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紅蓮−4

 日番谷が十番隊舎に戻ると、松本が書類とにらめっこをしていた。
「なんだ、珍しく真剣に仕事してんだな」
 軽く嫌味で言うと、
「あら隊長、おかえりなさい。そりゃ真剣ですよ。今日の女性死神協会の会議では、運営費獲得案をまとめないといけないんですから」
「…十番隊の仕事もしろよ、お前」
 呆れて言うが、松本は至って真剣だった。
「そうなんです。今一番有力な案は売れるグッズの販売ですから、ここは十番隊の腕の見せ所ですからね!みんなにもあたし、期待されてんですよ」
 そこでどうして『十番隊の腕の見せ所』なのかはわからなかったが、そちらの仕事も認めないわけにはいかない。
「ああ、そう…」
 日番谷はタメ息をついて、席に向かった。
「十二番隊の方、どうでした?」
「ああ…。思った以上に手強そうだったな。…今、阿近と対策について相談してきたところだが。とりあえず、頼んだアイテムの完成待ちだ。最優先で早急に仕上げてくれる予定になってはいるが」
「そうですか…この資料でも、たいしたことはつかめませんでしたしね」
 十二番隊から借りてきた山のような資料をぽんぽん叩いて言う松本に、日番谷は驚いて、
「お前、それ全部読んだのか?」
「えっ、当たり前じゃないですか〜!これくらい、読みますよ〜」
 本当だかどうだかわからないが、松本はする時はする。
 そうか、と言って椅子に座り、日番谷は斬魄刀を下ろしかけて、また戻した。
「あれ、隊長?どうしたんですか?」
「…いや…」
 嫌な霊圧が近付いて来る。
 それが瞬時に市丸だと気付いた日番谷がピリリと緊張したのを敏感に感じとって、松本も真剣な顔になった。
「隊…」
 言いかけたところで、市丸ののんびりした声がした。
「こんにちは〜、市丸です、お邪魔します〜♪」
 返事も聞かずに戸が開き、市丸が嬉しそうに顔をのぞかせた。
「なんだ、ギンじゃない。今日の手土産は何?」
「月見屋のどら焼きと亀田の塩せんべいや」
「あいかわらず、よくわからない組み合わせね。ま、いいけど」
 松本の合格をもらって、市丸はいそいそとソファに座った。
「ああ、疲れた。今日は山じいに呼び出されて、ずっと仕事のお話や。しんどかったわ〜」
「隊長の仕事がしんどいのは当たり前でしょ。いつもサボッてるからしんどいのよ」
 人のことを堂々と言って、松本がもらった菓子の箱を開けた。
「せやけど、山じいの顔ずっと見とっても、楽しくもなんともないやん。その点、ここは天国やね〜。護廷十三隊きっての綺麗どころやからねぇ〜。ここにおるだけで心癒されるわ〜」
 そう言われて、松本も悪い気はしないらしい。まあ、そうだけど、などとまたも堂々と言って、いそいそとお茶を入れてくる。
 なんだこの和やかな雰囲気は、と思って、日番谷は思わず唖然としてしまう。
 だが、もともとこの二人はこうなのだ。
 まるであの時の市丸の方が夢ででもあったかのように、目の前のそれは当たり前の光景だった。
 あんなに日番谷に市丸を警戒するように言った松本さえ、しばらくするといそいそと出かける準備を始めた。
「あれぇ、乱菊、お出かけなん?」
「これから女性死神協会の集まりがあるのよ」
「ええ〜、せっかくボクが遊びに来てるのに、行ってまうの?」
「仕方ないじゃない。アンタも隊長の仕事の邪魔になるから、さっさと帰りなさいよね」
 あの日のことは松本には言っていないから、なんだかんだ言ってこの平和な雰囲気に、松本もそれほど市丸と日番谷を二人きりにすることを気にしてはいないようだった。
「いやや〜、山じいの相手でもうへとへとやもん。もう少しここで荒んだ心癒してからやないと、何もする気せえへん」
 松本がいなくなっても帰る気がないことを確認して、日番谷は二人きりになる前にここを出ようかと一瞬考えたが、立ち向かわないことには、いつまでたっても何も解決はしない。
 黙ったまま集中して、隙だけは決して見せないように、市丸の動きにすぐに対応できるよう、意識だけは戦闘態勢に入る。
「隊長に何かしたら、ぶっ飛ばすわよ?」
「乱菊は心配性やなあ」
 ぶっ飛ばす…なんと夢物語のように、可愛らしい牽制だろうか。
 あの時の市丸のぞっとするほど不気味な霊圧を思い出して、日番谷は笑ってしまいたい気分になった。
 やがて松本が部屋を出て行くと、市丸はにこにこしたまま一口お茶をすすり、ぱたんとソファに横になって、
「なあ、十番隊長さん、十番隊長さんも、疲れた時とか、ここで休憩したりしはりますの?」
 相変わらず、平和な口調のままで市丸が聞いた。
「…時々な」
「横になったりもします?」
「…そこでは、あまり」
「せやったら、いつもはどこで横にならはるの?仮眠室?」
「…」
 普通の会話なのに、妙に嫌な気分になるのは、なぜだろう。どうでもいいだろ、と冷たく言うと、市丸は寝そべっていた身体を起こして、
「十番隊長さん、この間のこと、まだ怒ってはる?」
 なかったことにする気も、その件には触れないでおくつもりも、ないようだった。
 その甘えるような言い方に、日番谷の眉が寄った。
「テメエは一体、何がしたいんだ」
「う〜ん、何て言われるとボクにもようわかりませんけども、一番わかりやすく言いますと、キミのこと抱きたいんやね」
 あまりに直接的な答えに、日番谷は驚いて目を剥いた。
「え、そない驚かんでもええですやん。そんなの、わかってましたやろ?…ボクが、キミのことを、好きやいうこと」
 全然わかっていなかった日番谷は、思わず立ち上がって、斬魄刀に手をかけた。
「テメエ…」
「あ、いややなあ。好き言うた答えが斬魄刀ですの?もう少し色々試してからでも、ええですやん。な、どないしたら素直に抱かせてくれるんか、教えてくれはりません?」
「…失せろ」
「絶対満足させますて」
「もう一度言う。…今すぐここから、失せろ」
 日番谷が語気を荒げると、市丸は肩を竦めて、ゆらりと立ち上がった。
 いつの間にか、つい先ほどまでの平和な空気は、跡形もなく消え去っていた。
「残念やなあ…。ボク、強姦嫌いやねん。暴れられると、頭に血が上ってもうて、何するかわからへん」
「…市丸」
 こんなところで刀を抜きたくなんかないが、市丸があくまでそのつもりなら、やむを得まい。
 日番谷が戦闘に都合のいい位置にじりじりと移動してゆくと、市丸はじっとそれを見ながら、
「せや。大事な用事忘れるところやった。今日はボク、十番隊長さんにご挨拶しに来ましたんよ」
 刀には手もかけずに、ゆったりと言った。
「ご挨拶?」
「この間十番隊長さんが資料調べてはったあの虚な、三番隊が討伐に向かうことになりましてん」
「なんだと!」
思いもよらない、しかも許しがたいテリトリーの侵害に、怒りのあまり、目の前がカッと赤く染まって見えた。