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金魚−8

 落ちかけた日は今空を赤く染めながら、霊屋を黄金色に照らしていた。
 それはじきにこの世界をセピア色に変え、やがて深い蒼に沈めていくだろう。
 瀞霊廷のずい分端っこで、市丸はようやく日番谷をみつけた。
 人目につきにくい建物の屋根の上に座って、黄昏ているようだ。
 その落ち込みように少し驚きながらも、市丸は霊圧を消して、こっそりその背後から近付くと、
「日番谷はん、み〜つけた♪」
「うわあ!」
 容赦なく捕まえ、後ろ向きのまま自分の膝の上に乗せ、逃がさないようにしっかりと抱き締めた。
 何度抱き締めても、ゾクゾクするほどたまらない感触で、病み付きになりそうだった。
「どうやった?誤解やってわかった?」
 本当は松本とのやりとりもこっそり見ていたが、市丸は素知らぬ顔で聞いてやる。
 抵抗しかけた小さな身体が、その言葉で大人しくなった。
「…スマン市丸…。オレ、ずっとお前のこと勝手に誤解して、ヤな奴だと思ってた。お前を避けてたのも、二人の邪魔しないようにしようと思ったんだけど、…誤解だったなら、……ゴメン」
 項垂れて、肩を落とす様子も可愛い。
 そんな理由で自分を避けたり、その態度を誠実でないと怒ったりしていたなんて、市丸には驚くべきことだが、真面目で誠実で、いかにも日番谷らしい。
 嫌われていたとしても望むところだが、その誤解が解けた今、ここまで落ち込んでいる様子なのが何故なのか、ぜひとも解明したいところだ。
「乱菊と付き合うてると思てたんやったら、キミに好きや言うてんの聞いて、さぞかし誠意のない、ヤな奴や思てたんやろね?」
「…スマン」
「ちょっと可愛え子みつけたら、誰にでも好き言う男やとまで、思うとったんやない?」
「…謝る」
「謝られたかて、許されへんなあ。愛しい日番谷はんに誠意疑われてたなんて、ショックやわ〜。そない簡単に、この傷治れへん」
「…悪かった」
 ぎゅうぎゅう抱き締められてもされるまま逃げようともせず、しおらしく謝る様子がどうしようもなく可愛い。
 日番谷を見て食べてしまいたいと本気で思ったことが、何度あったろう。
「毎日毎日日番谷はんに会いに必死で通うててんけど、そないな理由で避けられててんな、ボク。なんや、泣きそうやわ。あんまりや」
「…スマン」
 悪いと思っているから抵抗しないのか、本当にしょげてしまって、抵抗する元気もないのか。それとも松本との誤解が解けたら、ムキになって逃げるほどの理由がないということだろうか…?
 最後の理由だったなら、これほど嬉しいことはないのだが。
 市丸はこぼれ落ちそうに弛み切った顔を更に笑顔で緩ませて、とびきり優しく甘い声で、日番谷の耳に囁いた。
「…ボクと付き合うてくれたら、許したるよ?」
「ヤダ」
「…」
 この流れならさりげにオッケーできそうな、我ながら素晴しい持っていき方だと思ったのに、日番谷の答えは即答だった。
「なんでやのーっ?!」
 思わず叫ぶと、
「…許す代わりに付き合うとか、付き合うことで償うとか、恋愛ってゆうのは、そうゆう理由でするもんじゃねえと思う」
 とびきり真面目な答えが返ってきた。
 そんなものは口実であって、きっかけであって、言葉通りの意味などあってないようなものなのに。
 日番谷らしいそんな答えに、市丸は再び微笑んだ。
「せやね。十番隊長さんの言う通りや」
 真面目な言葉で返されると、自分の言葉を真面目に考えてくれているのを感じ取れて、真面目な気持ちを求められているように思えて、うっとりした気分になる。
 いつでも正面を向いている日番谷のそういうところは自分にはないもので、とても好ましく思う。放したくないほど、大切に思う。
「せやったら、ちゃんと言いますわ。日番谷はんのことが好きで好きでたまらんから、ボクと付き合うて?」
 胸の中の日番谷の髪に顔を埋めて、市丸は甘く囁くように言った。
「乱菊とのこと誤解してはったんやったら、誤解も解けたことやし、もう一度ボクのこと、真面目に考えてくれへん?本気で好きや。日番谷はんのことだけしか、見てへん。放しとうない。日番谷はんもボクのこと、本気で好きになって?」
「…」
 今度は即答で拒絶されなかった。
 それだけで震えるほどの期待と経験したこともないような切ない気持ちが、どうしようもなく胸にせり上がって来た。
 正直ここまでの気持ちにさせられるとは、十番隊舎に通い始めた頃は、思っていなかった。
 避けられて焦らされて執着し、ようやく会えたら、その度にぐいぐいと深くに引き込まれていった。
 とうとう奥底の魂にまで、手をかけられてしまうほどに。
「日番谷はんの恋人の定義は、唯一無二の存在で、相手の為なら命を懸けても構わなくて、死ぬ瞬間まで一秒の疑いもなく、相手のことを信じ抜くことができるような存在なんやったよね?」
「…」
「素敵な定義やと思いましたわ」
「…」
「日番谷はんの『恋人』は、」
 何も答えない日番谷に、市丸はうっとりと言った。
「…永遠を感じさせますね?」
 見慣れた瀞霊廷の景色はセピア色に染まり、やたら幻想的に見えた。
 追い続けた銀色の髪が、うっすらと同じ色に染まって目の前で揺れている。
 日番谷が見ている景色は、一体どんなものなのだろう。
 きっと自分が見ている景色とは、まるで違ったものなのだろう。
 全く同じ場所に、こうして座っている今でも。
 日番谷の見ている景色は、きっと一生自分には見れないだろうけれど、指先に感じるその別世界の存在は、心地よかった。
 太陽のような日番谷の匂いに酔わされていくようなこの不思議な気分は、一時の幻だったとしても、悪くはなかった。
「永遠なんてものは」
 ずっと黙っていた日番谷が、俯いたままで、ぽつんと呟くように言った。
「俺は、信じてねえけど」
「そうですか?」
 日番谷の言葉に、市丸はふっと微笑んだ。
「永遠ゆうもんがほんまにあるかないかゆうのはボクにもわかりませんけども、永遠ゆう言葉には、胸の奥がこう熱なるような、幸せ〜な気分にさせるような力がありますね?」
「…」
「ね、日番谷はん、試しにちょっと、『俺の永遠の恋人はお前だ』て言うてみてくれへん?」
「図々しいな、お前」
 実際のところ、市丸にとって、永遠は一瞬と変わらない。だが日番谷に言われる言葉として思うと、冗談のようにそう言ってみるだけで、本当に胸が熱くなるような気持ちがした。
「ええやん、言うだけなんタダや。それとも言うたらほんまになりそうで怖い?」
「いや、ウソ嫌いだから」
「…」
 あまりの情け容赦のなさに、市丸はわざとらしく脱力して、ぐったりと日番谷の上に体重をかけてやった。
「お〜も〜い〜」
 当然怒って暴れる日番谷を、そこだけは力を抜いていない腕でしっかりと抱きしめながら、
「ボクは、ウソでもええよ」
「俺がイヤ」
「言うて?」
「イヤ」
「日番谷はん、ボクの永遠の恋人は、キミやで」
「…!」
「唯一無二や」
 腕の中の日番谷が、瞬間息を止めるように、大人しくなった。
 こういうことには、ちゃんと反応してくれるのに。
「今、胸の奥、熱なった?」
「バッ…」
「なったんやったら、ボクのこと好きいうことやで?どやった?正直に答えてみ?」
「寒気がした」
 尊敬したくなるほど、鉄壁の防御だ。
 市丸は思わず顔を上げ、天を振り仰いだ。
「…神様、おるんやったら、どうか日番谷はんを素直にしたって下さい。一生のお願いです。普通の人くらいのレベルでええですから」
「殴るぞ」
 日番谷が本当に怒ったような声を出したので、市丸はフッと冗談のような色を抜き、なだめるような声で、
「キミがボクの永遠の恋人なんは、ほんまやで?」
「だから、そうゆうのは、」 
「せやったら、こうしよか?」
 相変らず甘えるように、市丸は言った。
「とりあえず今、いれるだけ一緒におって、幸せになれるだけなろ?」
「…意味がわからねえ」
 まるで意味など十分承知しているのに、知らないフリをしているような間と重さで、日番谷は答えた。
 それをごまかすように、怒ったように、拗ねたように、ゆるく両脚をプラプラと揺らしている。
 珍しく幼い日番谷のそんな様子に、自然にますます頬が緩んだ。
「こうしとると、たまらん幸せやね〜ゆう話や」
「…ずっと思ってたけど」
 とうとう呆れ果てたように、日番谷はタメ息とともに言った。