.

紅蓮−12

 伝令が飛び込んだ時、日番谷は息を飲むと同時に、思わずそっと目を閉じた。
 一番隊へ赴いて山本から詳しく話を聞くと、そのままの足で十二番隊に向かった。
「阿近!今朝見せてもらった試作品、明日にでも使わせてもらうぞ!」
「ひ、日番谷隊長、まさか…」
「市丸が失敗した。斬魄刀とともに、飲み込まれたらしい。部下は下がらせていたから飲み込まれたのはあいつひとりだが、あいつの霊力を虚が吸収し尽くす前に、なんとしても虚を倒さねばならない」
 阿近が、ゴクリと息を飲んだ。
 市丸は皆にあまりよく思われていなかったようだが、実力は誰もが認めていた。
 その市丸を飲み込み、更には彼の霊力すら吸収した虚が、どんなに恐ろしいか。阿近は最初から、それをとても恐れていたのだ。
「ひつ…がや隊長…吸い込む力がそれほどならば、霊力を吸収する力も…あんな試作品では…まだ…」
「では、試作品でないものは、いつできる?」
「明日の晩には…」
「明日の早朝までには、無理か」
「…っ」
「飲み込まれたからといって、市丸もすぐにその霊力の全てを奪わせたりはしないだろう。一刻でも早い方が、倒せる可能性は高い」
 嫌な予感は、的中した。
 だが今ならまだ、市丸は生きている。
「…隠密機動から市丸が飲まれた時の映像が送られてきていた。市丸の言っていたとおり、口の奥に、赤く発光する、核…のようなものが見えた。市丸の斬魄刀がそれを射抜こうとした瞬間、…本当に瞬間に、市丸はその口の中へ吸い込まれて、消えた…」
 一番隊を退出すると、日番谷はすぐに市丸の通信機に呼び出しをかけた。
 出てくれ、出てくれと祈りながら待つ間、自分の破裂しそうな心臓の音で、通信機の呼び出し音もよく聞こえないくらいだった。
 虚に飲み込まれたのだったら、そこは異空間中の異空間だ。こんな通信機で通信など無理なのかもしれない…と諦めかけた頃、突然それは市丸とつながった。
『…あは…ひつが…んや…』
「市丸っ!?」
『や…そくどお…には、…かへんかった…かんにんな…』
 電波が悪く、途切れ途切れのその声は低く掠れていて、息も乱れて弱々しかった。
「総隊長からだいたいのことは聞いた。市丸、お前、大丈夫か?」
『ん…だいじょ…ぶや…こいつの…は捕まえとんねん…』
 全然大丈夫そうではない声が、いつもの口調で言った。
「…どうやら、十番隊の出番らしいな」
『あかんよ、ひーくん…キ…は来た…あかん…』
「誰がひーくんだ。…どれくらい持ちこたえられそうだ?」
 日番谷の問いに、通信機の向こうで苦しそうな息が笑った。
『しっぱ…は、しとらんよ…キミはええ子で、…っとり…』
「十分失敗だ。テメエ、霊力吸われてんだろ?もう待てねえぞ」
『…後生…から、来んといて…』
 聞いたこともない、苦しそうな声だった。
 本当は話すのも苦しいのだろう。
 どろどろに溶かされた、襲われた十番隊の隊員の腕を思い出した。
 呼気を当てられただけで、あれなのだ。腹に入った市丸は、どうなっているのだろう。
 一刻も早く助けないと、本当に死んでしまうに違いない。
「…できる限り、頑張れ。後は俺達が、何とかするから」
『あかん!』
 突然鋭い声で、市丸が叫んだ。
 叫んですぐに息が切れ、苦しそうな呼吸に変わる。
「…市丸、もうお前、しゃべるな」
『…とうし、ろう…』
「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ」
『…あは…呼んだった…ええ…まえや…』
 この期に及んでそんなことを言って、市丸は嬉しそうに笑った。
『こっち…たら、抱きつくで…』
「なんだって?」
『その可愛…ほっぺ…スし…まうで…』
「絶対させねえから、安心しろ」
『…とう…うは、さいごの…いごまで、…地悪や…ほんまに、来た…、あかんで…』
「最後とか言ってんじゃねえよ!」
『…乱…と、イヅルに…、…』
「市丸?」
『……』
「市丸!」
 弱い呼吸音だけがしばらく続いた後、力尽きたように通信は切れた。
 思い出すと、いてもたってもいられない。
 やはり市丸は他にも色々情報を持っていて、ある程度こうなることも、予想していたのだ。
 それでも、いやだからこそ、なんとかして十番隊に行かせないために、危険な賭けに打って出たのだ。
 脅したり、挑発したり、優しくしたり、嘘をついたり、あらゆる手で日番谷の目を眩ませ、憎しみを買ってでも、虚討伐の任を奪い取っていったのだ。
(だから、間違ってんだよ、テメエの愛情表現とやらはよ!そんなことしてもらったって、俺はちっとも、少しも、全然、嬉しくなんか…)
 むしろ悔しさと、よくわからない感情で、潰れてしまいそうに胸が苦しい。
『虚討伐は、弔い合戦やあらしませんからねえ』
 市丸のすました声が突然胸に甦って、過ぎていった。
(まだ死んでねえよ、縁起でもねえ!)
 慌ててその声を振り切って、日番谷は阿近の顔をキッと見据えた。
「借りた通信機で、先ほど市丸と連絡がとれた。よくは聞き取れなかったが、虚の核はあいつが捕まえていると言っていた。市丸は息も絶え絶えだったが、生きてまだ掴んでいる間に虚の口の中に飛び込めれば、俺がその核にとどめを刺してやれるかもしれない」
「…わかりました。それでは、明日の早朝には、必ず」
「無理を言ってすまない。頼んだぞ」
「隊長、確認しておきますが、このシールドで守られるのは、氷輪丸の持ち主…日番谷隊長ひとりだけです。虚の口の中に入れるのも…」
「わかっている。とにかく、急いでくれ」
「わかりました」
 阿近が沈痛なおももちで、頷いた。