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ハレルヤ−8

 食べ終えた皿をさっさと片付けて、市丸がそっと日番谷の肩に手を添えて、集会場の外へ促した。
 今まで触れることも許さなかったのに、いつの間にかそんな接触もごく自然で、不思議と払う気にもならなかった。
 外へ出ると、市丸の言ったとおり、楽しい賑やかな音楽から、静かでしっとりしたものに変わっていた。
 いつの間にか舞台には巨大なモニター画面が置いてあって、色んな国の色んなクリスマスの映像が、ずっと流されていた。
 明るく灯されていた照明も落とされ、ポツリポツリと、ぼんやりしたライトが、道を間違えない最小限程度に灯されているだけだった。
 そして、ツリーは、息を飲むほど幻想的に、そこに立っていた。
 ゆったり点滅するライトに照らされて、色とりどりのボールやベルがキラキラ輝いている。
 雪に見立てた綿は白くぼんやりと浮かび上がり、本物の雪みたいだ。
 しんと冷えた空気に厳かな曲が染み渡り、今夜がとても神聖な夜のように感じられた。
 あまりの美しさ、清らかさに、日番谷が声もなく感動していると、市丸の大きな手に、そっと抱き寄せられた。
 そうすると市丸の体温がじんわりと肩に伝わってきて、それがなんとも温かく感じて、振りほどくことを忘れてしまう。
 日番谷がおとなしくしていると、市丸はその後ろに半歩足を滑らせて距離を縮め、身体が少し重なるようにして、後ろから軽く抱き締めるようにしてきた。
 それくらいの接近が、とても、とても密着しているように感じて、ドキドキしてくる。
「きれいやね」
 静かに、市丸が言った。
「きれいだな」
 静かに、日番谷が答えた。
 ふたりの唇から白い息が出て、冷たい空気に溶けて、消える。
 人前でこんなにくっついたりして、皆に見られているんじゃないかと思って周りを見ると、周りの皆はいつの間にかほとんどカップルばかりで、二人以上にしっかりと抱き合っていて、びっくりした。
 皆自分の恋人と、ツリーしか見えていないように見えた。
 こんなに寒いのに、そんなことは感じさせないくらいにぴったりとくっついて、幸せそうに微笑み合っている。
 そんな恋人達に囲まれていることに気付き、少したじろいで慌てたが、そんな気持ちを読み取ったように、市丸の手が少し強く日番谷を抱き締めてきた。
 それはまるで守るように、励ますように、誇るように。
『クリスマスは、恋人達のイベントだからねぇ』
 ふいに、京楽の言葉が胸に浮かんだ。
 あの時は何も知らなかったから、バカかと思っただけだった。
 そして市丸とこうしていなかったら、今頃自分はさっさと隊舎に帰って、その意味をわからないまま終わったのだろう。
 市丸は、恋人なんかじゃないのに。
 どうして他の恋人達のように、お互いの体温に身を委ねながら、うっとりと幻想的なツリーの美しさに見惚れたりしているのだろう。
 どうしてふたりでこうしてツリーを見ているだけで、胸が震えるように感じるのだろう。
 灯っては消えるツリーのライトに、催眠術でもかけられているのだろうか。
 清らかで厳かな歌声に、魔法でもかけられているのだろうか。
 少しずつ、少しずつ近付いてくる市丸に、距離感を失わされてしまったのだろうか…。
「日番谷はん」
 しっとりと甘い声に呼ばれて顔を上げると、市丸の顔が近付いてきて、ふわっとその唇が、唇に触れた。
 一瞬でそれは離れてゆき、あれ、今、キスされた?と思った時には、身体は余韻に甘く痺れて、拒絶するよりも、いっそうその胸に甘えたい衝動が、身体を包んだ。
 なんだかドキドキして、市丸の顔がまともに見れない。
 少し目を伏せると、熱い胸の高鳴りに、睫毛が震えるのがわかった。
 市丸は再び顔を下ろしてきて、内緒話をするように耳元で、
「ボクの部屋にな、綺麗なツリーあんねん」
 どこか掠れた色っぽい声で、そっと囁いた。
「小さいけど、ちょっと変わったつくりで、ほんまに綺麗なんよ」
「うん」
 いつまでもこの広場のツリーを見ていたかったが、じっとしていると、くっついていても、しんと冷えてきて、寒くて。
 でもこのまま市丸と別れてしまうのは、淋しくて。もう少し、一緒にいたくて。
「見にくる?」
 ツリーも見たかったけれど、もう少しだけ、こんな気分に酔っていたい。
 それが本音で、日番谷は静かに頷いた。



 それでも、そこまで日番谷を惑わせたのは、やはりあの巨大なツリーと、クリスマスの夜の魔法だったのだろう。
 初めて市丸に手を握ることを許し、引かれてゆくまま、彼の部屋へ行った。
 初めてつないだ市丸の手は温かくて大きくて、そうして手を握られているだけでドキトキしてしまい、その道中で魔法がとけてしまうということは、なかった。
「ここ。お入り?」
 通された部屋は簡素で、温かみもなく、寒々としたところだった。
 市丸が火鉢を持ってきて、ようやく少し暖かくなる。
「寒かったやろ、大丈夫?」
 温かいお茶を渡されると、両手で持って、頬に近づけた。
「落ち着いた?」
 にっこり笑って聞かれて、黙って頷いた。
 本当は、別の理由で、少し緊張していた。
 市丸は明るい照明はつけないで、行灯に火を入れただけだったので、広場から持ち帰った神秘的なムードは、依然保たれたままだった。
 このままだと、ヤバいことになる…
 広場でほんの一瞬くちづけられた時の自分の反応を思い出すと、怖くさえなった。
 今これから何かがあっても、理性で納得していないままムードに飲まれた結果ということになり、おそらく自分は後悔するだろうと思われた。
 漠然とではあるが、そこまでわかっていたのに、帰る決心はなかなかつかない。
「そわそわしとるね」
 クスリと笑って言われ、心の中を読まれたようで、一瞬カッと頬が熱くなったが、
「早うツリーを見たいんやろう?」
 さらりと逃げ場をもらって、思わず縋りつく思いで、頷いてしまった。
「隣の部屋にあるんやけど。暗くして見ないとあかんから、灯り、全部消して真っ暗にしてまうけど、ええ?」
「ああ」
「せやったら、こっちにおいで?」
 手招きされ、隣の部屋の前に立った。
「そのまま、待っててな?」
 市丸がすっと離れて、一瞬後に、灯りが消された。
 真っ暗な中、市丸が背後から近付いてくる気配に、ゾクッと背筋が震えた。
 本能的な恐怖…だけじゃない。
 触れられることを待つように、全身の肌がピリピリするほどに敏感になり、空気の流れさえ拾って、内側から熱くなる。
(…なんだこれ。…何を、俺、期待して…?)
 市丸が、背後に立った。
 触れる距離ではなかったが、市丸の存在を含んだ空気が押し寄せてきて、着物を通して肌に触れられたように感じた。
 ハッと身体を固くすると、抱き込むように身体の両側から両腕が回されて、目の前の襖が、パッと開いた。
「あっ…」
 部屋の奥に、見たこともない美しいものが、置いてあった。
 それはツリーの形をしていたが、広場にあったものとは、違った。
 赤や青や黄色の光が、交互に順番に、灯っては消える。
 ある場所は濃く、ある場所は薄く、青と紫が同時に光ったり、緑と黄色が同時に灯ったり、ゆっくり色を変えながら、その全体が光って見えた。
「光ファイバーゆうんよ」
 すぐ背後で、市丸の満足そうな声が言った。
 自分が用意した美しいツリーに、日番谷が魅せられたことに満足しているのだ。
「光ファイバー?」
「そうや。広場のツリーはモミの木にライトをつけてるんやけども、このツリーは、言うてみれば、光で出来たツリーなんや」
「光でできた…?」
「きれいやろ?」
「…ああ…」
 本当に、きれいだった。
 思わず息を詰めて見惚れてしまうくらい、今この状況を忘れて見入ってしまうくらい、光に寄せられる虫のように、フラリと部屋に足を踏み入れてしまったくらい。
 もっと近くで見たい、と言葉で思うひまもないほど、無意識だった。
 ただ本当に魅せられて、吸い寄せられたと言った方が正しい。
 そのツリーの置いてある、奥の部屋の中へ。
 ほんの、二〜三歩、踏み入った瞬間、
「…日番谷はん…っ」
 驚くほどの力で、いきなり、本当にいきなり、背後から抱き締められた。