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紅蓮−5

「確かに十番隊の隊員さんが飲み込まれたり大怪我されたりしましたけども、あれを最初にみつけたんは、三番隊ですからねえ。今日山じいとよくよく話をしまして、そういうことに決まりそうですわ。明日にでもキミにも話ある思いますけども」
 山本と話をしたと言っていたのはそういうことだったのかと、ますます頭に血が上った。
 十番隊の隊員が何人も殉死しているのだ。日番谷が完全に自分の隊の仕事として準備を進めているのを知っていながら、横からさらっていくような卑劣なことを、どうしてこうも平然とするのか。
 まさかとは思うがそれが自分に対する市丸の邪まな気持ちからだとしたら、もう完全に許せないことだった。
「せやけどあれが厄介な代物やゆうことは、キミも知ってはる通りやから、キミとこうして会えるのも、今日が最後かもしれへんね?」
 日番谷が怒り狂っていることに気付いていないわけはないのに、市丸は全く意に介した様子もなく続けた。
「なあ、十番隊長さん。こないなんやったら、どうですやろ?明日にも死ぬかもしれへん男が涙ながらに頼んだら、この世のええ思い出のひとつくらい、残したろ思わへん?」
「テメエ…!」
 限界だった。
 あまりのことに忍耐の限界を超え、日番谷は思わず抜刀して市丸に斬りかかった。
 …つもりだった。
「…今日は、逃げへんの?」
 残像はそこにまだあるのに、目の前に、市丸の大きな身体があった。
 冷たい手がいつの間にか日番谷の喉に伸び、そっと押さえようとしている。
 気が付いたらそれは、刀を抜く前だった。
 ほとんど怒りによる反射で抜いたくらいの速さだったのに、それとも怒りのために集中力に欠いた状態だったのか、それにしても刀さえ抜く前にいつの間にか懐に入られていたことに戦慄さえ覚える。
 またしても市丸から発される黒いものに身体を包み込まれそうに感じ、日番谷はとっさに後ろに飛んで窓を割り、外に出た。
 だが、着地する先に市丸の影が滑り込むのを目の端で捕らえ、慌てて空中で身体をひねると、なんとか離れたところに足を着き、すぐに屋根の上に飛び上がった。
 一瞬足を着いた先にすら市丸の手が伸びた気配を感じたため、屋根に着いてもすぐに身を低くし、市丸の姿を探す。
「…刀は、抜かへんの?」
 すぐ後ろで不気味に笑う声がして、そのまま前方に転がるように逃げると、またすぐに向かいの屋根に飛び移る。
 今度はそこで止まらずに、市丸の気配を振り切るまで、屋根から屋根に、地面から木の枝へ、これでもかというほど高速で何度も移動した。
「…ボクな、誰かを追いかけとると、興奮してくるんですわ…」
 これだけ逃げてもピタリとついてくる影が、うっとりしたような声で言った。
「捕まえたら、食べてしもうてもええですやろか?」
 その声に、心底ぞっとした。
 このままでは刀を抜きたくても、抜く隙がない。
 日番谷は捕まるのを覚悟で足を止め、フェイントで身体を横に滑らせてから宙に舞い上がり、空中で抜刀した。
 騒ぎにならないようにギリギリまで霊圧を抑えたが、それでも漏れ出た霊圧が、隊舎を揺るがせた。
 すぐ後ろに影のようについてきていた市丸は、抜刀と同時に斬りかかった日番谷からヒラリと逃げて、少し離れたところでようやく実像を結んだ。
「あァ、また失敗や…捕まえる前に、抜かれてもうた…」
 その距離は日番谷にとっても安全な距離だったが、市丸にとっても安全な距離だった。
 残念そうに言うが、やはり斬魄刀に手を伸ばす様子はない。
「ほんま、手ェ焼かせる子ォやねえ。命かけてお願いしとるのに、抱かれるくらい、なんでそない嫌がりますの?初めてなんやったら、そらもう優しゅうしたるよ?」
「嫌に決まってんだろが、何考えてんだ、お前!」
「せやったら、どないしたら、キミから進んで抱かれてくれますの?…キミの大事な五番隊の副隊長さんの危機でも助けたったら、その気になってくれはる?」
 そこで出た名前に、日番谷の目が更なる怒りに燃え上がった。
「テメエ…雛森に手ェ出しやがったら、殺す!」
「ボクは手ェなん出しませんけども」
 日番谷の反応を面白がるように、市丸はごく軽い調子で言った。
「例の虚は、相手なん見境なしやからねえ」
「何っ?」
「内緒やで?…ほんまはあの虚、一番最初にみつけたんは、五番隊なんや」
「!」
「五番隊でも、ボクはええねんけどな。…まあ、三番隊に、任したって?」
「テメエ…」
 何を企んでいるのかと、思わずにはいられない。
「五番隊も何も、最初からこれは、十番隊の仕事だ」
「せやね」
 言った市丸の声から、ふいに毒のようなものが抜けたように聞こえた。
「…せやけど、ボクも今回の虚討伐、十番隊に行かせるの、嫌やねん」
 その声には毒どころか切ないものが混ざっているように感じて、日番谷は少しばかり混乱した。
「十二番隊にキミが持ち込んだ例のもん、ボクも見させてもらいました。…ほんま、厄介や。虚は、見境なしやしねえ」
 日番谷が今回の虚討伐に雛森は絶対に行かせたくないのと同じ気持ちで、市丸も日番谷には行かせたくないと言いたいのだろうか。
 予想もしていなかった言葉に軽く動揺はしたが、それは侮辱にも感じられた。
「俺が行ったらそいつにやられるとでも言いたいのか、テメエは。俺にはできなくても、テメエにならできるとでも?」
「…最後の夜かもしれへんいうんに、キミは最後までそないなこと言うんやね…まあ、それだけボクの力信用しとってくれとるいうことやけどね」
 殺しても死ななそうなくせに、図々しい。
 言ってやろうかと思ったが、何故か言えなかった。
「せやけど、とにかくキミに気持ち伝えたから、今日のところはそれで満足や。ほんまはいってらっしゃいのチューくらい期待しとったけども」
「ふざけるな…!」
「生きて帰ってきたら、ヤらせてくれはる?」
「生きて帰るのは基本だ、バカ野郎!」
 日番谷が怒鳴ると、市丸はわざとらしく身を縮めて見せながら、わあ、また怒ったぁ、と言って一歩下がった。
「任務の件は、堪忍な?虚倒したらまたおいしい手土産持って遊びに行きますよって、それまでにご機嫌直しといてな?」
 ヒラヒラと手を振って、市丸はフッとその場から立ち去った。
「待て、市丸…!」
 なんだか、いつかと似たような展開だ。
 今度も追おうと声をかけるが、
「隊長、どうしたんですか、ギンに何かされたんですかっ?!」
 先ほどの抜刀時に急上昇した霊圧で驚いた松本が、会議を抜け出してきたらしい。
 二人で組んでいるのではないかと疑いたくなるほど、絶妙なタイミングだった。
「…いや、なんでもない。…例の虚は、三番隊の仕事になったらしい」
「ええっ?!」
 刀を収めながら、抑えた声で日番谷が言うのへ、松本が驚いた声を上げた。
「どうして三番隊なのよ!ふざけんじゃないわよ!こんなことなら、あいつのどら焼きなんか食べるんじゃなかったーっ!」
 いまいち緊張感に欠けるセリフだったが、本当に松本の言う通りだった。
(…それに、市丸…、テメエのそれは、好き、ってんじゃねえよ…)
 どうやったらそれを市丸にわからせることができるのか。
 日番谷は唇を噛んで、市丸の消えた虚空を睨み続けることしかできなかった。