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宴〜EN〜−4

 阿散井は鍛錬場にいると聞いて、二人でブラブラ歩いてゆくと、稽古場特有の威勢のいい声が響いていた。
 檜佐木が窓から中を覗いて、
「いました、恋次。下位の稽古みてるみたいっす」
「そうか。じゃあ、邪魔するのも悪いから、待ってるか。終わりそうか?まだかかりそうか?」
 窓の位置は日番谷には高くて、檜佐木のように中を覗くことはできなかったが、入口の扉を開けて中を覗くと、阿散井に気を使わせて、邪魔をしてしまうかもしれない。そう思って無理に中を覗こうとはしないで答えると、日番谷を見下ろした檜佐木がハッとした顔になり、反射的に手が伸ばされかかって止まり、何か迷うように、微妙な表情になる。
 こういう場合、日番谷を抱っこして窓から中を覗かせてあげるべきかどうか、悩んでいるのだ。
 そんなことをしたら失礼なのか、それともそうしないと気が利かないことになるのか、どっちかよくわからない。
 いや、冷静によく考えればすぐに答えは出るのだが、無性にそうしてみたい衝動が、冷静な判断力を失わせているのだった。
 対して日番谷はその種の視線に敏感で、すぐに檜佐木の考えていることを感じ取り、目を吊り上げた。
「中の様子を口で教えてくれたら、それでいいぞ」
「えっ!…ああ、そうっすか!そっスよネー!ははは…」
 完全に気持ちを見抜いた日番谷のセリフで我に返り、乾いた笑いで必死でごまかそうとする。
「終わりそうなのか、まだかかりそうなのか、どっちだ」
 すっかり不機嫌になった日番谷の、怒りを押し殺した声に、檜佐木は慌てて、
「はいっ、ええと、その、…まだかかりそうかな?」
 言ったところで、阿散井が気がついたようだった。
「あれ?檜佐木センパイ…」
 窓のところに歩いて来かかって、
「えっ、この霊圧は…?!」
 窓から姿は見えないが、日番谷がいると気が付いたらしい。気が付いたとたん、ダッシュで窓まで飛んできた。
「え、日番谷隊長っすか?マジっすか?そこにいるんスか?」
 窓の格子を両手で掴んでおきながら、その存在を忘れたように顔を覗かせようとして、勢いよく頭をぶつける。
「アイテテテ」
「何やってんだ、お前」
 日番谷が呆れたように言うが、阿散井はその声を聞くと、もう一度、今度はそっと格子の間から下を覗き込み、姿を確認すると、目を大きく見開いた。
「待っててください、すぐ行きます!」
 稽古の続きは他の席官に任せ、鍛錬場から走って出てきた。
「お待たせしました!日番谷隊長が六番隊にいらっしゃるなんて、珍しいですね!」
「お前、いいのか、稽古は?」
「はい、他の奴がみてますから」
 答えて阿散井は、口を「おお〜」という形にして、まじまじと日番谷を見た。
(改めて見ると、本当にちっちゃい…)
という心の声が、檜佐木にも聞こえたような気がして、慌てて阿散井に「日番谷隊長『ちっちゃい』に敏感だから、怒られるぞ」とブロックサインを送る。
 だが、あせった檜佐木のメチャクチャなブロックサインなどが阿散井に伝わるわけもなく、逆にその余計なおせっかいを日番谷に悟られて、振り返って睨まれた。
(うあ!なんで俺が恋次の分まで怒られないといけないんだ!)
 日番谷としては、これから阿散井に頼みごとをしようとして来ているのである。
 無闇にぶつけられない怒りの矛先は、不運な檜佐木に向けられてしまったのだった。
 だが日番谷は、ここでは大人らしく、すぐに怒りを抑えたらしかった。
 なにしろ檜佐木も、彼に手を貸すために、付き合って来ているのだ。
「いや、檜佐木がお前に譲ったという櫛のことで来たんだが…」
 コホンと咳をしてから言うと、檜佐木が続けて、
「ホラ、昨日お前にやった、『縁の櫛』だよ」
「ああ、あれっすか!ちょっと、なんつーか、艶っぽい細工の、『縁結びの櫛』っすか!」
「ちょっと違うが、ソレだ!」
 ズバッと言って、日番谷が身を乗り出した。
 それからもう一度雛森の話をして、もしも阿散井がまだその櫛を持っているのなら、阿散井の縁が叶って手放す時、雛森に回してやってくれないかと言ってみる。
「え、雛森とそんな縁のある櫛だったんスか!」
 阿散井は雛森の同期なので、彼もその話には心を動かされたらしい。
 だが、
「そんな話なら、雛森にやりゃよかったっすね〜。でもスンマセン、俺、もう持ってないんスよ」
「えっ、そうなのか?!」
「なんだよ、テメエ、もう縁叶ったのかよ?」
 驚いた日番谷と檜佐木が、顔を見合わせる。
 こんなに早く巡ってゆくとは、思ってもみなかったのだ。
「いえ、せっかくいただいたのに、檜佐木センパイには申し訳ないんスけど、俺、縁って言っても誰とどうなりたいのかよくわかんなくて。そしたらたまたまそこに一角さんがいらっしゃって」
「斑目かっ?!」
 十一番隊と聞いて、日番谷は一瞬、櫛を追うことを諦めかけた。
 なんだかメチャクチャ感満載のあんな隊に行ってしまったとなっては、踏み込むことを想像しただけで、どっと疲れを感じてしまう。
 日番谷が微妙に悩んでいる頭上で、檜佐木と阿散井が、
「なんだよ、お前、朽木ルキアとの縁は諦めたのかよ」
「な、なに言ってんスか、センパイ!お、俺は、…ルキアは、俺との縁なんか…」
「バカだな、とりあえず持ってれば、どこでどんな縁が来るかわかんねえのに。ありゃ、けっこう効くぜ?」
「そっすかねえ。まあ、そうかもと思わないでもなかったんスけど、一角さんがいつになく上の空な感じで歩いてきまして、俺の顔を見て、ハア、ってタメ息つくんすよ」
 阿散井によると、斑目は珍しくも、女性のことで頭を悩ませていたらしい。
「誰だ、誰だ、相手は誰だ!」
 檜佐木がすごい勢いで話に食いついてきた。
「それが…、ネムさんて一応死神なんだよな、って」
「うおっ、涅かよ、オイ!なんだ、女性のことって、恋愛問題じゃねえのかよ」
「どうなんでしょね?俺にもわかんねーんスけど、『近くに行ったらなんかいい匂いがしたけど、やっぱり女性なんだよな』って言ってましたから…」
「じゃ、やっぱりマジか?さすがすごいところついてくんな?」
「ネムさんはなんで袴じゃなくて短い着物なんだろうとも言ってました」
「おおっ、奴は脚フェチだったのか?!確かに綺麗な脚してるもんなあ。マユリが造ったと思っても、目がいくよな。でも、ネムさんと結婚したら、マユリが親父になるんだぜ?それでも愛を貫けたら、オリャ斑目のこと尊敬するぜ」
 日番谷の存在を忘れたようにその上空を飛び交う話を聞いて、斑目の女性の好みはともかく、早い話がそんな斑目に阿散井はあの櫛を渡したということだ、この流れでいくと、そのまま十二番隊にいってしまうかもしれないと日番谷は冷静に推測した。
 一度十二番隊に行ったら最後、もう二度とあの櫛は元のままの状態で出てこないかもしれない。
 今ただ櫛を追うことを諦めるだけなら、いつかはもう一度雛森の元に巡ってくることもあるかもしれないが、ここで十二番隊へ行ってしまうことをおめおめ見逃してしまったら、雛森の夢は永遠に叶うことなく終わってしまうかもしれないのだ。
「…涅マユリの手に渡る前に、なんとか追ってみよう」
 即断、即決して日番谷が言うと、檜佐木と阿散井は最初の目的をようやく思い出したようで、駆け出した日番谷に、慌ててついてきた。


 十一番隊に着いた三人は急いで斑目を探したが、どこを探してもいなかった。
 十二番隊にも行ってみたが、斑目はもちろん、涅ネムもいなかった。
 もう一度十一番隊隊舎に戻ったところで、丁度帰ってきた斑目と、入口のところでばったり会った。
「あ、一角さん、探してたんスよ!」
「恋次!…それに、日番谷隊長に、檜佐木さんじゃねえっすか。どんな組み合わせなんだ、そりゃ」
「事は急を要するので、単刀直入に聞く」
 斑目をみつけるのに思った以上に時間がかかってしまったため、少々焦っていた日番谷は、挨拶もそこそこに切り出した。
「阿散井に渡された櫛は、今、誰が持っている?」
「え?櫛?なんかヤベェもんだったんスか、あれ」
 ただならない日番谷の様子に、斑目はゴクリと唾を飲むが、
「イヤ、ヤバいのは櫛というか、十二番隊だろ」
「一角さん、まだ持ってますか?もう誰かに渡しちゃいました?ネムさんとか」
 続く檜佐木と阿散井のセリフに、斑目の頬がパッと赤くなった。
「えっ、ネムさんて、バカお前、そうゆうことこういうとこで言うんじゃねえよ!」
「あっ、赤くなった!やっぱマジか!やっぱ脚か?あの脚線美にヤラれたのか?」
「バババ、バカ!そんなんじゃねえよ!…そりゃ、綺麗な脚だとは思うけどよ、ってなんだよ、言いふらしてんじゃねえよ、恋次!」
「イヤ、スンマセン、そんなつもりじゃなかったんスけど、話の都合上…」
「ンなこたどうでもいいから、答えろ、斑目!あの櫛は、もう十二番隊に渡っちまったのか?」
 どんどん話が違う方向に盛り上がってきて、日番谷は苛ついて乱暴に言った。
 赤くなってうろたえていた斑目は、さっと真剣な顔になり、日番谷を見下ろすと、
「…長い黒髪、黒い瞳、白い肌。でしゃばらず、いつも控えめで、芯が強い。彼女には、大和撫子という言葉がよく似合うような気がするんスよね…」
 何を言い出すかと思ったら、そんなことはどうでもいいから、と日番谷が言おうとすると、それより早く、やはり檜佐木が食いついてきた。
「いやいやいやいや、それ、違うから!いや、その表現は必ずしも外れてないけど、彼女、それだけじゃないから!ちょっと違うから!」
「でも、よく耐えてますよね、彼女。確かに涅に造られたかもしれないけど、けなげスよね」
 続いて言った阿散井のセリフに、今度は斑目が我が意を得たりと、食いついた。
「だろ?な!あんな隊長の下じゃ、女性らしい楽しみも何も味わえているとは思えねえじゃねえか。オリャ女のことはよくわからねえけどよ、髪は女の命、って言うだろ。細工も綺麗だし、それを眺めたり、それであの長い黒髪を梳いたりするだけでも、少しは女性らしい喜びを味わえるんじゃねえかなあ、とか思ったわけよ」
「つまり、涅ネムに渡したんだな?!」
 またしても脱線してゆく話にキレかかっていた日番谷は、斑目の話の先を奪い取って、叫ぶように聞いた。
「まあ、早い話が…」
 答えた言葉を最後まで聞かず、日番谷はもうこれ以上付き合っている暇はないとばかりに、十二番隊に向かって瞬歩で消えた。
「あっ!日番谷隊長!俺も付き合いますって!」
「お、俺も!」
「ちょっと待てお前ら!あの櫛ヤバいのか?渡しちゃまずかったのか?おいってば!」
 続いて慌てて檜佐木と阿散井が、そして話が全くわからないながらも、心配になった斑目も、同じように瞬歩で日番谷を追った。