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宴〜EN〜−6

 市丸に頭下げるのだけは死んでも嫌、というのは、実は少し違った。
 それまで微妙な関係を保っていた日番谷と市丸は、突然の雨に降られたあの日、とうとう一線を越えてしまった。
 市丸に巧みに誘導され、雰囲気に流され、初めて経験する衝撃的な快楽に我を忘れて、肉体的な関係を結んでしまったのだ。
 その時は…、よくわからない熱いものに胸の奥が痺れるような心地がして、被さってきた市丸の、大きくて重い身体から漂う彼の匂いに、うっとりとした気分になった。
 だがそんなわけのわからない熱が冷めた今、魔が差したとしか、思えない。
 次の日いきなり下された任務に赴いた時には、昨夜の行為で微熱が出ていて、そうでなくても市丸を受け入れたところがヒリヒリと痛んで、かなり辛かったのだ。
 市丸一人のせいにするつもりはないが、どうしてあんなことを許してしまったのか、自分に対しても、腹が立つ。
 終わった後に市丸が見せた、これ以上ないくらいニヤけ切った顔も、日番谷はもう自分のものだと言わんばかりの態度にも、猛烈に腹が立った。
 ブン殴って三番隊舎を飛び出して、そのまま任務で現世へ行って、それきり市丸とは、会っていない。
 できればもう二度と会いたくない。
 思い出す度恥ずかしいやら悔しいやらで、できればこのままなかったことにして、記憶を封印してしまいたいくらいだった。
 だから今ここで市丸に自分から会いに行くことも、このタイミングで頼みごとをすることも、絶対に、絶対にできないことなのだ。
 加えて、日番谷がその櫛を欲しがっている理由など、説明したくもない。 
 そんな複雑で微妙な気持ちを知っているわけもない三人は、日番谷の態度の急変が、理解できない様子だ。
 いや、市丸との関係を知ったら、それなら市丸から櫛を譲り受けるのは造作もないと、無理矢理にでも市丸のところへ連れて行かれそうだ。
(いやもう、ホントそれだけは勘弁してくれ)
 まさかの展開に、櫛も神様も、恨みたくなる。
「まあでも確かに、市丸は、なあ」
「そうスね、確かに市丸ってのは、ねえ」
 しかしその頑なな日番谷の態度に、檜佐木と阿散井は突然それなりの理解を見せ始めた。
「確かに頭下げたくねえっす。わかります、その気持ち」
「てか、できればなるべく関わり合いたくないっつーか」
(…)
 だが、続く言葉に、微妙な気持ちになってしまう。
「市丸って、怖い噂あるしな。暇つぶしのためだけに、金庫番と称して、面白半分に1m四方の金庫の中に詰められた奴が、百年そのまま忘れられたとか」
「たまたま鼻の大きい奴が三番隊に配属されたら、それ見たとたんに割り箸両鼻の穴にクロス状にブッ刺されて、鼻ピアス〜とかって大笑いされたとか」
(おいおいおいおい、どんな噂だよ、それ)
 庇うつもりはないが、情けない気持ちになるのを、止められない。
「人の弱みに付け込むことにかけては、天才的だって聞くしな」
「頼み事なんか、したくねえっすよね〜」
 そのあたりは、おおいに同意見だ。
 まあとにかくそんなわけで、申し訳ないが解散ということにしようとした時、
「そんなことくれえで腰引けててどうすんだよ。いずれ人に渡る櫛なんだ、行方を聞くくれえ、いいじゃねえか」
 男らしくも斑目が、余計なことを言ってくれた。
 しかも、日番谷を立ててくれていたらしい二人も、内心では斑目と同意見だったらしく、その言葉を聞くなり、
「そうっすよ、この感じでいくと、きっとすぐに違う人のものになってますよ。行方を聞くだけなら、いいじゃないすか」
「それに、市丸が持ってたとしても、雛森の話をしたら、案外快く渡してくれるかもしれねえっすよ?」
「それだけは、やめてくれ!」
 思わず日番谷は、叫んでいた。
 快くどころか、そんな話をしたら、どんなイヤガラセをされるかわからない。
「また、雛森ちゃんかいな」は市丸がよく呆れて言っていた言葉で、にこやかに柔らかな口調で、さんざん辛辣なことを言われてきた。
 日番谷が大事にしていると知った上で、わざと土足で踏みにじって喜んでいるのだ。それが日番谷に対する想いからくるものだとしても、許せる限度というものがある。それに、だからこそ、そんなことを言ったら最後、くれるものもくれなくなってしまう。
 思いがけない日番谷の勢いに驚いた三人にハッとして、日番谷は慌てて、
「…いや、俺、あいつにそういう、…心の中で大切にしていることを、話したくないんだ…」
 とっさに言ってしまった言葉は少しばかり本心で、三人が同時に、『どんだけ市丸が嫌いなんだ…?』という、同情するような顔になった。
 なんだかもう、ギリギリだ。色んな意味で、いっぱいいっぱいになってきた。
 全てを放り投げて、引きこもりたいような気分にすらなってくる。
「あ、だったら、直接本人に聞く前に、吉良に聞いたらいいんじゃねえすか?奴なら櫛の行方、知ってるかもしれねえすよ?」
 天の助けのような阿散井の妙案に、日番谷は目を輝かせて飛びついた。