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宴〜EN〜−18

 次の日は予想通り微熱が出て、泣きたくなるほど腰が重かった。
 それでも日番谷は無理を押して仕事に出て、今度こそはキツい任務がいきなり入りませんようにと祈りながら、ひたすら黙々と机の上の書類を減らしていった。
「隊長、なんだか調子悪そうですね?」
 こちらも夕べ遅くまで飲んでいたという割には元気そうな松本が、心配そうに聞いてきた。
「ああ、ちょっと微熱があるみてえで」
「大丈夫ですか?隊長は…」
「…子供だから発熱しているわけじゃねえぞ?」
 言われそうだったので先に言ってやると、松本はわざとらしく笑って、「そんなこと誰も言ってませんよう〜」とごまかした。
「…ところで隊長、結局あの櫛は、どうなりました?市丸隊長に話しました?」
「あ?…ああ、吉良にやるって言ってたぞ」
「吉良に?…ああ、それなら雛森副隊長のところに行くかもしれませんね。よかったですね」
「みんなには迷惑をかけたな。後でまた礼を言いに行かないといけないな」
「そんな、お礼なんて。…で、市丸隊長は、大丈夫だったんですかね?…無事帰れました?」
「ああ」
「…日番谷隊長は、無事帰れました?」
「…」
 わざわざ言い直す松本に、日番谷は内心ドキッとしながら、努めてなんでもない顔をして、眉を寄せた。
 いくらなんでも、市丸とのことを知っているわけがない。少なくとも昨日までは知らなかったのだし、市丸は昨日、筋一本動かせない状態で帰ったと思っているはずだ。
 だが松本は、日番谷の反応を窺うように神妙な顔をして、
「スイマセン、私、隊長のゴミ箱に入っていたこれ、見ちゃいまして」
「え?」
 どこからともなく松本が取り出したのは、昨日机の上にあった、あのハート型に折られたピンクの紙だった。
「妙な霊気を感じたので、見てみたら、…なんか、文字が」
「文字?!」
 嫌な予感がしまくって、松本の手からそのピンク色の紙束を奪い取る。
 薄く感じる霊気を読んでみると、一枚に一文字、古いものから順番に並べると、
『ゆ・う・べ・の・キ・ミ・は・ス・テ・キ・や・っ・た・で』
「うわ――――ッ!」
 日番谷はとっさに、悲鳴を上げると同時にそのとんでもない手紙をビリビリに破り捨てた。
「…それ、ギン…市丸隊長の霊気ですよね?ラ、ラブレターですか…?」
「なんだこれ!何考えてんだあのクソギツネ!こ、こ、こ、これはイヤガラセだ、ラブレターじゃねえ!どちらかというと、不幸の手紙だっ!」
 必死で言うが、松本はハンカチで目を覆い、泣き真似をしながら、
「隊長は、市丸隊長と付き合ってるんですか?もう清らかな身体じゃなくなっちゃったんですか?夕べもおいしくいただかれちゃったんですか?それで発熱してるんですか?」
「なに言ってんだ、バカかお前!」
 動揺して叫ぶが、松本はすかさず、
「否定しないんですね?」
「付き合ってねえ―――っ!」
「清らかな身体じゃなくなったあたりは否定しないんですね?!」
「俺は女じゃねえぞ、清らかもクソもあるかーッ!!ってゆうか市丸、ブッ殺す―――ッ!」
 とうとう血管が切れそうになりながら叫ぶと、日番谷は微熱も腰の痛みも忘れて、悪鬼のような怒りの形相で、三番隊舎へぶっ飛んで行った。



 三番隊舎では、その日朝早くから仕事に来ていた吉良が、市丸が来るのを今か今かと待っていた。
 あまりに遅いようだったら迎えに行ってみるつもりだったが、市丸は何事もなかったかのような元気な顔で出てくると、ご機嫌麗しく、おはようさん、と笑顔を振りまいた。
「おはようございます市丸隊長!…あの、お体は、大丈夫ですか?」
「んん?すこぶる元気やで?…ああ、昨日のこと、心配しとるんやね?あんな冗談、本気にしたらあかんよ」
「えっ、冗談ですか?」
 一瞬意味がわからなくて聞き返すと、
「ネムちゃんのお酒、飲んでへんから」
「えええっ!じゃあ、じゃあ、あれは倒れたフリ…?」
 さらっと言われて、あまりのショックに目の前が真っ暗になった。
 それではあれだけ心配した自分が、バカみたいではないか。どうしてあそこでそんな冗談をしないといけないのか、意味がさっぱりわからない。
 いつもそうなのだ。いつも自分は何も知らされないまま振り回されて、これだけ必死なのに、蚊帳の外なのだ。
 報われない思いに吉良がブルブル震えだすと、見計らったようなタイミングで市丸は壁の櫛をはずして、
「心配かけて、ゴメンな、イヅル。これ、お詫びというわけでもないけども、イヅルにあげるわ」
 あんなに大切にしていた櫛をサラリと渡されて、吉良は驚いて市丸を見た。
「えっ、でも、これは市丸隊長が大切にされていた…」
「ええの、ええの。イヅルはこの櫛の効力、知っとる?ボクは昨日十番隊長さんとええことなったから、もういらんねん。今度はイヅルが、ええ思いし?」
「十番隊長さんと…」
 言われて吉良は、少し赤くなった。
 市丸が本気で日番谷を狙っているのは知っていたが、行為があったとズバリ言われると生々しく感じ、したくもない想像までしてしまいそうになる。だが、
「…ってことは、本当に昨日は十二番隊に薬を飲まされていたわけじゃなかったんですね…よかった…」
「当たり前や。マユリちゃんに何か言われたら、おかげさんでバッチリでした、ええ仕事してくれはっておおきに言うとき?」
 シャレにならない倒れたフリなどされて良かったわけもないのだが、市丸が涅にしてやられたわけではなくて、身体も無事でいてくれたことが、本当に嬉しかった。
 だが、渡された櫛を改めて見て、それをあんなに必死で手に入れようとしていた日番谷や、他の皆の顔を思い出すと、
「…でも、これは日番谷隊長が…」
「ああ、それも気にせんでええよ?十番隊長さんも、イヅルにやるならええて言うてはったから」
「日番谷隊長が?」
 それはもちろん、自分が雛森にこの櫛を渡すだろうと期待してのことだろう。だが、市丸に続いて日番谷の気遣いに、報われたような気がして嬉しくなる。
「市丸隊長…ありがとうございます…嬉しいです…」
「なんや、イヅル、何泣いとんの?そないに嬉しかったん?」
 市丸の手が伸びて、優しくその頭を撫でた。
 この櫛は大切に持っていたいところだが、せっかくの縁の櫛をしまい込んでしまうわけにもいかない。今日にでも時間をみつけて、早速雛森のところに持っていこう。彼女が喜ぶ顔を見られる役得を、存分に味わおう…。
 だが、久々に満たされた幸せな気持ちに吉良が浸っていられたのは、そんなに長い時間ではなかった。
 やがて三番隊舎を揺るがす程の怒りの霊圧がすごいスピードで近付いてくるのを感じて、吉良は飛び上がった。
「い、市丸隊長っ!こ、この霊圧は…!」
「ん〜、十番隊長さんやねえ」
 これほどの霊圧が迫ってくるのを感じても、市丸はのんびりと笑っているだけだ。
「日番谷隊長、なんかすごく怒っていらっしゃるようですけど!」
「怒ってはるねえ」
「あの、まさか、この櫛のこと、やっぱり怒っていらっしゃるんじゃ…」
「ああ、大丈夫、あの子はそんなことで怒ったりせえへんよ。きっとようやくあの手紙を読んでくれはったんや」
「ええっ、手紙?」
 話はわからなかったが、吉良はもう、逃げたくてたまらなかった。ビリビリくるほどものすごい霊圧が、もうすぐそこまで、迫ってきている。
「市丸隊長…!」
「やっぱりあの子、飛んできたわ。ええねえ、あの子の方から来てくれるて、たまらん幸せやねえ〜。ええ子の挨拶するんやでぇ、イヅル」
「市丸隊長ォ〜!」
「市丸ゥ!」
 吉良の悲鳴と日番谷の怒声が交錯した次の瞬間、三番隊の執務室の屋根が吹き飛んだとか凍り付いたとか。
 あんなに嬉しかった縁の櫛も、あれひとつでこれからどこまで相殺させられるのかと思うと、吉良のささやかな幸せは一瞬で儚く消え去ったという。



おしまい♪