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宴〜EN〜−11

「うおっ、いきなりだな、おい!」
「やった〜、つるりんの勝ち〜!!」
「いや、なんかアレ…ヤバくない?」
 とうとう市丸が潰れたかと喜びかけた十一番隊も、明らかに不自然な市丸の倒れ方に、微妙な雰囲気になる。
「い…市丸ッ!」
「市丸隊長!」
「ギン!」
 日番谷、吉良、松本が慌てて駆け寄るが、市丸はぐったりと倒れたまま、ピクリとも動かない。
 皆の視線がいっせいに、酒を注いだネムに向けられた。
「大丈夫です、副作用はありませんし、明日には元通り動けるようになりますから」
 ごく無表情に、ごくあっさりとネムは答えた。
「うわああ、一服盛っちゃったよ、オイ!」
「市丸隊長になんてことするんだ、君はぁ!」
「先ほど斑目三席が、私に目配せを…」
「そんなことしてまで勝ちたいか、卑怯者ーっ!」
「ああああれは目配せじゃねえぇぇ〜!チラッと見たけど、目配せじゃねえ〜〜〜〜!!」
 斑目は必死で弁解するが、相手がネムなので、責めるに責められないようだった。
「な、何を飲ませた、涅?!」
 市丸の魄動を探りながら、鋭く日番谷が聞く。
「ごく一般的なシビレ薬です。不随意筋と呼吸筋以外の骨格筋は一本たりとも、自らの意思で動かすことはできません」
「さらっと言うな〜!解毒剤を早く出すんだ!」
 動転した吉良がネムに掴みかかるが、
「その必要はないネ。放っておいても明日には動けるようになる。そのくらいそいつには、文字通りいい薬じゃないのかネ?いい気味だヨ」
 涅マユリが吉良の手を払い、
「全く、いいザマだ。愉快なものを見れたヨ。今夜はよく眠れそうだ。吉良くん、せいぜい手厚く介抱してやるがいい。さ、帰るぞ、ネム」
 さも楽しそうに笑いながら言い捨てて、さっさと瞬歩で消えてしまった。
「涅〜〜〜ッ!」
 吉良は怒りに震えて叫ぶが、
「仕方がない。市丸は俺が隊舎まで連れて帰るから、お前らはそのまま、続けてくれ」
 タメ息をついて、日番谷が言った。
「隊長が〜?」
「それ、無理じゃないっすか?」
「俺達で運びますよ?」
 松本が不信な目で見て、檜佐木と阿散井が申し出たが、
「大丈夫だ、あれ借りていくから」
「あれ?」
 言って日番谷が部屋を出て行き、持って来たのは、荷物運搬用の一台の台車だった。
「ひ…日番谷隊長…」
「まさかそれに、市丸を乗せて…」
 檜佐木と阿散井がぶふっと吹き出すが、さすがに爆笑するのはこらえて、震えている。
「い、いくら日番谷隊長でも、い、市丸隊長に、それは失礼…では…」
 吉良は皆とは別の方向に耐え難いと言うようにブルブル震えたが、日番谷が無言で睨むと、黙った。
 勝手に始めた勝負とはいえ、元はと言えば日番谷のせいでこんなことになったのだ。
 このまま放ってもおけない気がして、せめて隊舎に運ぶくらいは、自分の手でしてやりたかった。
 だが、背に負うのはいくらなんでも無理だし嫌だったが、確かに仮にも隊長格に台車はひどいかもしれない。
 一応は日番谷のために?頑張った市丸に敬意を表して、日番谷は自分の隊首羽織を脱ぐと、それを台車に敷いて、
「阿散井、市丸をここに乗せてくれ」
「えええ、日番谷隊長、それはもったいな…」
 言いかけて吉良に睨まれて、今度は阿散井が黙った。
「でも日番谷隊長、ひとりじゃ…、俺達も、付いて行きますよ?」
 あれほど市丸を嫌がったのに、動けないとはいえ市丸をひとりで隊舎まで連れて行こうと言う日番谷に、檜佐木と阿散井が心配して申し出てくれる。
「いや、大丈夫だ。…その、櫛のこと、…やっぱり、俺から言ってみるから。今日のところは、…まあ、これくらいはしてやらないと。本当に色々、ありがとう。迷惑かけたな」
「日番谷隊長、でも…」
「日番谷隊長がそうしたいって言ってるんだから、任せたらいいんじゃないの?」
 それまで黙って成り行きを見守っていた京楽がソフトにそう言ったので、二人は目を見合わせて黙った。
 市丸と日番谷の関係を知っている吉良は、少し考えてから遠慮がちに、
「日番谷隊長…でしたら僕が、部屋までお手伝いします。…その、お部屋までご案内しましたら、すぐ引き上げますので…」
 日番谷はじっと吉良の顔を見てから、タメ息をついて、わかった、頼む、と言った。


 ガラガラ台車を押しながら、日番谷は吉良と二人で三番隊舎までの道を黙々と歩いた。
 星がたくさん綺麗に見えていて、静かな風が心地よく吹いていた。
 なんでこんなことしてるんだろうな、俺、と、思わないこともない。
 今日は一日、予想もしない、さんざんな日だった。
 一番予想もしなかったのは、台車を押したがる吉良を断ってまで、自分がその手でこんな男を隊舎まで連れて帰っているというところだろうか。
 何故か、そうしないと気が済まなかった。
 市丸が倒れた時は心臓がドキーンとして、何かわからない思いで胸が一杯になった。
 気が付いたら身体が勝手に市丸に駆け寄っていて、ぐったりとしたその様子に、気持ちが動転した。
 あんなに会うのが嫌だったはずなのに、市丸に何かしてやらずにはいられなくなって、市丸に何か声をかけてやらずにはいられない気持ちになって、このまま吉良に任せて帰ってしまうことは、どうしてもできなかった。
 店が見えなくなると、それまで黙っていた吉良が、
「僕にはわかりません、日番谷隊長」
 恨めしそうな声で、押し殺すように言った。
「日番谷隊長は、市丸隊長の気持ちを、ご存知なんでしょう?なら何故、こんなこと…。もともと日番谷隊長が一言おっしゃれば済むことだったのに。僕は悔しいです。涅隊長なんかにあんなこと言われて、みんなの前で、こんな、こんな…」
「…」
 吉良の気持ちはわかるが、その一言が言えたら、自分だって苦労はしないのだ。言えない代わりにこんな台車など押して…、本当に自分は、何をしているのだろう。
「明日出てきたら、こいつに聞いてやってくれよ。なんであんなバカな勝負しやがったのか」
「バカな勝負なんかじゃありません。市丸隊長は、それだけ日番谷隊長のことを…」
「やめてくれ、考えたくもない」
 とっさに言ったら、ますます恨めしそうな目で見られた。
 しばらくして三番隊の隊舎が見えてくると、日番谷はぽつんと、
「…お前みたいな副官を持って、市丸は幸せ者だな」
 日番谷から見たらこんな男でも、吉良は本気で尊敬して、隊長として慕っているのだ。
 一番身近にいる吉良にそこまで思われているのだから、『こんな男』とばかり思うのも、間違っているのかもしれない。
 吉良は日番谷の言葉に戸惑うように、いえそんな、とんでもないです、と謙虚に答えた。
 それきり二人とも黙って、微妙な空気のまま、三番隊舎に着いた。
 吉良は市丸を部屋へ運び入れる手伝いをすると、そのまま頭を下げ、よろしくお願いします、とだけ言って下がった。
 布団に寝かされた市丸の枕元に座って、日番谷は黙ったまま、その顔を眺めた。
 吉良の言ったことは、確かにもっともだと思った。
 別に普通に正攻法で頼んでみても、よかったのかもしれない。今思うと。
 あれほど絶対に嫌だと思っていたのに、こうしてみると、何故そうしなかったのか、不思議に思えてくる。
 自分が頼んだら、市丸は快くあの櫛を譲ってくれただろうか。
 そんなくだらないことを試してみたくなるなんて、全くどうかしている。
「…市丸」
 シビレ薬と言っていたから、市丸は動けないだけで、意識はあるのだろう。今の自分の声も、聞こえているのだろう。
 聞こえているけれど、返事もできないし、動けない。
 日番谷が何を言っても言い返せないし、不埒な真似もできないのだ。
 めったにないそんな機会に、日番谷の気は大きくなった。
「…お前さ、なんでこんなバカな真似したわけ?」
 意識があるとは思えないほど、市丸の表情はピクリとも動かない。
「あんだけ酒強いなら、みんなに注がれたからって、そう簡単には潰れねえだろ。適当に合わせて飲んで、適当にやり過ごしたらよかったんじゃねえか」
 そうしていれば、こんな目に会うこともなかったのだ。
「ホント、バカだよ。涅ネムに注がれた酒なんかあっさり飲みやがって。先に斑目が毒見してるとはいえ、あいつら、一服盛る天才だぞ。油断しすぎだ、全く。おかげで吉良にもあんなに心配かけて、隊長失格だぞ、テメエ。わかってんのか、バァ〜カ」
 何を言っても、反応しない市丸。
 したくてもできないのだとわかっていても、少し不安になる。
 暗いせいか、青白い顔。ピクリとも動かない身体。
「…生きてる、よな?」
 日番谷は少しためらってから、そっと手を伸ばした。
 そっと肌に触れてみて、その体温を確かめる。
 確かな魄動にホッとして、自分から触れてしまったことが、急に少し恥ずかしくなった。
 今市丸に本当に意識があるなら、動けるようになったらこのことでからかわれてしまうかもしれない。
「…これに懲りたら、もう二度とあんなバカなコトするんじゃねえぞ?」
 照れ隠しに言って手を引こうとすると、
「なんや、もう終わりかいな。相手は動けへんのやから、もっと大胆にイタズラしたってもええのに」
 突然答えが返ってきたと思ったら市丸の手が伸びて、日番谷の手首を掴んだ。