<前 | 次> |
百年目の恋人−3
それでも、平和な毎日は、容赦なく過ぎてゆくものだった。
それこそ世界のどこかで何が起こっても、どこで誰が消えてなくなっても、変わらず一日は始まり、過ぎてゆく。
「…つがや隊長、日番谷隊長!」
「…ぁあ?」
書類を睨みつけたままぼんやりとしていたらしい日番谷は、大声で名前を呼ばれてようやく、我に返った。
「聞いてなかったんですかぁ〜、恋次の話。すごいと思いません?今度、尸魂界の再建に、王家の宝が使われることになるらしいですよ!」
瀞霊廷は今大混乱の中にあるが、それでも少しずつ、落ち着きを取り戻してきつつあった。
忙しい時間を縫って、仲の良い者同士がこうして度々集まって、お互いを励まし合い、情報を交換し合い、お茶を飲んで、菓子を食べて、…
(…いつもと同じじゃねえか)
再建が大変だとは言っても、戦争はとりあえず、終わったのだ。
全く平和だ、と日番谷は思って、いつの間にか集まっているいつものメンバー…松本、阿散井、檜佐木、そして吉良の顔を眺め渡した。
「王家の宝?…たとえば、何だ?」
「知りませんよう〜。今、そのあたりの話を、会議に会議を重ねて決めているらしいです」
「この期に及んで会議に会議かよ」
タメ息をつくが、仕方のない話ではあろう。
王家の宝は力が強すぎる上扱いが難しく、生半可な力の者では御すことはほぼ不可能だと聞く。
生半可、とは死神の隊長格をも指すのだとか何とか。
それに、下手な使い方をしてしまうと反作用も大きく、使い慣れない者達は、慎重にならざるを得ない。
「それに、王宮の復旧が優先な上、宝を使うにも、在り処に近づいたり封印を解いたりってのに、いちいち大仰な儀式を執り行わないといけねえらしくて、相当手間取りそうなんだとか」
「今だに上級貴族と王属特務以外は、王宮に立ち入れないとか言ってるらしいしな」
何もかもがバカバカしく茶番だと思えたが、それでも新たな可能性へと向かうこんな平和は、代え難いものなのだとも思った。
(新たな可能性、か…結局同じ、って気もするけどな…)
あれだけ派手な戦いをしても、これだけ派手に頂点を崩されても、全く違う力が外から介入してこない限り、権力の構図も、基本的な尸魂界の在り方も、結局何も変わらない。
藍染は、死んだ。
と、思われている。
少なくとも日番谷は、そう聞いた。
彼の霊圧は消滅し、追い切れなくなったと。
王宮の崩壊に伴い、霊王は深い眠りに落ち、その時の戦いで藍染も、あの黒崎とかいう不思議な男に倒されたと聞いた。
東仙も、市丸も、…結局あの時離反した三人は、全員死んだということだ。
「ねぇ、たいちょう〜、王家の宝って、すごい力を持っているんでしょう?あの王印一個で、なんでしたっけ、時間、空間、次元、全てを操ることができる??ねぇ、思いませんか、そんな力があるのなら、…」
「…どんな力でも、死んだ奴を生き返らせることは、できねえ」
松本が何かを言う前に、日番谷はぴしゃりと言った。
松本はその言葉に唖然としたような顔をして、
「あら、そんなことあたし、言ってませんよ?あたしはただ、そんな力があるならば、あっと言う間に元通り!って言おうとしただけなんですから〜!」
明るく言われて、日番谷の方が動揺した。
(お、俺、何考えて…)
さっと顔色を変えた日番谷に気が付いたのかどうなのか、吉良がすかさず、
「そうですね。そんな力があるのなら、たまった業務も、ちょちょいのちょいで」
「おう、そんな力があるのなら、ちょちょいのちょいで、俺様の御殿を瀞霊廷に建ててやらあ!」
「おっ、それなら俺は、ちょちょいのちょいで、女の子にモテモテだぁ!」
「おいおいおい、テメエら、宝の使い方、間違ってるから。てか、テメエら願いがみみっちい」
「ひど!」
思わず突っ込むと皆の笑いが弾け、緊張しかけた気持ちが、ふわっとなごんだ。
皆で集まって、茶を飲んで、菓子を食べて、笑って。
それがどんなに今の自分たちにとって大切なことなのか、日番谷は痛いほど、身に染みた。
誰もが心や体に傷を負っている今、皆の前では隊長として、下の者を支えねばという気持ちが働いて、自分の傷を見ている暇はなくなる。
そのことに一番助けられているのは、他の誰でもない、その間傷を見なくて済む、自分自身だった。
外では気丈に振るまえても、一人部屋に帰ると、喪失の傷が生々しく口を開いて血を滴らせ、その痛みにもがき苦しんでいる。
霊術院に入って、初めて現世で魂葬の実習をして、痛烈に思ったことがある。
それは、死というものの一番辛く恐ろしいことは、肉体の終焉に伴う苦痛やひとつの人生がそこで戸切れる無念さより何より、愛する者との別離が、必ずそこにあるということだ。
逝く者も残された者も、それに一番苦しみ、嘆く。
それは、誰もが逃れられない、生きるもの全てに課せられた宿命なのだ。
人は誰もが、一人で生まれ、一人で死んでゆく。
それは当たり前のことで、誰もがその孤独と戦わなければならず、死神として、数えきれないほどの魂の苦しみを目の当たりにしてきた。
それでも。
『とうしろう』
幻のようなあの時の声が耳に残って、今でもまだ、息が止まってしまいそうだった。
(どうして、名なんて呼んだ)
握った拳を布団の上に叩きつけ、日番谷はまた、眠れない夜に呪いの言葉を吐き付けた。
『ボクのもんやて印は、まだそこにあるんよね?』
(どうしてそんなもの、俺の身体に残していった)
どれほど強く奥歯を噛み締めても、涙一滴出てこない。
それは、市丸が日番谷の元を、尸魂界を去っていった時も、そうだった。
『なあ、冬獅郎?忘れてへんよね?』
(忘れさせねえのは、テメエじゃねえか!…どうしてあんなもんに殺されやがった、どうして俺の刀で死ななかった!…どうして!)
虚圏で生きていた時だって、いつかは帰ってくるなんて、甘い夢など一度もみなかった。
ならば、死んでも状況は同じはずなのに。
こんな苦しみに囚われたら最後、もう二度とするべきではないと思ってもそうせずにはいられなくて、日番谷はまた、震える足で立ち上がった。
(…これで、最後だ。もうあんなものは焼いて捨てて、一日も早く立ち直らなくちゃいけない)
何度もためらってから、結局襖を開けて、中から小さな道具箱を取り出す。
あんなことがある前に、市丸が日番谷に贈ってきたものだ。
(ムカつく。腹が立つ。あいつはこれを渡してきた時すでに、俺との別離を承知してやがったんだ)
どうしても辛くて耐えられなくなった時。
この引き出しを開けるんよ、と市丸は言った。
市丸が去ってこの箱を棄ててやろうとした時、その言葉を思い出して開けてみた。
中には市丸からの手紙が入っていて、
愛する冬獅郎へ。死ぬまであなたの市丸より。
そんなわけのわからない、くだらない、陳腐な、気の狂った、バカバカしい、腹の立つ、どうしようもない市丸からのメッセージを見て、その時ビリビリに破いてしまわなかったのが、今でも信じられない。
そんなものをことあるごとに取り出して、見る度に胸が詰まってしまう自分が、信じられない。
(去ってもまだ、俺を愛してるとでもぬかすつもりか)
人の心を操ることのうまい市丸は、幾重にも幾重にも呪縛をかけてくる。
その唇で、指先で、言葉で声で、こんな紙切れで。
(だったら、死んだらどうなんだ)
今度こそこんな愚にもつかない屑など破って捨ててしまおうと思ったのに、日番谷はどうしてもそれができなくて、やっぱり再び、引き出しに戻してしまった。
(…クソ野郎!)
乱暴に襖に戻して心の中で吐き捨てるが、どうしてかその手紙を見ると、わずかばかり心が落ち着くのだ。
(あんなものにいつまでもすがってちゃ、ダメなのに)
布団に戻り、唇を噛み締めて、目を閉じて、深く息を吐いた。
『冬獅郎』
今度の声は、優しく温かく、日番谷を包み込んだ。
そしてようやく、うとうとと眠りの淵に落ちてゆく。
その夜遠くで小さく、鴉が絞られたような、何かの断末魔の声が聞こえたような気がした。