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宴〜EN〜−5

 涅ネムは、今度はすぐにみつかった。
「あら、日番谷隊長。どうなさいました?そんなに慌てて」
 相変らず、感情のこもらない顔と声だった。
「いや、急いでるんで、いきなりで申し訳ないんだが、さっき十一番隊の斑目一角に、櫛をもらっただろう?」
「櫛ですか」
 ネムが答えたところで、三人が追いついた。
「あっ、ネムさん、こんにちは〜!」
「どうもっす。お邪魔します」
「はっ、ネムさん、さっきはどうも…」
 檜佐木、阿散井、斑目が順番に挨拶をするのを、ネムは丁寧に会釈をして返す。
「こんにちは。お久し振りです。先ほどはどうも」
「その『先ほど』の櫛なんだが」
 三人にまた話を違う方向に持っていかれる前に、慌てて日番谷が話を戻そうとするが、ネムはそれには答えずに、黙ったまま腰の帯から小瓶を取り出すと、斑目に差し出した。
「これは、先ほどの櫛のお礼です」
「えっ、俺にっすか?」
 赤くなる斑目に、檜佐木が小声で、
「十二番隊だぞ?怪しい薬に決まってンのに、喜んでどーする!」
「怪しい薬じゃありません」
「あっ、聞こえた?ゴメンネ〜、悪い意味じゃないんだけど」
 悪い意味以外に何もないのだが、檜佐木が笑ってごまかそうとすると、ネムは表情も変えず、
「あなたには櫛を使う髪もないからとお嘆きのようでしたので、毛生え薬を調合致しました」
 その言葉に檜佐木がぶはっと吹き出し、斑目は固まった。
 ネムに櫛を贈る口実というか照れ隠しにそのようなことを言ったが、斑目のその頭はハゲではないし、毛生え薬を必要としているわけでもないし、嘆いてもいない。
 いつもはその手のことを言われると蒸気が出るほど怒るのだが、相手はネムの上、彼女は純粋に誤解していて、しかも親切にも斑目の為にと、調合までしてくれたのだ。
 斑目の持って行き場のない怒りは、一方向に檜佐木に向かい、スラリと刀を抜いた。
「…テメエ、ケンカ売ってんなら、買うぞ?」
「わーっ、何で俺?!」
 つくづく、損な役回りになる男だった。
「それより斑目、せっかく作ってくれたんだから、受け取れよ!きっとよく効くぞ、ネムさんの毛生え薬は!」
「…頭髪だけでなく、毛という毛がよく生えます」
 二人のやり取りを見ても相変らず表情も変えず、ネムがさらっと言い足した。
「ネネネ、ネムさん、それって色々ヤバいんじゃ!」
 さすがの斑目も思わず突っ込んだが、檜佐木はとうとう、腹を抱えてその場に膝を突いた。
「くくく、苦しい…!斑目、ぜひともそれは試して見せてくれ…」
「そのケンカ、買ったぞ檜佐木!」
「あのバカ共は放っておいて、さっきの櫛の話なんだが」
 日番谷が二人に負けない大きな声で言うと、ネムはようやく日番谷の存在を思い出したというように目を向けて、
「その櫛でしたら、先ほどマユリ様が」
「さっきからうるさいネ。何の騒ぎだ?」
 そうなって欲しくない最悪の事態となったところで、最悪の男が現れた。
 現れた涅マユリに、暴れていた檜佐木と斑目、仲裁に入っていた阿散井が、ピタリと動きを止めて振り向いた。
 日番谷はこの時点でもはや半分諦めかかったが、ここまで来たのだ。
「うるさくしてすまない、涅。先ほど彼女から櫛を受け取ったと思うのだが、その櫛のことで…」
「ああ、あれはもうないよ」
 涅は櫛と聞いてとても不快そうな顔になり、吐き捨てるように答えた。
「ない、とは?」
「ないものはないんだよ。わからない男だネ、君も」
「誰かに渡したのか?」
「関係ないだろう?とにかくここには、ない。それが用なら、帰りたまえ」
「ちょっと待てよ」
 取り付く島もない涅に、真っ先に食い下がったのは斑目だった。
「俺はあんたに渡すために、ネムさんに櫛をあげたわけじゃない。手に入れてすぐに誰かにやってしまうなら、どうしてネムさんから櫛を取り上げたりするんだよ」
「グチャグチャとうるさいネ。こいつのものを私がどうしようが、お前ごときに口出しされるいわれはないヨ。何を言ってもないものはないんだから、さっさと諦めて帰りたまえ。こっちはお前らに構っている時間はないんだ。さ、行くぞ、ネム。こんな奴ら、相手にするんじゃない」
「…はい、マユリ様」
 さっさと行ってしまう涅マユリに答えてから、ネムはそっと斑目を振り返ると、
「…すいません。マユリ様も、手放したくて手放したんじゃありません。花札で負けた分を、あの櫛で払わされたんです…」
 早口でそっとそう言って、ペコリと頭を下げる。
「え、花札?」
「棒引きにしてもらえるほどのものを下さって、ありがとうございました」
「待て、相手は誰だ?誰に渡した?」
 行ってしまう前に、これだけはなんとしても聞きだしておかないといけない。
 慌てて日番谷が聞くと、
「…三番隊の、市丸隊長に…」
 答えて、ネムは去ってしまった。
(あああああぁぁぁあ、せっかく忘れてたのに、思い出しちまったぁぁぁ〜〜〜〜〜っっ!!)
 その名前を聞いたとたん、日番谷の心臓が爆発するように跳ね上がり、一気に目の前が白くなったり黒くなったりした。
(ここまで来て、市丸…?!誰か、誰かーっ!)
 緊急事態発生、緊急事態、発生!
 突然頭の中で、狂ったように警鐘が打ち鳴らされ始めた。
 ズシーンズシーンと地響きを立て、山の向こうから山のように大きな市丸が、ニヤけた笑みを浮かべながら怪獣のように迫ってくる。氷輪丸を掲げて「ええい、怯むな、立ち向かえ!」と鼓舞してみても、右往左往して逃げ惑う、心の中の、大勢の日番谷。…というイメージが、目の奥でフラッシュしては消える。
「ヤバいって、もうあいつ、ヤダ、俺!」「あいつに何されたか、忘れたのかよ?!」「会いたくねえ、顔見たくねえ、嫌ったら、嫌!」
 でも雛森が、とか、檜佐木達がここまでやってくれたのに、などと理性が必死でなだめても、正直な本心は、嫌だ嫌だの大合唱だった。
 表情はクールに固まったままの日番谷のパニックには気付かないまま、斑目がフンと鼻を鳴らした。
「なんだ、威張りくさりやがって。結局、市丸にブン取られたってことじゃねえか。そう言えば、この前ウチの隊長が市丸と涅と三人で、朝までやってたって言ってたよ。どういう組み合わせだって思ってたけど…」
 まだ腹の虫が収まらない様子の斑目に、阿散井がなだめるように、
「まあ、とにかく渡っちまったもんはしょうがねえっすよ。もともとあれは、人から人に渡る櫛だったんス」
「そうかよ、チッ。しかし『縁』の効力、イマイチ俺は感じなかったぞ、オイ」
「毛生え薬、もらえたじゃん」
「檜佐木、表へ出ろ」
「まあまあ、ふたりとも。それより、今度は三番隊っすよ」
「そうまでして、何で追ってんだ、お前ら」
「はあ、実はあの櫛は…」
 ここでようやく、阿散井が斑目に日番谷の事情を説明した。
「そうか、それでみんなで追いかけてんのか」
「日番谷隊長、この勢いでいくと、早い方がいいっすよ。あっという間に、どこかに行っちまいますよ。早く三番隊に行きましょう。…日番谷隊長?」
 今まであれほど脱線し続けていた三人が、今度は珍しく自ら本題に戻り、積極的に言い始めてくれた。
 だが肝心の日番谷は三番隊と聞いた瞬間にすっかり戦意を喪失し、みんなありがとう、そしてサヨウナラ…などと遠い目で思っていた。
「…やめだ」
「は?」
「もう、いい。追うのはやめだ。諦める」
「ええーっ?」
 十二番隊と聞いても諦めなかったほどの、あれほどの熱意と情熱で追いかけてきた櫛を、ここで突然あっさり諦めると言い出した日番谷に、檜佐木が驚いて大声を出した。
「ここまで来て、それはないっすよ〜!どうしたんスか、急に?」
「今まで本当にありがとう、感謝してる。阿散井にも斑目にも、迷惑かけたな。悪かった」
 もう泣きたい気分の日番谷は、そう言うだけで、精一杯だ。
「いやいやいやいや、なに突然凹んでんスか?!」
「俺達、最後まで付き合いますよ。雛森にあの櫛、あげましょうよ」
「そうだぜ、日番谷隊長。ここまで付き合ったこいつらのためにも、ここは最後までやりとげるべきじゃねえっすか?」
 皆にはわからないのだ、日番谷の事情が。
 日番谷はゴクリと唾を飲むと、やっとの思いで、
「…俺、市丸に頭下げるのだけは、死んでも嫌…」
 思いもよらぬその言葉に、皆の目がまん丸になった。