.

紅蓮−16

 日番谷は四番隊で右手の包帯を替えてもらうと、そのまま市丸の病室を探した。
 日番谷の怪我はたいしたことはなく、明日にも包帯はとれると思われたが、市丸の腕は重傷だった。
 それでも切り落とすしかないかと思われた腕は、時間はかかるが元に戻せるらしく、帰ってからずっと、市丸は卯の花直々の集中治療を受けていた。
 それが今日急性期を過ぎて落ち着いたと聞き、様子を見に行くことにしたのだ。
 日番谷達がいたのは虚の腹の中で、出口はその口だったので、時間的な問題はともかく、比較的スムーズに脱出は成功した。
 核と思われるものは目の前で破壊され、生き物の内臓であった地面や壁は断末魔の収縮を繰り返していたので、口が閉じた今となっては確認することはできないが、虚退治は成功したと思われた。
 涅は核の破片や内臓の細胞をいくつかちゃっかり持ち帰っていて、ご満悦な様子だった。
 阿近が保管していた十番隊の腕も奪い取り、これから楽しく研究に没頭するつもりらしい。
 事件が起きていた時はさほどの興味も示さなかったくせに今頃なんだとは思うが、万が一虚が再び現れた時には、今度こそ役に立つものを開発していてくれるだろうと思うので、後は任せることにした。
 松本には市丸とのことは話さず、山本に報告した内容とだいたい同じようなことだけ、少し詳しく話しておいた。
「市丸隊長、けっこうヘタレじゃない!発破かけられないと気合も入らないようじゃダメね!」
 市丸の無残な腕を直接見ていない松本は、…いや見ていてもきっと同じだったろうが、容赦なくそんなことを言って、市丸の回復よりもお土産の有無の方を心配しているみたいな口ぶりだった。
 命さえあれば、腕一本などものの数ではないのかもしれない。
 それは、その通りだろう。
 日番谷はあれから、ずっと考えていた。
 市丸の今回の行動や言葉は、どこまでが本当で、どこまでが嘘だったのか。
 腹の中で捕まった時は、全てが彼の企みだと、彼の全てが嘘だったと思い込んだが、あの無惨な腕を見た瞬間、そうではなかったかもしれないと思った。
 企みではあったかもしれないが、嘘ではなかったかもしれない。
 少なくとも、遊び半分ではなかったのだろう。
 市丸が今回のことで命を懸けたかどうかはわからないが、腕一本懸けたのは、事実だ。
 平気そうな顔をしていたが、あんな腕で、平気だったわけはあるまい。
 実際、本意ではないが、日番谷は市丸に助けられたのだ。
 あそこで市丸が無理にでも腕を引き抜かなかったら、今頃日番谷はどうなっていただろう。
 その前に、三番隊が無理矢理任務を奪って先遣隊として出るようなことをせず、最初の予定どおりはじめから十番隊が討伐に行っていたら、情報不足だった上予想以上だった虚の前に、例え十二番隊のアイテムがあっても、今頃どうなっていたかわからない。
 市丸がどこまで何を知っていたかはわからないし、あんな展開になってしまったのも半分は彼のせいだが、結果的に、日番谷が負うはずだった怪我を、代わりに市丸が負ったのだ。
 それくらい厭わないほどの捨て身の覚悟を、市丸は持っていたのだ。
 何が本当なのか、何が嘘なのか、どこまで遡って真実だったのか。
 フィルムの逆回転のように、色々な場面を甦らせて辿っていくが、どこまで戻っても彼の心は全くわからなかった。
 本当に苦しそうだった呼吸。切なく囁いてきた愛の言葉。妖気とも言えるほどの凄まじい毒気をまとっていた時の彼でさえ、真実の姿であったのかはわからない。
 真実…という言葉さえ、市丸の前では意味がないものなのかもしれない。
 彼の中では、全てが同時に存在しているのかもしれない。
 日番谷は市丸の病室の前に立つと、しばらくずっとその前でためらった。
 市丸は別に、日番谷のために腕を犠牲にしたわけではないかもしれない。
 日番谷が無謀なことをすることで、市丸にも何か不利益なことがあったのかもしれない。
 単に思い通りにいかないことが面白くなくて、自棄になったのかもしれない。
 だが、こんなムチャクチャな市丸だが、腕はあれほど無惨に溶かされていたのに、彼の斬魄刀が無傷で壁から出てきたのを見た時は、ハッとした。
 彼の謎が日番谷に理解できる日がくるとは思えないが、それは必ずしも不快なものばかりではないような気がした。
 日番谷は懐から、現世の市丸と話した通信機を取り出した。
 すっかり忘れていて、返しにいかなくてはと思いながら、いまだに返しそびれている。
(…市丸…お前、本当に、何を考えてるんだ…?)
 日番谷はそっと深呼吸をしてから通信機を懐に戻し、ノックをして、ドアを開けた。