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金魚−9

「お前、バカだろ?」
「それは、否定できませんなァ」
 あんまりなセリフだったが、市丸は平然と答えた。
「日番谷はんの前では、ボクはただの恋する男ですもん。恋する男なん、死神でも隊長でも、みんなおんなじや。みんな、バカで、ロマンチストで、分裂症や」
「なんだよ、それ。お前、四番隊で診てもらった方がいんじゃねえの?」
 本気でイヤそうに眉をひそめる日番谷に、市丸はうっとりと微笑して、
「日番谷はんも、恋したらわかりますよ?」
 その言葉に日番谷はいっそう眉をひそめ、
「どっちにしろ、本気で俺に恋してると思ってるなら、やっぱりお前、頭おかしいよ」
「まあ、おかしいかもしれませんなァ。ホンマおかしなるくらい、キミに夢中やからねえ」
 次から次へと飛び出してくる、市丸の熱烈な愛の言葉に、日番谷は「ああ、もう」と言って、顔を伏せた。
「俺、お前が何企んでんのか、さっぱりわかんねえ」
「ええ!な、なんで企んでる前提で話進めてますの?何も企んでへんよ?!」
 びっくりして市丸は、慌てて否定した。
 言うならせめて、『何を考えているのかわからない』くらいにしておいて欲しかった。
「やっぱりお前もアレか、ガキが隊長ってのが、気に入らねえのか?」
「日番谷クン?ボクの話、聞いてはります?違う言うてんのに、その続きはおかしいですよね?返事として、変ですよね?」
「それともバカにしてんのか、隊長どころか、一人前の男としても、認めないってことか」
「ああ〜、誤解やわ〜。『小さいけど隊長さん』なんは、日番谷はんの魅力であって、悪いことなんひとつもあれへんのに」
 おおげさなほど泣きそうな声を出して、市丸は日番谷の肩にがっくりと項垂れた。
「ボクはただ、キミのことがほんまに好きなだけや。寝ても覚めても日番谷はんの可愛えお顔が頭から離れんのよ。こうしとるとドキドキして、夢見とるみたいに幸せなんよ」
 独り言のようにひっそりと呟きながら、わかれへんのは、こっちや、と思う。
 からかって遊びたいくらいに可愛いと思う者は他にもいても、どうしても手に入れたいとまで痛切に思うのは、日番谷だけだ。
 こんな小さな少年の、言葉ひとつ動きひとつで、一歩一歩確実に、深みにはまってゆくのを感じる。
 それは自分の存在が揺らぐほどに心もとないものでありながら、同時に言い知れぬほど、甘美な気分だった。
 日番谷の見目が可愛いのは間違いないが、市丸をこうも惹き付けるのは、それだけではない。
 小さいけれど、揺るぎないその背中。
 いつでもピシリと伸びた背筋。
 まっすぐ前を向く顔。
 透き通るように濁りのない、…
「おい、市丸」
 夢の中から呼び出すように凛とした声が降ってきて顔を上げると、日番谷が顔を巡らせて、市丸を見ていた。
 今まさに思い描いていた、いつ見ても透き通るように濁りのない澄んだ目が、まっすぐ市丸を捉える。
 ガンとショックを受けるほどのその目の強さに、魂が吸い取られるかと、その時一瞬、市丸は本気で思った。
(本望や)
 魅入られるように視線を合わせたまま、自然に唇の端が、笑いの形に吊り上がってゆく。
「…なに笑ってンだ、お前。今の今まで、泣いてたクセに」
 日番谷の目が、ムッとしたようにキツくなる。
 怯んでしまいそうなほどにまっすぐなその目を、市丸はうっとりと受け止めた。
「全部、キミのせいや」
 市丸は衝動のまま日番谷の頬に手を当て、その唇に自分の唇を近づけた。
 そっと、触れた。
 日番谷は逃げずにそれを受け止めて、ふわりと目を閉じて、すぐに開いた。
「キミに恋しとる男ですから」
 その身体をぎゅっと抱き締めて、今度はさっきより深く口付けた。
 日番谷の身体が一瞬強張って、ゆるりとほどける。
 唇が離れると、日番谷は少し怒ったように唇を尖らせた。
「オレは別に、付き合うと言ったわけじゃないぞ」
「せやけど、逃げへんかったね?」
「お前が…」
 そこで一度ためらうように言葉を切って、日番谷は少し視線をはずした。
「…自分がどんな顔してたか、自覚ねえのか、お前?」
「は?」
 思ってもみないことを言われて、市丸は驚いた。
「どんな顔て?どんな顔しとったん?」
 ごまかすつもりでもなく答えると、日番谷はチッと舌打ちをした。
「…ガキみてえな顔。迷子の」
「…」
 それはつまり、放っておけないとか、突き放せないとか、途方に暮れたようなとか、そんなような意味だろうか。
 ぼんやり思って、唖然とした。
 日番谷を子供と思ったことはないが、まだ幼さの残る顔でこんなにも大人である面を見せられると、そのギャップに改めて驚いてしまう。
 膝に乗せているのは自分の方なのに、自分が膝に乗せられ、あやされているような気分になった。
「…日番谷はんは小さいのに、大きいお人やなあ?つい、甘えてまうわ。お願いやからそういうの、他の奴には、やらんといて?」
 甘えるように抱き締めると、そういうのって、どういうのだよ、と、日番谷が文句を言うように小声で言った。
「…そんで、やっぱりボクだけのものになって?」
「ヤダったら。甘えるなよ」
 うんざりしたようにそっけなく、日番谷は言った。
「甘やかすとテメエ、すぐエロいことしようとするし」
 冗談でシリアスな告白をごまかそうとしたというわけではなく、日番谷は本気で思っているような雰囲気だった。
「ええっ、エロいて、ボクまだなんもエロいことしてへんやん!めっちゃ我慢してますやん!執務室でしたこと言うてはりますの?あんなんエロいうちに入りますかいな!十段階でいうたら、一レベル以下のエロ度やで?!」
「あれで一以下だと?!お前、どんだけエロいんだ!自慢すんな!」
 市丸がびっくりしたように言うと、日番谷もびっくりしたように言い返してきた。
 いくら精神年齢が大人でも、そっち方面の経験は、やはり浅いようだった。
 運がよければ、未開拓だ。
 思わず市丸は、にたりとしてしまった。
「そないウブなこと言うてると、いざちゅう時女の子にバカにされますよ、十番隊長さん?」
 笑いを含みながら唇で軽く耳を噛んでやると、日番谷はむずがるように身動ぎをした。
「うるさい。だからって、テメエにあれこれ言われる筋合いはねえよ」
「最初は誰でも怖いもんや。優しくするから、安心し?」
「何の話だ、やめろよっ」
 日番谷を胸に抱き込んでしまうと、いたずらせずにはいられない気持ちになる。
 話題がそっちに向いたことだし、我慢できなくなって胸元に手を滑り込ませようとすると、さすがに撥ね付けられた。
「ああもう、放せ!もういいだろ、帰るぞ!」
「いやや。もう少し日番谷はんと、ラブラブする」
「何がラブラブだ。放せ、変態!」
「いやや〜」
「甘えるな〜!」
 本当に嫌がっているのか照れているのか、日番谷の場合、よくわからない。
 いくら大人といっても、好きでもない相手にさすがにキスまでさせないと、自惚れたいところなのだが。
「せやったら、こうせえへん?ボクの誕生日までにボクのこと好きになってくれたら、日番谷はんをプレゼントして?それまでに好きになれへんやったら、ボクも潔う諦めるわ。もう日番谷はんの前には、顔出さへん」
「…何だよそのムチャクチャな二者択一」
「ホンマに嫌やったら、切るチャンスやで?飲まれへん言うんやったら、諦める必要なしちゅうことで、一生つきまとい続けるわ」
「…」
 日番谷は頭痛がするとでもいうように、眉間のしわに人差し指を当てて、顔を背けた。
「…お前の誕生日て、いつだよ?」
「9月10日や」
「あと一ヶ月じゃねえか!」
「せやね」
 少しも好きでなかったら、悩む必要もあるまい。
 日番谷がすぐにでも話に乗らなかったことで、ますます期待してしまう。
「あれ、日番谷はん、一生つきまとわれたいん?それってボクのこと、愛してるいうこと?」
「バカ言うな!そんなわけねえだろ!」
 軽く挑発すると、すぐに乗ってきた。
「せやったら、決まりな?誕生日までに好きになってもらうように、ボクも頑張るわ」
「勝手に決めるな!」
「約束やで?9月10日や」
 名残惜しいが、ここが去り時だ。
 市丸は日番谷の身体を放すと、素早くその場を後にした。
 日番谷がその日にどう出るかはともかく、真面目な彼だけに、市丸のことをとにかく必死で考えてくれるに違いない。
 彼の頭の中を自分で一杯にできるとしたら、こんな幸せなことはないように思った。
 このまま一生彼の中に自分が住まい続けることができたら…。
 そう思うと、それだけでこれから先の一生が、極上のものに思えた。



「金魚」終い。「大福」に続く