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紅蓮−9

 だが、市丸はなかなか、帰って来なかった。
 日番谷はその後もずっと振り払えない胸騒ぎに耐え切れず、そうでもなかったら死んでもしないのだが、三日ほど経った頃、とうとう市丸と連絡を取ることにした。
 後続隊として先遣隊から情報をもらうためということにして、十二番隊で市丸の通信機につながる通信機を貸してもらった。
 わざわざ誰もいない木立の中まで行って、少しばかり緊張しながら市丸を呼び出す。
 絶対にわざとに違いないが、ずい分待たされてから、ようやく市丸が出た。
『…市丸やけど?』
 ご機嫌でも不機嫌でも事務的でもない、隊長らしい威厳をこめた、すました声だった。
 あれほど毎日顔を見ていたから、久し振りに聞く声に少々ドキッとする。
 顔が見えなくて声だけ届くというのも、変な感じがした。
「…日番谷だ」
 一呼吸置いてから、日番谷はわざと低い声で言った。
 とたんに市丸は声の色を変えて、
『じゅ、十番隊長さん?!わぁ、夢やないやろか、十番隊長さんがボクに連絡とってくれはった!嬉しいわぁ、神様からボクへの、頑張ったご褒美やろか?!元気にしてはった?浮気してへんやろね?今日の下着の色は何色なん?』
「うるせえな、ふざけたこと言ってんじゃねえよ。それよりテメエ、大きなこと言ってたわりには、いつまでかかってンだよ?」
『淋しい思いさせてゴメンな?今どこにおるん?一人なん?』
「淋しいとか、そういう問題じゃねえだろ。今テメエ、何してんだ?虚はまだ現れねえのか?」
『ボクは今、ひとりやで。のんびりコーヒーすすっててん。コーヒー知っとる?』
 いきなり全くかみ合わない会話に、日番谷は思わず眩暈を覚えた。
「お前、人の話聞いてんのかよ?虚の方はどうなったって聞いてんだ!」
 思わずキれて怒鳴ると、市丸はようやく、
『まあ、ボクらの霊力が餌やねんけど、あんまり出しすぎてもあかんから、移動しながら待っとるところですわ。この機会に現世のことも、色々見てったろう思うてますし。キミはこっちに来たことありますの?お土産は何がええですか?ミンクのコートがええ?ダイヤの指輪がええ?それともフェラーリ360がええ?』
 ようやく本題に触れたと思ったら、またすぐに脱線する。
「何が土産だ、テメエ暇なのか!遊び気分か!」
『いややなあ、そない怒らんでも、お土産なん買うていくのは、キミにだけやで?あ、乱菊のご機嫌はとっておかんとキミに取り付いでもらえへんから、乱菊には買うてかなあかんなあ。堪忍な?』
「誰もそんなこと怒ってねえよ!」
 うまくごまかされようとしているのか、本気で意思の疎通がないのか、頭が痛くなってくる。
『こんな任務やのうて、今度はキミとふたりで来たいわ。見せたい景色とか、連れていってあげたいところとか、色々あんねんで?』
「遠慮する!そんなことはいいから、さっさと任務終わらせろよ、お前!」
『…うん、ボクも淋しい。もうキミと、72時間以上会うてへん。早うその可愛えお顔を見んと、死んでしまいそうや』
 なんだこれは。
 遠距離恋愛中のカップルの長電話か??
 いつまで経ってもモードが変わらない市丸の言葉に、日番谷は唖然として通信機を見て、この連絡に一体意味はあったのだろうかと本気で悩んだ。
 だがすぐに思い出して、
「…市丸、俺はあれからまた十二番隊で話を聞いたんだが、その虚の霊力の吸収分解の能力は、核による発動ではなくて、体液や呼吸気などによるものだ。それも、相当強力な。やはり斬魄刀で奴の口内を攻撃するのは、危険ではないかと思うのだが…」
 気を取り直して言うと、市丸は気にした様子もなく、
『キミはまだ十二番隊に通ってはるの?あの阿近とかゆう餓鬼には気をつけるんやで?男はもれなく狼やからね?特に十二番隊は、変態集団やし』
「…テメエ以上の変態なんか、そうそういねえよ」
 やはり、余計なことだったかもしれない。
 市丸がまともな返事を返さないのは、そんなことは承知の上だから、ご意見無用という意味なのかもしれない。
 日番谷は急に恥ずかしくなってきて、こんなバカげた通信は、速攻やめるべきだと思った。
 だが、連絡終了の言葉を出す前に、
『…色々心配してくれはって、おおきに。参考になりましたわ。一秒でも早う生きてキミのもとに帰るために、ボクもさっさと終わらせなあかんねぇ』
 言い方はひっかかるが、比較的まともな言葉に、なんとなく少し、ホッとした。
「…俺のもとには帰んなくていいけど、任務は早く終わらせろ。…それに、何かあったら、ちゃんと報告しろ」
『ええっ、これからもキミと自由に連絡とれるん?その通信機、キミがずっと持ってはるん?します、します!それはもう細かく報告させていただきます!』
「いや、無駄な報告はいらねえから」
 もしかしたら、余計なことを言ってしまったかもしれない。ものすごくくだらない報告がじゃんじゃん入ったらどうしようと、早速不安になってしまう。
『せやったら今晩、ボクから連絡入れるな?なんとかイヅルたちの目ェ盗んで一人になるから、キミも早うお部屋に戻って、お風呂も済ませて、お布団の中で待っててや?』
 だから、遠距離恋愛中のカップルじゃねえんだから!
 怒鳴ってやりたいくらいだったが、その単語を口にしただけで、市丸は喜ぶだろう。そう思うと、誰が喜ばしてやるものかと思った。
「部屋にいるか、風呂に入っておくか、布団に入っているかは、俺の勝手だ」
『それは、ボクからのお願いや。…早うお部屋に戻って、お風呂も済ませて、夜着に着替えて、お布団の中でボクからの連絡、待っててや…?』
 とろりとした声色には、なんともいえない色気がこもっていて、市丸がその言葉の中に、そういう色合いを含めて言っていることは、いやというほど伝わってきた。
 そんなふうに言われると、本当に自分達はしばらく会えないでいる恋人同士になったような錯覚がして、その淫靡なイメージにクラッとしてしまう。
 市丸のペースに引き込まれそうになっていることに気が付いて、日番谷は慌てて、
「…気色悪ィ言い方すんなよ!誰がテメエの頼みなんか、聞くか!それに、虚情報以外のことを口にしたら、速攻切るぞ」
『可愛えお口で、そない冷たいこと言わんといて。日番谷はんの声が、ボクの勇気とパワーになるんよ?』
 馴れ馴れしいというか口説きモードというか、市丸は何でもいうことをききそうな雰囲気でありながら、日番谷の話は何一つ聞かないような気がして、それがいかにも市丸らしいと思いながら、やたらと空しい気分になる。
「…市丸、お前がこっちを出る前、…俺に何か、教えてくれようとしていただろう?」
 聞いてもどうせ、市丸は何も教えてはくれないだろう。
 あの言葉も、もしかしたら嘘だったかもしれない。
 そう思いながらも、聞ける機会に聞いておかないと、後悔しそうな気がした。
『気になりますか?』
 やはり市丸は、もったいぶるような答えをした。
「あれ以外にも情報があるのでなければ、そんなに余裕はないだろう」
 なげやりなタメ息をつきながら言うと、市丸は耳元で、ふふっと笑った。
 それは思わずドキッとするくらい、優しくて甘ったるい、とろけるような笑いだった。
『…日番谷はん?』
「…なんだよ?」
『…好きやで?』
「…」
 実物が目の前にいなかったから、うっかり警戒を緩めてしまっていたかもしれない。
 通信機を当てていただけに、直接耳に吹き込まれたようなその言葉と声に、背中にビリッと何かが走った。
 同時に何か不思議な感情が、強く胸を締め付けた。
 手を出される心配がないから、いつもは逃げる準備のために身体に回していたエネルギーを、聞くことと話すことに、全て向けてしまっていたこともあっただろう。
 声だけでこれほどかと呆然としたが、日番谷は慌てて変な感情は振り捨てた。