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金魚−2


 いそいそと手土産を持って十番隊舎へ通うようになって から、どれくらい経ったろうか。
 今日も日番谷に逃げられて、市丸はソファでどんよりと 落ち込んでいた。
「なあ乱菊、十番隊長さんて、放浪癖があんの?」
「それはアンタでしょ?一緒にしないでよ」
 代わりに松本が相手をしてくれるので、来たら来たなりに 楽しくないこともないのだが。
 あの小さいけれど機敏な身体や、低いところから睨み上 げてくる、キツい瞳を見たいのに。可愛らしい声で大人び たことを言う、日番谷に会いたいのに。
「せやったらなんで、ボクが来るといっつも隊長さんおらへ んの?」
「嫌われてるんじゃないの?」
 さすが松本は市丸相手に遠慮もなく、ズバッとキツいこ とを言ってくる。
「なんでや〜、ボク、何かした?」
「何もしていなくても、『生理的に嫌い』ってこともあるし」
「そうなん?そうなん?ボク生理的に嫌われてるん?!」
 自分自身好き嫌いの激しい性格ではあるが、自分その ものが周りから見て、好き嫌いの分かれるタイプだという自 覚もある。だがそんなものは今まで、気にしたこともなかっ た。
 だが日番谷に、しかも頭に『生理的に』と一言ついて嫌 われているとなると、それだけでかつてないほどの大ダメー ジだ。ショックのあまり、グラリと眩暈で倒れそうになる。
「知らないわよ。あんた、何かしたんじゃないの、隊長に」
「せえへんよ、てゆうか、何かしようにも、会ってもくれへん やん!」
「…何するつもりよ、あんた?」
「いや、ちゃうて、今のは言葉のあやや!」
 スルッと本音が出そうになって、市丸は慌ててごまかし た。
 今のところ何もしていないのは事実だが、今後何かした いと思っているのも事実だ。
 会えないために、気持ちばかりがどんどん高まってしまっ ている。
 そんな言葉で果たして松本がごまかされてくれているの かどうかは怪しかったが、松本はすでに市丸の気持ちを 知っているし、そもそも市丸は隠そうともしていなかった。 ただ、あまり露骨な欲望を見せると女性である松本は引 いてしまうし、隊長とはいえまだ子供の身体である日番谷 を、少なくとも日番谷がその気でないうちは、副官として、 市丸の魔の手から守ってやらねばという気持ちもあるよう だったから、下手なことは言えないのだ。
 純粋な気持ちを前面に出せば、それなりに応援はしてく れるようなので、ここはぜひ、味方につけておきたい。
「…ほんまに好きなんよ?どないしたらこの気持ち、十番 隊長さんに伝わるんやろなあ〜」
 机になついて情けない声で言う市丸に、松本はやれや れという顔をした。
「お菓子も食べてくれへんいうんは、ちょっとショックや。こ れでもけっこうリサーチして、人気のもん買うてきてんけど な」
「それは気にしなくていいと思うわ、もともと隊長、お菓子 あまり食べないから」
「そうなん?」
「全くじゃないけど」
 松本から仕入れたその情報をもとに、市丸は次の日の 夕刻、違う土産を持って十番隊舎を訪れた。
「日番谷はん、いてはります?」
 今日こそは、なんだかとてつもなく素敵な予感がする。
 ワクワクして戸を開けると、そこには日番谷がひとりだけ いた。
(うおお、大ラッキー、乱菊おらんと日番谷はんがおる、ふ たりきりやん!)
 日番谷は顔を上げ、市丸の姿を認めると、少し困ったよ うな顔をした。
「…市丸」
「ようやっと会えましたなあ。めっちゃ焦らされましたわ。今、 ひとりなん?」
 すらっと後ろ手に戸を閉めて、市丸はゆったりと日番谷 に近付きながら言った。
 日番谷はわずかに押されたように身体を引き、筆を置い た。
「…悪いが松本は今、出てる。出直してくれ」
「副官さんがおらんと、十番隊長さんには会ってももらえま せんの?」
 こんなチャンスをみすみす逃すわけがない。
 ゆったりとしながら逃げるスキを与えない動きで距離を詰 めかけて、日番谷の身構えるような固い表情に気が付い た。
(…あかん、浮かれすぎた)
 さんざん焦らされてやっと掴んだまたとない状況を逃す まいと、知らずに狩りをする時のような気分になっていた。
 市丸が慌ててフッと気を緩くすると、日番谷の気もほん の少しだけ、柔らかくなった。
「いや、だって、松本に会いに来たんだろう?」
「えっ、何言うてはるの、ちゃいますよ、十番隊長さんに会 いに来てますんよ?」
「…ああ、そう…」
 なんとも気のない返事だ。
 聞き様によっては告白ともとれるセリフだと思うのだが、 市丸の言葉を単なる社交辞令だと思っているようだ。  そしてそれを迷惑だと思っているのが、顔に出ている。
「…で、オレに何の用だ?」
(用がなければ来るないう顔やね?)
 まだあまり言葉を交わしたこともない、しかも隊長格の市 丸に対して、一応多少の気は使っているらしい。言葉で は言わなかったが、顔がそう言っていた。
「隊長同士仲良うすんのも、仕事のうちやで?いざっちゅ う時は、助け合わなあかんのやし」
 軽い調子で言いながらまたふわりと近付くと、日番谷の 眉間のしわがいっそう深くなる。
「それにボクは個人的に、十番隊長さんが好きやねん」
「…」
 市丸の真意を測りかねたように、日番谷がまた、警戒し た顔になる。
 キリッとした顔も可愛いが、困った顔も、迷惑そうな顔も、 また可愛い。
 市丸の方はデレッとした顔になりながら、袖の下からとっ ておきのお土産を出した。
「ハイ、これ」
「?なんだ?風鈴?」
「お土産ですわ」