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宴〜EN〜−17

「おい、…お前、これであの櫛は、もういらねえよな?」
「んん?何?くしですか?」
「とぼけるなよ、縁の櫛だよ。お前、俺以外欲しいもんなんか何もないって、言っただろ?」
 取引をするつもりはなかったからその時は言わなかったが、市丸がこれが目的で櫛を大事にしていたのだとしたら、そろそろ手放してもいいはずだと思って、日番谷は言った。
「…日番谷はん、ボクになんやおねだりしてはるの?嬉しいわあ。え、何が欲しいん?もう一度言うて?」
 ウキウキした口調で言われて少しムッとしたが、
「櫛だよ、櫛!あの櫛は縁を叶えたらすぐに人に渡さないと、悪いことあるらしいぞ!」
「ええ、櫛って…、もしかしてマユリちゃんの櫛のこと言うてはるの?」
「マユリちゃんの…?ああ、それそれ。お前が執務室の壁に飾ってるらしいやつ」
「よう知ってはるね。あれ、縁の櫛いうの?ふうん、そない有名な櫛やってんや。縁て何?あの櫛持っとったら、ええ縁結ばれるん?」
 演技とは思えない純粋な顔で言う市丸に、
「ええ〜〜っ?!お前、そんなことも知らないで、あの櫛大切にしてやがったのかよ?!」
「別に大切でもないけども」
 驚く日番谷に、市丸はさらっと答えた。
「だって、涅から奪い取ったって…三番隊の壁に飾って、盗まれないように結界まで張ってるって…」
「花札に勝った分返してもろただけやけど。マユリちゃんが大切そうにしとったもんやから、大切ならもらおか、思て」
「大切ならもらおか、だと〜っ?!」
「物の価値なん、そんなもんですやろ?いらん言うもんもろても、価値ないですやん。大切やから、価値あるんやん。…壁に飾っとったのは、マユリちゃん悔しがらせたろ思て。ただの意地悪や」
「うわ、最低―っ!死ね!」
 あまりのことに、握った拳がふるふる震えた。
 涅がああまで市丸にムカついていた気持ちがわかった。
 知っていたけど、なんて性格の悪い男なんだろう。わかっていたのに、なんでこんな男とこんなことになっているのだろう。
「死ねはひどいわ〜。やって、おもろいやん、マユリちゃんの反応」
「じゃ、全然いらねえんじゃねえか、あの櫛!だったらお前、マジで何のためにあんな勝負したんだよ!」
「そない怒られても、なんも知らんかってんもん。…なんや、変やと思たら、みんなあの櫛欲しかったんかいな。せやったら日番谷クンも、あの櫛欲しかった一人なん?…いうより、もしかして、欲しかった本人やないの?みんなキミのために、あんな会開いたりしとったんやね?」
 マズッた。
 日番谷は心の中で舌を打って、忌々しそうに目を逸らした。
「ふうん、せやったんや。…愛されとるねえ、キミ」
 市丸の柔らかな声に、少し険が混じった。
 それを言うなら、愛されているのは自分ではなく雛森だろうと思ったが、それは言えない。
「あの櫛手に入れて、日番谷はんこそ、誰との縁結びたかったん?」
「…」
「日番谷クン?」
 弁解などしたくもなかったが、しないわけにもいくまい。
 日番谷がどれほど暴力をふるっても、どれほど酷い言葉で罵っても、可愛え可愛えで全て済ませてきたこの男が怒るのは、珍しい。
 しかも今、不覚にもまだ着物をつけていなくて、市丸の部屋で、布団の上で、これ以上ないくらい不利な状況なのだ。
「…別に、俺が誰かと縁を結びたくて欲しかったわけじゃねえ」
「せやったら、何やの?誰かにねだられたん?…また雛森ちゃんかいな?」
 どうしてこう、いらないことにばかり勘が働くのだろう。
「…またって、何だよ。別にねだられたわけじゃねえし」
「せやけど、キミはあげたかったんやね?…ボクんとこ直接来んかった意味わかったわ。後ろめたい気持ちが全くないんやったら、来れたよね?」
「え、何言ってんの?」
 一気にそこまでもってこられて、日番谷は内心ダラダラと汗をかいていた。
「悪い思たから、来られへんかったんよね?」
「違う、違うから。お前、勘違いしてるから!」
「冬獅郎」
 市丸は怖いほどにっこりと笑って背筋を伸ばすと、
「冬獅郎、お布団から出て、そこでもう一度あんよ開き?」
「うわっ、マジ、マジ、マジで違うって!」
「聞かれへん。もう一度言うで。お布団から出てきて、あんよ開き。大きくな?」
「い、市丸、違…っ、ホント、みんなは宴会開きたかっただけだからっ…俺、ダシにされただけ…」
 死んでも離すまいと必死で布団を掴み、日番谷は青くなって言った。
「そ、それよりあの櫛…もういらねえんだったら、…吉良にやってくれないか…?」
「イヅルに?」
「迷惑かけたし…、欲しがってたみたいだし…」
 吉良に渡ったら、おそらく雛森に渡るし、とまでは言えなかった。
 市丸はそれくらい読み取っただろうが、必死なその様子にわざとらしくタメ息をついて、
「イヅルも気にしすぎやて。…まあ、ええわ。あの子にも心配かけてもうたし、欲しがってたんやったら、あの子にあげとくわ。日番谷はんからや言うて。…それでええんやね?」
「…お前からってことにしとけよ。…その方があいつ、喜ぶから」
 遠慮がちに言うと、市丸は少し不満そうにチラッと見たが、
「キミがそうして欲しいんやったら、そうするわ」
「…ありがとう、市丸…」
「こんなん許したるんは、今回だけやで?次からは一番にボクとこ来るんやで?」
 キツく言われたが、どうやらなんとか難を逃れたようだ。
 あの櫛も、無事雛森の元へ辿り着けそうだし。
 ようやくホッとすると、どっと疲れが出た。
 長かった。
 櫛ひとつ雛森にあげたかっただけなのに、こんな大変なことになるとは、思ってもみなかった。
 皆にも迷惑をかけて、そうこうしている間に、いつの間にか市丸とも縁を深めてしまった。
 市丸が長い時間所有していたためだとしたら、本当にものすごい効力の『縁の櫛』だったかもしれない。
 そう思うと、二度と肌を合わせないと決めていたはずの市丸の手に再び落ちてしまったことも、なんとなく諦めがつくというか、自分に言い訳ができたような気もした。