、
「俺、変なんだ…」
 宝石のような目に涙がキラキラ光って、潤んだその瞳でみつめられると、さすがの藍染もちょっとクラッときた。
「涙が勝手に出てきて、…止まらなくて、それに、何か、身体が…」
「…身体が?」
 身を乗り出しそうになったのはなんとか抑えたが、思わずゴクリと、唾を飲んでしまった。
 日番谷はその先はとても恥ずかしくて言えないとでも言うように、一度きゅっと唇を結んでから、
「ホントなら、四番隊に行かないといけねえんだろうけど、卯ノ花は女だし、こ、こんなこと…。おっ、お前ならその、色んなこと知ってるし、なんとかしてくれるんじゃねえかと思って、俺…」
 上気したピンクの肌、震える唇、涙に濡れた瞳。
 これは告白だ!と、その時藍染が思ってしまったのは、男として仕方のないことだっただろう。
 その誘惑に、立場も忘れてうっかりよろめいてしまったことも。
「日番谷くん」
 藍染は殊更キリリと顔を引き締めて真面目な顔を作り、それでいながらこの上なく優しい声で、
「…その涙を止める方法…確かに僕だけが、知っているかもしれないよ…?」
「藍染…?」
 そっと立って行って隣に膝をつき、その頬を指の背で撫でた。
「君はほんの少し素直になって、僕の全てを信じてくれたらいい…」
 いただきます、と心の中で言ったとか言わなかったとか。
 だが指先に感じていた日番谷の燃えるような肌の熱は、次の瞬間、一気に氷点下まで落ちていった。
「日っつがやく…」
 名を最後まで呼ぶ暇もなかった。
 どん、と巨大な霊圧が炸裂すると同時に、痛いほどの冷気が唸りを上げて押し寄せ、あっと言う間もなく天井をブチ抜いて、五番隊の隊舎のど真ん中に、天を突くほど巨大な氷の柱が立った…。



「抜け駆けするからやで、おっさん」
 瀞霊廷中が大騒ぎになっているどさくさに紛れてやって来た市丸は、窓辺で外を覗きながら、情け容赦もなく吐き捨てた。
「おっさんはやめてくれないかな、ギン…。それに、別に抜け駆けするつもりはなかったんだけどな」
 とっさに自分の霊圧でバリアを張ったとはいえ、あまりに突然、あまりに強力な冷気を至近距離から浴びせかけられ、少々しもやけになりかかった手をさすりさすり、藍染はタメ息をついた。
 五番隊の隊舎は一部、一瞬にして氷漬けになった。
 一部で済んだのはひとえに藍染が即座に抑えたからで、そうでなかったら、今頃五番隊はかなりの範囲、氷の城になっていたところだった。…今の、十番隊のように。
「十番隊長さん、風邪やて。最初から四番隊に行かはったらよかったのに、なんでおっさんとこなん来るかな。そないな隙見せるから、おっさん調子乗んねん。バチ当たって、ええ気味やけど」
「…ギン…言葉の棘が、痛いんだけど…。おっさんおっさん言うの、本当にやめてくれないかな…」
「ほら、反省しとらへん。おっさんのくせにええ気になるからあかんねや。これに懲りたら二度とボクの冬獅郎クンに手ェ出さんといて。おっさんはおっさんらしく、おっさんの立場わきまえや」
 ここぞとばかりにおっさんおっさん連発する市丸に、藍染はジト目で反撃した。
「…別にギンのものじゃないだろう、日番谷くんは」
「ボクのもんや」
 ジロッと睨み返して、市丸は鼻息も荒く言い放った。
 確かに日番谷は、自分の恋人ではない。今はまだ。
 だが市丸の中では近い将来そうなる予定で、少なくとも藍染のように、あちこちに鼻の下を伸ばしているエロオヤジとは絶対に違うということは、ハッキリさせておきたい。
「ずっと言うとるやろ。ボクはあの子命やねん。冬獅郎クン一筋やねん。今にボクのものになるよって、おっさんの汚い手で触らんといて」
「冷たいなあ、ギンは。僕だって、最初からギン一筋…」
 突然妙な秋波を出しながら伸ばしてきた藍染の手を、市丸は容赦なく叩き落として、
「一筋言わんやろそれ!そもそもキモいからほんまにやめて!おっさんは雛森ちゃんのアイドルで我慢しときや!」
 こんな男を日番谷が自分より信用して頼っていったなんて、考えただけで腹が立つ。
 そりゃあ、表向き自分と藍染が演じて見せているキャラや立場では、そうなっても仕方がないのだが。
 日番谷だけは、別なのに。
 日番谷にだけは、誠心誠意、愛を示しているつもりなのに。
 心底ご機嫌の悪い市丸にそれ以上近づかないようにしながら様子をうかがってくる藍染は無視して、市丸は窓の外の、滅多に見れない光景に目を移した。
「見とるだけで寒なるね。まるで氷山や。えらい騒ぎになってもうて、難儀な能力やね」
 五番隊の窓からも見える、氷の山。
 日番谷は五番隊に氷の柱を立てた後ばったりと倒れ、駆けつけた卯ノ花に風邪と診断された後、十番隊へ戻された。
 さすがに危険ということで、十番隊の中でも一番端の建物に床が用意されたが、そこにも日番谷は氷の山を作ってしまった。
 いまだにそれが小さくならないのは、まだかなり悪いということなのだろう。
「それはそうと、あの話は、ほんまなんやろうか?四番隊長さんが言うたゆう話」
「王子様募集の話かい?うん、本当らしいね。」
「『十番隊長さんの風邪を治せるのは、王子様のキスだけ』なん、眠れる森の美女みたいやね」
「うん、まあ、厳密に言うと、日番谷くんの風邪を治すには、真実の深い愛を持った信用できる恋人が必要、ということだけど」
「意味ありげやね。四番隊長さんが治療にそないなもん必要言うんやから、なんや厄介な菌にでも侵されとるんやろか。まさかおっさんが変なことしたんとちゃうよね?」
 疑いのまなざしで見ると、藍染は「してない、してない!」と、必死で首を横に振った。
「まあ、どっちにしろ、ボクの冬獅郎クンが苦しんではるんやし、真実の愛に応えられるんは、ボクしかおらへん。そのことに気付いてもらうええチャンスでもあるわけやし、ボクは行くつもりやけども」
 市丸はそこで一度切って、チラ、と藍染を見た。
「十番隊長さんの症状直接近くで見たんは、四番隊長さんを別にしたら藍染隊長だけやけど。…あの子、どうやったん?何か変わった症状とか、気になったおかしなこととか、相談するにあたって打ち明けられたこととか、何か情報ありますやろ?」
「ああ、あれはね、卯ノ花隊長が言いたかったのは、たぶん」
 言いかけた藍染は、だがそこで意地悪く口をつぐむと、
「いや、やっぱり教えない。ギンはギンの真実の愛とやらで、見事治してみせるんだろう?」
 意趣返しか。
「ほんま、使えへんおっさんや」
 忌々しそうに舌打ちをして、ならばもう用はないとばかりに、市丸は藍染の部屋から姿を消した。