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宴〜EN〜−2

 今回の任務は、少々厄介だった。
 現世まで出張して二週間。
 ようやく戻って解散し、明くる今日、日番谷は報告書 をまとめに隊舎に出てきていた。
 それさえ済ませば、本当は今日は休んでもいいくらい だったが、二週間空けていた間に机に山積みになった書 類を見て、日番谷は少しだけ片付けていこうと思った。
 副官の松本も出てくる予定だったが、今のところ、ま だ来ていないようだ。
 昨日の今日だったから、日番谷は文句は言わないこと にして、黙々と仕事を片付け始めた。
 数枚片付けたところで、妙なものが書類の間に挟まっ ているのをみつけた。
 器用にハートの形に折ってある、ピンク色の紙だった。
 何やら嫌な予感はしたが、開いてみても、何も書いて はいなかった。
 日番谷は見なかったことにしてゴミ箱に捨て、再び仕 事を続ける。
 また少し山を減らしたところで、また同じものが出て きた。
 開いてみても、やはり何も書いてはいない。
 日番谷は立ち上がって、書類の山を確認してみた。
 何枚かに一枚、必ずハート型のピンクの紙が挟まって いる。
 どうやらそれは、一日にたまった書類に対して一枚の 割合で挟んであるようだった
 つまり日番谷が任務に出ている間、何者かが毎日ここ にやって来ては、書類の上にこのピンクの紙を置いてい ったのだ。
(…こんなことをする野郎は、一人しか思い付かない…)
 そう思って改めて見ると、その紙からは薄くその男の 霊気が感じられ、日番谷は思わずゾクッと身を震わせた。  器用に折られたハートの形。
 ご丁寧にも、ピンクの紙。
 しかも一日一枚毎日毎日、執拗で、あからさまで、日 番谷にはこの紙を置いていった人物の言いたいことが、 イヤでもわかってしまった。
 わかったとたん一秒でも早くここから逃げ出したい気 分になって、日番谷は慌ててもう一度ゴミ箱に捨てた
 せめて松本がいてくれたらいいのだが、十番隊の隊員 の多くは昨日までの任務で休んでおり、そもそもひと気 の少ない今日、たったひとりで執務室にいる今このタイ ミングで来られでもしたら…
 怖い考えになって、日番谷が急いで帰る用意を始めた その時、何者かの霊圧が近付いてくるのを感じて、ハッ と固まった。
(お、落ち着け、奴とは限らない。落ち着いて誰の霊圧 なのか探れば…)
 松本なら吉、このピンクの紙を置いていった主だった ら…
「あっ、いたいた!日番谷くん、お帰りなさい〜♪」
「…なんだ、雛森か」
 高まった緊張感が一気に解けて、日番谷はホッと息を 吐いた。
「えっ、なに、どうしたの?まさか、ひとりで怖かった の?よかったら、おトイレついていってあげようか?」
「いらねえよ、誰が怖いかよ。テメエと一緒にすんな」
 子供の頃と同じようなノリでからかってくる雛森に、 日番谷はムッとして唇を尖らせた。
 今しがたの緊張を敏感に感じ取られているようだが、 もちろんその理由などは、わかるはずもない。
 内心では雛森が来てくれたことが、心底嬉しかった。
「何の用だよ、俺、今から帰ろうとしていたところだけ ど」
「そうなの、任務終わったばっかりだもんね。お疲れ様。 私は書類を届けに来ただけだから。あ、よかったら、お 昼一緒に食べる?」
「そうだな…」
 任務に就いていた間はそちらに集中して忘れていたが、 戻って来たとたん、色々なことを思い出してしまった。 …いや、思い出させられたと言うべきか。
 報告書も終わったし、松本もいっこうに出てくる様子 がない今、雛森がいるうちに、さっさと帰ってしまうに 限る。  日番谷が机の上の書類をまとめていると、雛森は目ざ とくハートの紙をみつけ、
「あれ、なあにこれ。日番谷くんが折ったの?」
「そんなわけあるか。折り方もわからねえよ」
「懐かしいなあ。学生時代、よくこんな風に紙を折って、 友達同士で手紙を交換してたわ〜vもちろん、女の子同 士でだけど」
(そんな女子学生しか知らないような折り方を、なんで あいつが知ってんだよ?)
 怖い。色んな意味で、ますますもって、怖すぎる。  もはや震え出したいくらい怖い気分になって、日番谷 は必死で片付ける手を早めた。
「うふふ、きっとラブレターね?日番谷君も、隅に置け ないなあ」
「バカ言え。嫌がらせだろ。何も書いてなかったし」
「そうなの?じゃあ、松本さんかしら?」
「知らん。それより、行くぞ」
 とにかく一分でも早くここを立ち去りたかったので、 日番谷が雛森を促して部屋を出ようとすると、
「あらっ、ねえ、これ、松本さんのかしら?」
「あぁ?」
「これ。この櫛よお!」
 興奮したように言って、雛森は松本の机の端に置いて あった櫛を取り上げた。
「そりゃ、松本の机の上に置いてあるんだから、松本の だろ?」
「…そっかあ、松本さんの…」
 言って雛森は、じっとその櫛をみつめて少し淋しそう な顔をした。
「なんだよ?その櫛がどうしたんだ?」
「…これ、縁の櫛だわ…」
「えんのくし?」
「日番谷くん、覚えてないかしら。流魂街で隣のブロッ クに住んでた、茜音さんてゆう綺麗なお姉さん」
「あかね?…ああ、あの、髪の長い、ちょっとハデな感 じの」
 少し松本に雰囲気の似た、松本ほどではないが美人の 部類に入る、松本ほどではないがグラマラスな、松本ほ どではないが男に人気のあった女性だ。
 当時の日番谷から見たら十分大人だったが、今思うと、 まだ子供の域を出ていなかった。人間で言うと、十八、 九くらいか。
 恋多き女性で、いつもフワフワした印象だった。
「うん、その茜音さんがね、昔私に、見せてくれたこと があるんだ。『これは縁の櫛なのよ』って」
 その茜音という女性と雛森は何故か仲がよくて、男関 係が乱れているとよく陰口を叩かれていた茜音を、いつ も雛森は庇っていた。
「『えんの櫛』の『えん』は『縁』であり、『艶』であり、 『円』なんだって。人と人とを繋ぐ縁で、男と女を引き 寄せる艶で、人の心を満たす円だって。この櫛、半円の 形をしているでしょう?完全な円になる為に、いつも残 りの半分を、円を満たす円を求めているから、この櫛の 持ち主の縁や艶や円も引き寄せてくれるんだって言って たわ」
「この櫛が?」
「うん。持つ人にそれを与えては、人から人へと渡って いく不思議な櫛なんだって。茜音さんはこの櫛で素敵な 男性をみつけるから、そうしたら私にくれるって、そう 言ってたの」
「…」
 茜音はある日突然、街から消えた。
 噂では男とどこかへ二人で逃げたと言われていた。
 その真偽はわからないけれども、相手をみつけたら雛 森にくれると言っていた櫛が、雛森に渡らずにここにあ るらしい。
 茜音はおそらく、雛森にも何も言わずに、去っていっ たということだ。
「本当にその、同じ櫛なのかよ?」
 雛森が淋しそうにしている理由がわかって、日番谷は ぶっきらぼうに言った。
「似てるだけで、違う櫛なんじゃねえの?」
「ううん、同じだわ。こんな細工、滅多にないもの。私、 すごく綺麗だと思って、よく見せてもらっていたもの。 日に透かすと、…ほら」
 雛森が櫛を窓の方に差し出すと、日の光を受けて、繊 細に並んだ歯の部分が不思議な色に輝いた。
「やっぱり。…ね?」
 ね、と言われても日番谷にはわからなかったが、それ でも普通の櫛ではないだろうことは、わかった。そして 雛森が、言わないけれどもその櫛を自分に渡してもらえ ることを、とても楽しみにしていたのだということも。
「そうかぁ、今は松本さんのものなんだ。いいなぁ、私 には、やっぱり縁がなかったのねぇ」
 雛森が松本に少なからず憧れのような気持ちを抱いて いることは、日番谷も知っていた。
 雛森に限らず、強くて美人で華のある松本に憧れる女 性死神は多い。
 雛森のそれは、いつか自分もそうなりたいと思う類の 憧れではなく、自分にはないものを持つ者に対する憧れ だ。
 それはそのまま、自分に渡されることのなかった櫛を 松本が手に入れたことに対する羨望の気持ちに通じるも のがあるのだろう。
 そんな気持ちが何となく感じられて、日番谷は努めて 興味がなさそうな声で、
「…そんなの、わかんねえだろ」
「え、だって」
「松本からお前に回ってくるかもしれねえし、その後何 人か回って、お前のところにくるかもしれねえし」
「…そうかな…うん、そうだよね!」
「一度はどこへいったかもわからなくなった櫛が、今も う一度ここでお前の前に現れたんだ、縁がねえわけねえ んじゃねえの」
「うふふ、そうだといいな」
「お前に渡るの、千年後かもしれねえけどな」
「ええ、そんなの、遅すぎるよう!」
 笑顔の戻った雛森にホッとして、日番谷は軽くからか いながら、部屋を出た。
 明日にでも松本に会ったら、あの櫛のことを聞いてみ ようと思った
 もしも今後松本が手放す気持ちになったなら、雛森に 譲ってもらえないか聞いてみよう。自分経由でもいい。
 松本が手放す気持ちになるのが、何年後でも構わない から。
 それだって縁には違いないのだから、きっと雛森は喜 ぶに違いない、と日番谷は思った。
 だが、ほんのり満たされた気持ちで次の日仕事に出る と、机の上の櫛はなくなっていた。
 松本が出てくるのを待って聞いてみると、
「ああ、あれ、私の櫛じゃないんですよ。修兵の忘れ物 だったので、彼に返しました」
「修兵って…檜佐木ィ?!」
 あまりに予想外の人物の名前に、日番谷は二の句が告 げないほど驚いた。
 あんなにロマンチックな伝えのある、本来女性が使う ものである、しかもあれほど上品で繊細な作りの櫛が、 男の物だったとは。
 雛森の話を聞いた時、人から人へとは言っていたが、 無意識に女性から女性へというイメージで聞いていたの で、まさかここで男の名前が出てくるとは思ってもみな かった。
 でも考えてみたら、男が女に贈る物として持っていて も、何のおかしいこともない。
「どうしたんですか?」
「いや…てっきり、お前のだと思ってたから」
「ああ、くれるって言ってましたけど、断りました」
「なんで?」
「だって、下心が見え見えじゃないですか」
「…」
 松本の性格は知っていたが、改めて、なんとサバサバ しているのだろう。
 下心といっても、気を引くくらいの効果しか檜佐木だ って期待してはいないだろうに、身も蓋もない言い方だ。
 ますますあの櫛の幻想的なイメージがガラガラと崩れ ていくのを感じた。
(いや、松本はあの櫛の由来を知らないのかもしれない し)
 思い直してそのあたりを聞いてみると、
「あらあ、隊長、詳しいんですねえ!そりゃ私も知って ますけどね、修兵と艶があってもしょうがないじゃない ですか!」
 言って松本は、檜佐木が可哀相になるくらいゲラゲラ と大笑いをしてみせた。
(あ、悪魔かこいつ…。女は怖ェよ、ホント)
 松本を副官として従えていることで、一部の男達に妬 まれている日番谷だったが、松本のそばにいると、どん どん女性不信になりそうな気がしてしまう。
 とりあえず、あの櫛が雛森の言っていた櫛であること、 本物なのは間違いないようだったが、松本にかかると、 なんかもう、ご利益台無しみたいで、雛森には聞かせら れないセリフだ。
(まあとにかく、檜佐木が持ってるってことだよな)
 どうやらあの後仕事にはちゃんと出てきたらしい松本 に、急ぎの仕事がなければ帰ってもいいと言って、日番 谷は十番隊舎を後にした。