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金魚−3


 透明のガラスに赤い金魚の模様の入った、綺麗な風鈴 だった。
 軽く手を振ってみせると、風鈴は涼しげな音で、チリーン と鳴った。
 その音に、日番谷の表情が少し和らいで見えた。
「仕事で町の方に行った時、見つけましてん。透き通った ガラスと涼しげな音に、日番谷はん思い出したんですわ。 赤い金魚さんがまた綺麗やったし、喜んでくれはるんやな いか思て。もろてくれます?」
 そっと差し出すと、日番谷はじっとそれをみつめてから、 ゆるりと手を出して、受け取った。
(やった!)
 内心でぎゅっと親指を立てながら、市丸は笑みを深くし た。
「おおきに」
「それはオレのセリフだ」
 照れたように言って、日番谷は珍しいものでも見るように、 ためつすがめつ風鈴を見た。
「…綺麗だな。きっと松本も喜ぶよ」
「…あのう、一応言うておきますけども、それ、日番谷はん へのお土産やから」
「え、なんで?」
「なんで言われても。さっきのボクの話、ちゃんと聞いては りました?ボクがキミにお土産買うてきたら、あかんの?」
「いや、別に…」
「ほなら乱菊やのうて十番隊長さんが、受け取ってくれは る?」
 市丸の言葉に日番谷は少し戸惑った顔をしたが、
「…わかった、ありがとう」
「おおきに」
「だからそれはオレのセリフだって。…その窓に飾らせても らうよ」
「そら、金魚さんも喜びますわ」
 市丸の言葉に、日番谷もふわりと笑った。
 その花のような笑顔はまともに市丸の胸を貫き、思わず クラリときてしまう。
(笑ろた!笑ろてくれたで!眩しすぎるわ、日番谷はん! もうその笑顔は、犯罪や!)
 みつめ合い、微笑み合う。まるで恋人同士のような、夢 のような瞬間だった。
 その笑顔に吸い寄せられるように、市丸は瞬歩で日番 谷の隣に立つと、そっと手を伸ばして、抱くようにその小さ な肩に乗せた。
 反射的に日番谷が警戒し、身体を固くしたのがわかる。
「じゃ、ボクに飾らせてもらえます?」
 もう一方の手で風鈴を取り、肩に乗せていただけの手を するりと滑らせ、その丸みをすっぽりと手の中に収めるよう に掴むと、やんわりと力をかけ、わずかに抱き寄せる。
「…いいけど」
 さすがに日番谷は嫌な顔をして肩の手を払いのけようと したので、そうされる前に自分からさっと離れると、窓の下 に移動して、風鈴を下げた。
「…ええ音やね?」
「…ああ」
 その音に聞き入るように、しばし沈黙が流れた。
 日番谷は確かにその音に聞き入っていたのだろう。
 だが、市丸は違った。
 風と一緒にどこかへ消えてしまいそうなたたずまいでい ながら、風鈴の音などどこか遠くで聞いていただけだっ た。
 一瞬だけ腕の中にあった、小さな身体。
 手の平にすっぽりと入ってしまうくらい華奢な、子供の 肩。
 生きているものの体温。
 生きて、今そこにあって、彼の心は…
(…あかん、このままでは、襲ってまう。好印象のまま、いっ たん別れとかな)
 せっかく会ってもらって、風鈴を受け取ってもらった上、 微笑んでくれたのだ。
 ここで無理をしたら、また避けられまくりの毎日に逆戻り だ。
 市丸は理性の限りをかき集めると、涙を飲んで、すっと 一歩下がった。
「ほな、ボクはこれで」
「ああ、またな、市丸」
 引き止めてくれないのは残念だが、またな、と言ってもら えた。
(『またな』やて!また来てええってことやん!すごい進展 やん!)
 本当はもう十番隊舎から離れたくなかったが、また来れ ばいい。
 市丸はガラにもなく舞い上がった足取りで、三番隊舎に 戻った。


 松本が部屋に戻ると、何かいつもと微妙に違う空気を感 じ取って、無意識に部屋を見回した。
「ただ今戻りました、隊長」
「ああ」
「…私がいない間、誰か来ました?」
「…ああ…」
 日番谷が言いかけたところで、代わりに答えるように、風 鈴が鳴った。
「あらっ、可愛い風鈴ですねえ!どうしたんですか、こ れ?」
「さっき、市丸にもらった」
「ギンに?…っと、市丸隊長、来たんですか?」
「ああ」 「で、この風鈴もらったんですか?」
「ああ、町に行った土産だと」
 はああ、やるわねえ、あいつ、などと言いながら、松本は 窓の下に行き、近くから風鈴を見上げた。
 よく見ると本当に細工のいい、品のよい風鈴だった。
 丁度その時風が吹いて、金魚の風鈴はチリンと涼しげ な音を立てた。
「…いいですねえ、こういうの」
「そうだな」
「それに、ガラスがとっても綺麗だし、金魚も可愛いし」
「ああ」
「他に何か言ってました、市丸隊長?」
「いや、別に…」
「そう…」
 松本は心なしか少しがっかりしたような、ホッとしたような、 複雑な顔をした。
「お前らさ、…幼馴染だって言ってたよな?」
「ええ、そうですけど?」
「…あいつはいつも…ああなのか?」
「ああって?」
「いや、その」
 今日初めてふたりきりで話して、その意外な柔らかさに、 驚いた。
 雛森も市丸は怖くて苦手だと言っていたし、その先入 観もあったかもしれない。
 松本がいなくても、市丸はあんなふうに笑うのだと初めて 知った。
 だが、何を考えているのかよくわからないという点では、 あまり変わらなかったようにも思う。
 掴まれた肩に、まだ市丸のぬくもりが残っているような気 がして、落ち着かない。
 馴れ馴れしい男というだけなのかもしれない。他意はな かったのかも。
(いや、間違いなく、何か感じたぞ。…こっちが落ち着かな くなるような、…何か…)
 頭上でまた、風鈴がチリンと鳴った。