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ボクの誕生日−1

 今日は三時を過ぎようとした頃から、三番隊隊長の市丸はピシリと席に着いて仕事をしていた。
 いつものように、椅子に座っていてもダラリとしたまま書類に手を伸ばそうともしないような様子ではなく、背筋を伸ばし、凛とした風情で筆を進めるその様子に、吉良は感心すると同時に、うっかり見惚れてしまっていた。
(…市丸隊長、本気なんだな…)
 本気そのものがよくわからない男ではあったが、副官として彼に仕えて以来、こんな市丸を見るのは初めてだったから、やっぱり今回は、特別なのだろう。
 あれは一週間ほど前、昼過ぎくらいにフラリといなくなった市丸は、小一時間ほど経った頃、ものすごい勢いで帰ってきた。
「イ、イヅル、奇跡が、奇跡が起こったでェ!」
 いつも冷静沈着な市丸のその様子に、何が起こったかと吉良も慌てて立ち上がった。
「市丸隊長、一体何があったんですか?!」
「ありえへん。夢やろうか。それとも誰かの幻覚に惑わされとるんやろうか。到底現実とは思われへんけども、現実やとしたら、これはものすごいことやで!」
「隊長、何が、何があったんですか?」
 執務室に戻るなり、部屋中をウロウロ大股で歩き回りながら市丸は、
「あんな、もうすぐボクの誕生日やねん」
「はい、そうですね」
「その誕生日にな、十番隊長さんが、会うてくれる言うたんよ!」
「…は?」
「奇跡やねん。デートやで!氷みたいに冷たいあの子が、ボクの誕生日祝ってくれる言うてくれたんや!」
「日番谷隊長が…。そうですか。よかったですね」
「イヅル、来週までに、新しい死覇装と羽織用意しとってな!」
「…はい!」
 市丸が日番谷を気に入っていることは知っていたが、まさかそれほどまでとは思っていなかった吉良は、その興奮ぶりに、心底驚いた。
 市丸のことをあまり良く思っていない様子だった日番谷が、市丸の誕生日を祝ってやると言ったらしいことにも、驚いていた。
(まあ、そっちは隊長同士だし、市丸隊長がどんな手使ったかわからないから、有り得ないことではないのかもしれないけど、でも、これだけ本人も驚いて喜んでいるんだから、予想外の大変な事態なんだろうな)
 もともと市丸は誕生日だどうだと騒ぐタイプでもなかったから、もちろんそれはデートに誘う口実なのだろう。一方日番谷はまだ若いし、誕生日だとか記念日だとか、そういうものを大切にすることは相手を大切にすることだと考えるような、真面目で誠実な男なので、そういう色合いを強調して誘えば、確かに承諾してくれることもあるかもしれない。
 そのあたりの温度差はともかく、市丸のこの狂喜乱舞ぶりを目の当たりにしてしまうと、意外な一面に唖然とすると同時に、ああ、市丸隊長も誰かを好きになったりするんだなあと、ホッとしたりもした。
 とにかくそんなわけで、とうとう誕生日当日なのだ。
 あれ以来、執務室のカレンダーのその日には大きなマルが打たれ、カウントダウンが始まった。
 市丸はその後特に大騒ぎをするでもなく、その話題を出すでもなく、最初のような大興奮ぶりはなかったけれど、微妙な高揚感というか、緊張感というか、同じ部屋にいる吉良までもがその日を指折り数えてしまうような期待感が、ずっと部屋中を満たしていた。
 終業時間が近付くと、市丸は静かに立ち上がり、隣室へと消えていった。
 やがて戻って来た市丸は、一見特に何も変わってないようだったが、新しいものに死覇装と羽織を替えてきたことが、吉良にはわかった。
 チラッと吉良の方を見て、無言のまま、ツ、ツ、ツ、とゆっくりその場で回って見せる。
「完璧です、市丸隊長!髪もバッチリ、着物もバッチリ決まってます!」
「そう?」
 市丸は吉良の言葉に満足そうに頷くと、
「ほならボクはこれでお仕事終わりにさせてもらうけども、後はよろしゅう頼んだで、イヅル」
「はい!」
 吉良の返事ににこりと微笑むと、市丸はふわりと羽織をひるがえし、ゆったりとした足取りで執務室を後にした。



 終業時間が近付くと、松本はチラリと日番谷の方に視線を走らせた。
 いつもと変わらず、黙々と仕事を続けている。
(…今日、ギンとデートって、ホントにホントなのかしらね?ギンが一人で勝手に夢見てるだけじゃないのかしら?)
 本当にデートなのだとしたら、そろそろ片付け始めてもいい頃だと思うが、日番谷にその気配は、いっこうに見られない。
 第一、そんな話はこれまで一言たりとも、日番谷の口から出てきていない。
(でも、ギンにもらったシャネルの香水はもう封開けちゃったしなあ。今更夢だったから返せって言われても困るし)
 あれは、一週間ほど前だっただろうか。
 松本のところにふらりと市丸がやって来て、しばらく雑談をした後で、
「…ところでもうすぐボクの誕生日なんやけど」
「ああ、そうね」
「去年はお祝い会と称して、みんなでどんちゃんやってくれたなあ?」
 そんなことを言い出したから、てっきり今年も祝ってほしいと言うのかと思ったら、
「それはそれで嬉しくないこともなかったけども、今年はあれや、他の口実みつけてくれる?」
「はあ?何言ってんの、あんた」
 確かにあれは口実で、そういえば主役のはずの市丸は早々にどこかに消えてくれたし、だからといってこちらも何の支障もなく、宴会は楽しく続いていった。
 もともとそういうことが好きでもなさそうな市丸だったから、そう言われても不思議でもなかったけれども、
「てゆうか、その日はさっさと仕事終わって、さっさと帰ってくれる?」
「はあ?」
「とはいえ何かあったら、副官として、キリキリ処理してほしいねん」
「…何が言いたいのよ?」
 松本が怪訝な顔をすると、市丸はすかさず懐から包みを出すと、
「これ、前乱菊欲しい言うとったよね?」
「えっ、なに、それ、まさか!」
 魅惑のロゴの入った上品な包みを見て、松本の目は思わず輝いた。
「早い話が、ボクの誕生日には、乱菊とこの隊長さん、早めにお仕事終わらせて、その後呼び出されることないようにして欲しいねん」
「えっ」
 思わず伸びかけた手を止めて、松本が市丸の顔を見上げると、市丸はさっとその手に包みを押し付けて、
「頼む乱菊、一生のお願いや。乱菊ならきっとやってくれるて、信じとるで!」
「うちの隊長って、…なによ、まさか、あんた…」
「これも秘密やねん。いや、ボクはええんやけど、あの子はきっと嫌やと思うから、今のところは、秘密にしといてくれる?」
「まさか、うちの隊長に祝ってもらおうっていうの?!」
「声が大きいで、乱菊!」
 珍しく慌てたように言って、市丸は人差し指を唇の前で立てた。
「ようやく、ようやく、初デートやねん。あの子はどう思ってはるかわからんけども、ボクにとっては、夢にまでみた初デートやねん。お願いや乱菊、協力して」
 ピタリと両手を合わせてお願いされて、松本は唖然としながらも、承諾しないわけにはいかなかった。
 市丸にそんなお願いをされたのは初めてだったし、何よりそんな必死な姿を見るのも初めてだった。
(まあ、とにかく、あたしはさっさと仕事を切り上げて、隊長が帰りやすくすればいいのよね?)
 そんなことは頼まれなくてもいつものことだが、松本はてきぱきと机の上を片付けて、
「じゃあ隊長、あたしはそろそろ上がらせていただきますけども」
「ああ。お疲れさん」
「隊長もあんまり無理されないで下さいね?」
「ああ。俺も今日は、早めに上がる」
(あらっ)
 表情も変えないけども、ようやく出た、それらしいセリフだ。
 内心深く突っ込んで聞きたいところだったが、松本は、それがいいですね、と言って、さっさと部屋を出た。

 松本が帰ってしまうと、日番谷は、ふうっとタメ息をついた。
(とうとうこの時がきたか)
 今朝市丸が来て確認をしていったから、今日なのは間違いない。
 いいのか悪いのか、今日一日実に平和に終わり、松本も早々に帰ってくれた。
 日番谷は松本が帰ってしばらくしてから、ゆっくりと机の上を片付けて、ゆっくりと立ち上がった。
 たかが市丸に会うだけなのに、何故か緊張する。
 いやそれどころか、今日の約束をしてから、ずっと落ち着かなかった。
 あれは、一週間くらい前だっただろうか。
 しょっちゅうしょっちゅう『偶然』そのへんで『ばったり』出会っては、変なちょっかいばかりかけてくる市丸が、いつものように何かを企んでいるような笑顔を浮かべて、来週ボクの誕生日やねん、と言った。
「ああっ?!誕生日ィ?まさかテメエ、図々しくも祝ってもらおうとか思ってねえだろうな?」
 思わず冷たく返すと、市丸は平気な顔で、あかん?と答えた。
「いくつだ、テメエ。まだ誕生日なんか祝ってほしいような年なのかよ?」
「ボクの年は教えられへん。必然的に乱菊の年もわかってまうから、トップシークレットやねん」
「なんだそれ。あほか、死ね」
 市丸の言葉は、いつもウソとごまかしで固められている。
 その誕生日だって、怪しいものだと思った。
 誘う口実に、一年に十回くらい誕生日があるかもしれない男なのだ。
 絶対その手に乗るものかと思い、冷たくあしらって去ろうとすると、
「誕生日は、生まれたことを祝う日やで。そないな日ぃやのに死ぬこと願われたら、かなわんわ」
「じゃあ、死ぬこと願われねえ生き方しろ」
 振り返りもせずに答えた背中に、
「キミだけ祝ってくれたらええんよ」
 ふいにその声に真剣なものが混ざったように感じたのは、気のせいだろうか。
 それでも日番谷は、思わず足を止めてしまっていた。
「他の誰が死ぬこと願ってくれても全然かめへん。…せやけど、キミだけは、そばにいてほしいねん。ボクが今、ここにいること。キミにだけは、祝ってほしいねん」
 何故だろう……?
 もしも本当の誕生日だって、祝ってやる気なんか、本当にこれっぽっちもなかった。
 だが日番谷はその声で、その言葉で、魔法がかかったように振り向いて、そして捕まった。
 いつも意味もないようなことをベラベラとしゃべりまくっている市丸と、怒って怒鳴ってばかりいる自分が、黙ったまま見つめ合うようにただ立っていることをおかしいと思う余裕さえなかった。
 市丸の真摯な目なんて。
 想像もできないほど、有り得ないことの一つだと思っていた。
「十番隊長さんだけ、お祝いしてくれたらええんよ」
 やがてもう一度、ゆっくりとその言葉を染み込ませるように、市丸が繰り返した。
「……」
「ふたりだけでお祝い。…ダメやろか?」
「…つまり、俺以外、祝ってくれる奴いねえってことか」
 断って終わりにしてやっても、よかった。
 だが、するりと口を付いて出た言葉は、日番谷自身、思ってもみないものだった。
「…いいぜ。そこまで言うなら、祝ってやらねえこともねえ」
 口が勝手に動いたとしか、思えない。
 その言葉に驚いたのは、日番谷本人だけではなかった。
「え、ほんまに?!」
 日番谷の答えに、市丸も、聞いたこともないようなうろたえた、驚いた声を出した。
 自分で誘っておいて、日番谷がオーケーするとは思ってもみなかったかのような反応だ。
 日番谷だって思ってもみなかったから、さすがの市丸も驚いたのかもしれない。
 冗談だ、本気にするなと言うなら、今だった。
 ホントなわけがねえだろ、と一言言うだけで済んだのに。
「せやったら、お仕事終わったら、迎えに行くな?絶対やで、二人だけでお祝いやで?」
 だが、日番谷が答えを翻す隙も与えず、市丸が素早く続けた。
「…隊舎へは来るな。迷惑だ。外で会えばいいだろ」
 二人きりというポイントだけでも、断るべきだったのに。
 日番谷が撥ね付けたのは、迎えに来るという部分だけだった。
「待ち合わせやね?」
 すかさず市丸が、それを受けた。
「変な言葉使うな。仕事、何時に片付くかまでは約束できねえけど。任務が入ったらナシな」
「それでええよ」
 妙に聞き分けの良いその言葉に、日番谷の気が変わらないうちに、とにかく約束を絶対にしてしまおうという、さりげなさを装ってはいるが、市丸の必死さがなんとなく伝わってきた。
 あ、本気なんだ、と思ったら、そのとたんにびっくりするほど鼓動が高鳴り始めた。
「せやったら、十日な。絶対来てな〜?」
 いつもだったら去り際に、手を握るとか抱き付こうとする等の痴漢行為のひとつもしてゆくところなのに、市丸は弾むようにそう言うと、それ以上は何もしないで帰っていった。
 今思い出しても何がなんだかわからないが、とにかく胡散臭い笑顔もからかうような話し方も大嫌いなはずの市丸と、二人で食事に行く約束をしてしまった。
 多少仕事が遅くなることも見込んで少し遅めの時間に、あまりひと目がないだろう、街から離れた場所で待ち合わせることになっている。
 思ったよりも早く終われることになったので、まだ少し時間があった。
(ま、一応、誕生日なわけだし。何か手土産というか、祝いの品でも用意していくか)
 根が真面目で誠実な日番谷はそう考えて、十番隊を後にすると、待ち合わせの場所ではなく、店の並ぶ街の方へと足を向けた。