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紅蓮−8

 市丸は、どこまで本気でどこまで演技なのか、さっぱりわからない。
 全て本気でも全て演技でも、どこからどこまでが本気だと教えてもらっても、ムカつくことには変わらないのだが。
 理解不可能なあの言動が、本当にアプローチの仕方がわからなくてあんなことになっていたのだったら、どうしようもないその不器用さ加減には、憐れむべきところはあるかもしれない。
 だが次の日、三番隊が朝一番で討伐に向かったと聞いて、血管が切れそうになるほど頭にきた。
 より早く打てる手として名乗りを上げたのだから当たり前と言えば当たり前だが、それならば昨日のあの時点で、もう既に出発の準備は進められていたわけだ。
 あんなことを言いながら、日番谷があそこで市丸の話に乗っていたとしても、恐らく全て反故にされていたに違いない。
 おいしい餌をちらつかせて、与える気もないのにまんまと身体だけいただいてしまおうとされたかと思うと、そんなに軽く見られていたかと思うと、はらわたが煮えくり返る思いだった。
(…バカにしやがって!)
 腐って十二番隊に行くと、阿近はもう三番隊出立の話を聞いていたようだった。
 事情を話し、せっかくの開発を使えないかもしれないことを詫びて、それでももしもの時のために、引き続き準備を進めてくれないかと頼むと、阿近はもちろんですと、大きく頼もしく頷いてくれた。
「俺達の開発が遅れているせいで、申し訳ありません」
 逆に謝られて、日番谷はますます申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「…でも、市丸隊長のその話…、俺はあまり信用できませんけどねえ」
 日番谷に茶を出し、自分もその隣に座って茶をすすりながら、考え深く、阿近は言った。
「核があるかどうかはともかく、力の発動という部分がねえ。死神を吸い込む力は核が発動するかもしれませんけど、霊力を吸収分解する力は、発動される力によるものではなく、常時奴が分泌している、体液や呼気等によるものです。その能力の及ぶ領域は奴の口内とその息のかかるくらいの空間で、そのエリアに入ったら力が発動されるされないに関わらず、霊力の吸収分解を受けるはずだと思うんスよ。現にひとりは、呼気だけで一瞬にして消滅させられているわけですし。
 …つまり、市丸隊長の斬魄刀がいかに速くても、無防備なままでは核に届く前に吸収されてしまうんじゃないかというのが俺の考えです。…だから、このまま俺達の開発が役立つことになる可能性は、低くはねえんじゃねえスかね?…市丸隊長には悪いすけど」
 市丸の斬魄刀が吸収される…?
 市丸が失敗するのはいい気味だが、それがそのまま死につながりかねない虚討伐だけに、日番谷はその言葉に、思わずゾッとした。
「…そこまで…強力なのか?隊長格の死神の斬魄刀が、そんな一瞬でその力を吸収されるくらい…?」
「そればっかりは、なんともいえません。隊長格の死神の斬魄刀ででもなければ、口の中はおろか、奴の前で抜刀することすらできないことは、断言できますが」
 阿近の言葉は、日番谷の予想を遥かに超えたものだった。
「それは…市丸に、知らせた方がいいかもしれない…」
「…同じことだと俺は思いますけれど、日番谷隊長がそう思われるのなら、そうされたらいいと思います。…市丸隊長はあの腕を見に来ています。その可能性を全く考えていないとは思えませんが」
 その言葉を聞いたとたん、夕べの市丸の顔が、目の奥にフラッシュバックした。
『キミとこうして会えるのも、今日が最後かもしれへんね?』
『今回の討伐には、十番隊は絶対に行かせたないんよ』
『ほんまに、ほんまに好きやで、日番谷はん…』
 突然それらの愚にもつかない言葉が、深い意味を持って心に響いてきた。
 まさか市丸は、本当に日番谷に討伐に行かせないために、本当に危険を承知で、命をかけて十番隊から任務を奪い取っていったのか…?
 山本を納得させるために、冷静で計画深いように見せかけて、日番谷の反論を押さえ込むために、あえて挑発的な言葉や態度で、実際は無謀と知りながら?
(まさか!)
 一瞬浮かんだそんな考えを、日番谷は慌てて振り払った。
 失敗したら、市丸の霊力まで吸い取って、より強力な虚となるのだ。より強力になった虚の討伐に、十番隊が向かうことになるのだ。
 それでは理屈が変だし、市丸が命をかける理由もみつからない。
 そもそも市丸だって、やられるつもりで行ったりはしないだろう。何かまだ情報を隠し持っていて、何かまだ秘密にしている勝算が…
 じわりと、汗がにじんできた。
 動揺して、嫌な考えばかり浮かんでしまう。
 市丸が教えると言っていた情報を、やはりなんとしてでも聞き出しておくべきだった。
 せめて十番隊隊長と三番隊隊長として、互いに協力し合って進めることのできそうなやり方を、話し合ってみることくらい、するべきだった。
 市丸の安い挑発に頭に血を上らせてしまい、求愛を拒絶したくて、全てを拒絶してしまった。
 いくら市丸が嫌いだといっても、死んでほしいと本気で思っているわけではないし、死神として今回の虚退治を一日でも早く、できるだけ犠牲が出ないような形で成功させたいのに。
 市丸だって、ただ本当に日番谷に情報を渡し、相談したかっただけかもしれなかったのに、頭から身体目当てだと決め付けて、全く聞く気もなかった。
「…日番谷隊長?」
 一気にそこまで考えて青くなってしまった日番谷を、阿近が怪訝そうな顔で見下ろした。
「あ、…いや…」
 それでも、市丸はきっと、あっさりとやり遂げて帰ってくるだろう。何事もなかったような顔をして、いつものように飄々とした様子で、日番谷の心配など全くの取り越し苦労だったと、手柄話を憎らしくも平然と話すに違いない…。
 それでも。
 何かとても、嫌な予感がした。
 胸騒ぎがする。
 あんなに嫌いだと思っていた市丸なのに、一日でも早く無事で帰ってきてくれることを、日番谷は本気で祈った。