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ボクの誕生日−2

   約束した時間にはまだ早かったが、市丸は早々に待ち合わせの場所に向かっていた。
 一応主役は自分であるのだが、誘ったのはこちらだし、何よりせっかく応じてくれたのに、待たせて怒らせたり不安にさせたくなかった。
 なにしろ市丸はこれが最後ではなく、これから何度もこうして二人でデートを重ねる方向にもっていく予定だったから、最初の印象は大切だ。
 ほとんど地に足がついていないような足取りで目的地に着くと、そこには当然、誰もいなかった。
 誰にも見られないような、瀞霊廷のほんの片隅の、柳の木だけが目印のような場所だ。
(あの子、迷わんと来れるやろうか…?)
 松本には袖の下を渡してあるから、早く終われるように取り計らってくれるはずだ。
 多少迷っても、時間までには十分来れるだろう。
 十番隊から三番隊の方に向かってすぐのところにあるお堂の横に生えている柳の木が、一の柳。
 そこから実は柳の木が、道しるべのように点々と生えている。
 まっすぐ行って、二の柳。
 左に曲がって、三の柳。
 そこから道なりに歩いて、四の柳。…
 頭の良いあの子は、一度説明しただけで、こくりと頷いて聞き返さなかった。
 ふたりだけの秘密の約束に心もち頬を紅潮させて、怒ったように眉を寄せたまま、わかった、とだけ言って、逃げるように去っていった。
 その後ろ姿をときめくような気持ちで見送った、甘酸っぱい時間。
 そんなものを感じる自分に笑ってしまいそうになりながらも、満たされた気持ちになっているのは、事実だった。
 早く会いたくてたまらないから待ち遠しいが、こんなドキドキした気持ちで誰かを待つというのも悪くない。
(あの子は今頃、どのあたり歩いとるやろうか?)
 お堂の隣に、一の柳。
 まっすぐ行って、二の柳。
 左に曲がって、三の柳…
 自分に会うために歩いてくるその姿を思い浮かべていると、自然に頬が緩んできた。
(…あかん。ほんまにいかれとる。こないなことが、嬉しゅうてかなわん)
 市丸はニヤけた顔を修復しようともしないで、日番谷が現れるはずの道の先を、目を細めて眺めていた。



 一方日番谷は、店を回って歩きながら、悩んでいた。
(祝いの品ったってな。何やったら喜ぶんだ、あいつ)
 何を贈っても喜ぶような気もするし、何を贈っても喜ばないような気もする。
 市丸のことは知っているようで何も知らないから、彼が喜ぶものを贈るのは難しいように思えた。
(松本に聞くわけにもいかなかったしな。本人に聞くのも、なんか、ムカつくし)
 無難なものは、食べ物だ。
 だが考えてみたら、彼の食べ物の好き嫌いも、よく知らない。
 女性だったら甘いものでOKだと思うので楽だが、市丸が甘いものをもらっても、喜ぶようには思えなかった。
 と、そこまで考えたところで、丁度酒屋の前に来た。
(…酒か。酒なら、大人の男に贈るものとしては、無難かもしれねえな)
 松本の話では、市丸は酒は弱くも嫌いでもないらしかったな、と思い出して、日番谷は酒屋に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
 出てきた店主は、一瞬子供の来店に戸惑った様子だったが、すぐにその隊首羽織を見て、営業スマイルに戻った。
「ええと、この店で一番いい酒をくれ」
 酒の種類などわからなかったから、日番谷はとりあえず、そう言ってみた。
 店主はハイと答えてすぐに奥から見本の一升瓶と器を持って来て、これなどいかがでしょうと、少量を注いで渡してくる。
 日番谷が一口だけ味見してみると、するりと水のように喉を通っていった。
 次の瞬間にはカアッと身体が熱くなったが、とりあえず、飲みやすい。
「じゃあ、それを。贈り物だから、箱に入れてくれ」
「お持ち帰りになりますか、こちらから送っておきましょうか?」
 送ってもらった方がそれは楽だが、三番隊の隊長に、と言うのがとっさに恥ずかしくて、思わず持って帰ると答えてしまった。
 今の一口で、多少頭に酔いが回っていたかもしれない。
 日番谷が隊長だと見て、気を利かせてくれたのだかなんだか、店主はどうやら相当立派な箱に入れて、上等な風呂敷に包んでくれた。
 出てきたそれが予想以上に大きくて、日番谷は一瞬どうしようと思ったが、今更後には引けず、動揺は顔に出さないまま、うむと答えて受け取った。
(お、重っ!)
 抱えるようにして両手で持てば楽かもしれなかったが、いかにも身体に余ると言っているようでプライドが許さず、日番谷は片手に下げて、店を出た。
 だが、ただ下げているだけならなんとかなっても、日番谷の身長では、少し肘を曲げないと、風呂敷の底が地面についてしまう。
 贈り物なのにそれだけはできなくて、日番谷は根性でなんとか持ち上げて、足早に待ち合わせ場所に向かった。
 早くも失敗してしまった感満載だが、買ってしまったものはどうしようもないし、時間もあまりない。
 引きずったり抱えたりしていたら市丸にも笑われそうだったので、なんとしても市丸に渡すまで、必死であることも悟られないで、このまま持って行く覚悟だった。
 だが、こういう時に限って誰かに会ってしまうのは、もはやお約束だと言えよう。
「やあー!日番谷隊長じゃあないかー!」
 その声は、浮竹だ。
 この広い瀞霊廷の中、しかもいつもは臥せってなかなか出ない浮竹にこんなところで会ってしまうなんて、運が悪いにもほどがある。
 とっさに逃げようとしてできなかったのは、やはりこのとんでもなく重い一升瓶のせいだろう。
 ほんの一瞬のタイミングを逃しては、今更逃げるわけにもいかなかった。
「…ああ、浮竹」
 さりげなく足の甲の上に包みを置いて、ポーカーフェイスで答えた。
「こんなところで会うなんて、珍しいな!買い物か?」
「ああ」
(お、重い、なんとかさっさとやり過ごさねば…!)
 重いのもそうだが、これから市丸に会うということも、できれば知られたくない。
 二人で誕生日を祝うなんて恋人同士みたいで恥ずかしいし、…でも何故か、他の誰かにその時間を薄められたくないような気もした。
「また、大きな包みを持っているなあ。重くないか?持ってやろうか?」
「大丈夫だ。それよりお前こそ、今日は体調がいいのか?」
「ああ。久し振りに街を歩きたくなってね。どうだい、せっかくだから、一緒に夕飯でも食っていかないか?この先に、おいしい店があるんだよ」
「あ、…いや、今日は俺、急ぐんで」
「なんだ、そうか。残念だなあ」
 実際、そろそろ待ち合わせの時間だ。
 そして早くも、こっそり酒を乗せた足が痛い。
 浮竹には悪いが素っ気なく言うと、浮竹は気にした様子もなくその包みをもう一度見て、
「それ、なんだい?」
「いや、たいしたものじゃ」
 答えるが、こっそり足の上に乗せていることが、バレたかもしれない。
「持ってやるよ。どこに行くんだ?」
 言うや否や、さっと包みを奪われてしまう。
「あっ!こら、返せ!」
 急に軽くなったのは嬉しいが、市丸のところまで持っていってもらうわけにもいかないし、市丸へのプレゼントだとも言えない。
「まあまあ。遠慮するなよ。俺はどうせ暇なんだ。喜んで荷物持ちさせてもらうよ。いや、させてくれよ、ぜひ」
 日番谷が無理をしていることは、お見通しらしい。
 日番谷のプライドに障らないように気を使いながら、実に親切に申し出てくれた。
 その優しさは嬉しいが、今ばかりは本当にもう、勘弁してほしい。
「浮竹隊長〜!こんなところに!」
「探しましたよぅ〜!」
 ただでさえ勘弁してほしいのに、声と同時に、小椿と虎徹清音の二人の十三番隊第三席がやってきた。
「あっ、日番谷隊長、こんばんは!」
「あれ、浮竹隊長と、お約束でした?」
「いや、偶然会っただけ、これから別れるところだ。じゃあな浮竹、迎えが来たことだし、俺は行く。それ、返してくれ」
 今がチャンスとばかりに言うが、浮竹はにこにこしたままで、
「こいつらのことは気にするな!みんなで一緒に行けばいいじゃないか!…で、どこに持っていけばいいんだい?」
 実に悪気なく、というより善意そのもので、浮竹はにこやかに言ってくれた。
「いや、だから、」
 日番谷が腕を伸ばすより先に、もっと高いところから、もっと太くてもっと長い四本の腕がさっと伸びた。
「浮竹隊長、荷物持ちでしたら、自分がさせていただきます!」
「いいえそれくらい、自分が!」
 なんだかややこしいことになってきて、日番谷は焦った。
「いいから、お前ら!それは俺が自分で持っていくし、急ぐから、もう行く!」
 必死で言うが、三人は日番谷を振り返ってじっとその姿を見て、
「いえ、ぜひお役に立たせてください!」
「ご遠慮なさらず!」
「はっはっはっ、ズルいぞお前ら、俺が最初に申し出たんだから俺が一番だ。そうだ、こうしよう。そこの木まで俺が持って、その次が仙太郎、その次が清音」
「…そしてその次が俺、ってことならいいっすよ、そうしましょう」
 こうなったら遠慮なく荷物持ちをしてもらって、自分のところに戻ってきたところで、大ダッシュで逃げよう。
 とうとうそう決心して、日番谷はタメ息とともに答えた。



 ぼんやりと立っていた市丸は、強烈な霊圧が急速に近付いてくるのを感じて、眉をひそめた。
 どうしようかな、と思う暇もなく、その霊圧はあっという間に目の前に迫り、通り過ぎかけて、
「あっ、ギンギンだ〜。何してるの、こんなところで」
 可愛らしい少女の声とともに、巨大な霊圧の塊が急ブレーキをかけて目の前で止まった。
「いやあ、気にかけてくれへんでもちっともよかったんやけど、こんばんは、やちるちゃん、十一番隊長さん。そちらこそ、こないなところに何しに来はったん?」
 今にも日番谷が来るかもしれないのでさっさと立ち去ってほしかったが、そんなことはおくびにも出さずに柔らかく微笑んで聞くと、やちるが更木の背中で嬉しそうに、
「あのねー、新しくできた、大正ロマンてお店に行くのー!おしゃれなんだってー!人気なんだよー!」
「そうなん。方向まるで反対やけど」
「なにィ!」
 その店がどこかというより先に、そもそも街から反対方向だ。
 市丸が言うと、更木が目を剥いて、
「テメエ、その店知ってんのか!どっちだ!」
「ま、方向的には、あっちやね」
 更木達がやって来たのとほぼ同じ方向を指差して言うと、更木は悔しそうにウウムというような声で唸り、背中のやちるは全く気にしていないように、
「剣ちゃん、あっちだってー!ほら、行くよー!」
「チッ、しょうがねえ。邪魔したな、市丸!」
「バイバイ、またね〜、ギンギン」
「うん、またな。無事着くとええな〜?」
 来た時と同じように風のように去ってゆく二人に軽く手を上げて挨拶を返しながら、一体どこをどう間違えたらこっちに来るんだ、と思わずにはいられない。
(まさか、あの子も迷ってはるんやないやろうね?)
 精霊廷の中でも同じような白い壁ばかりが続くこの界隈は、滅多に人が来ないという利点もあるのだが、一度迷うと果てしなくわからなくなる可能性も確かにある。
 今のあの、更木とやちるのように。
 時を告げる鐘の音を遠くに聞きながら、待ち合わせ場所、失敗したやろか、と市丸は少し心配になった。