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宴〜EN〜−10

 一瞬の沈黙の後、檜佐木と阿散井が慌てて、松本はごまかすように笑って、
「な、何言ってんスか!」
「楽しく飲みたいだけっすよ!」
「そ〜よう、あんたにお酌したら、おかしいっての?」
 だがもちろん、そんなことでごまかされる市丸ではなかった。
 にこにこしながらひとりひとりの顔をゆっくりと見渡していってから、おもむろに、
「面倒なことは、嫌いや。酒なら酒の勝負でも、ええよ?ボクに言いたいことあるんは、誰なん?」
 笑顔はそのまま、ズバッと言ってきた。
「勝負ってなんスか〜!誰も市丸隊長に、そんな…」
 檜佐木が必死でごまかすが、貼り付いたようないつもの笑顔が怖い。
 そう簡単には潰せないだろうことは予想していたが、こうも早くこちらの思惑がバレるとは。
 しかも市丸は思いがけず、正面切って受けて立とうとしてきている。
 かなり気を悪くした様子だ。マズイ。
 こんな状態の市丸に、このまま勝負を挑むよりは、一度引いて出直した方が…などと、檜佐木が市丸を牽制しながら次の手を考えていると、
「市丸…!」
 庇うように前に立った檜佐木の袴の端を引いて、日番谷が前に出ようとした。
 だがそれより一瞬早く、
「よっしゃあ、その勝負、受けて立ったァ!」
 突然斑目が叫んで、勢いよく立ち上がった。
「おおおおおおい!何言ってくれちゃってんの、お前〜っっ!!」
 目玉が飛び出るほどびっくりして檜佐木が言うが、十一番隊は大喜びだった。
「やったー、つるりん、カッコイ〜イ!」
「なんだ、酒の勝負か、つまらん」
「酒でも勝負は勝負じゃけえ、負けんなよ?」
「頑張れ一角!ネムさん見てるよ〜vv」
「お前は黙れ、弓親!」
 ドンドン、パフパフ、と聞こえてきそうな盛り上がりに、十一番隊以外の皆は呆然と見ていたが、市丸はニッと笑って広いところへ出て行って、座った。
「勝負したるからには、誓えや。キミ負けたら、二度とボクのもんに手ェ出そうとしたらあかんよ。他の子ぉらも全員、覚えとき」
 柔らかな物腰ながら、どんと押されるような威圧感だ。
 しかも全て見抜いているような市丸のセリフに、斑目も驚いたような顔をしたが、すぐに満足そうに笑って、ゆっくりした足取りで市丸の前へ出てゆく。
「その代わり俺が勝ったら、いただくぜ」 
「そら、負けられへんね」
 ふたりの間でごうっと空気が渦を巻き、ぶつかり合っているのが見えるような気がした。
 間に花火でも入れたら、火が点きそうな熱さだ。
 ふたりとも、よほど自信があるのだろうか。お互い余裕の笑顔で対すると、どんとその前に酒が置かれた。
「い、一角さん、先にけっこう飲んでたから、不利スよ?」
「関係あるかい、市丸隊長だって、飲んでたぜ!」
「ボクは、舐めてただけやで」
「俺なんか、匂い嗅いでただけだ」
 早くも勝負は始まっているらしい。そう言い合って、軽く火花が飛び散った。
「ああ、もう、バカが…」
 こういったイベントを楽しみにしていた十一番隊や涅にとっては、大喜びの展開だろう。
 日番谷にとっても、自分が直接働きかけないで市丸から櫛を奪える、願ってもない展開ではあるのだが。
 なんとも複雑なことに、さりげなく市丸から櫛を手に入れるならともかく、皆の前で、こんなおおっぴらな勝負という形をとられると、どちらを応援していいのか、わからなくなってしまう。
 いや、成り行きや目的を考えても、間違いなく斑目を応援するべきなのだが…、この落ち着かなさは、なんなのだろう。
 後ろで吉良がオロオロと行ったり来たりしているので、よけいに落ち着かない。
 そうこうしているうちに、二人の前に置かれてゆく徳利が、どんどん空になってゆく。
 一杯空けるごとにお祭り騒ぎの十一番隊の応援を背後に、ギラギラした目で酒を煽ってゆく斑目とは対照的に、市丸はごく静かだった。
「…どうも解せんわ。キミは一体、誰のためにやっとんの?」
「誰のためじゃねえ、俺がやりたくてやってんだ」
「十番隊長さんのためやないの?」
「それもある」
 自分の名前が出てきて、日番谷はドキッとした。
 市丸はどこまでわかって、こんなことをしているのだろう。何かの理由で全ての事情を知っているのなら、よほどあの櫛が大切なのだ。
 それはつまり、自分との縁…??
 そう思うと、怖いやら恥ずかしいやら顔が熱いやらで、今すぐそのへんに転がっている徳利で市丸を殴って、こんな場から放り出したいような気分になる。
(こ、こんな勝負に勝ったって、お前との縁なんか、金輪際、ないからな?な、…ないんだからな?無駄な勝負だからな?)
 そんなことを必死で考えている日番谷は、今のところ自覚はないけれど、市丸に対してそう思っているというよりは、自分に言い聞かせているようだった。
(し…しかしこいつら、どれだけ飲むんだ…?)
 そんな勝負をしようと言う市丸も、それを受けて立つ斑目も、それなりに自信はあるのだろう。
 そんなに大量の液体が、一体どこへ入ってゆくのだろうと思ってしまうような量だった。
 市丸とはそれなりに時間を過ごしてきたが、彼が酒を飲むところを、これまで一度も見たことはなかった。
 それほど好きそうな印象でもない。
(大丈夫なのかな…?)
 恐ろしい成り行きにハラハラして見ていた日番谷に、市丸が気付いて、にっこりと笑いかけてきた。
 それはまるで、『キミのために頑張っとるで』とでも言っているみたいな気がして、思わずドキッとしてしまう。
(く〜っ、何この勝負?なにあの笑顔??なんであのバカ、俺のためみたいな顔してやがんの?)
 そしてなんでそんなことで、こんなに頬が熱くなるのか。
 何にしろ勝負ごとが好きな斑目はともかく、こんな勝負をして、市丸に何の得があるというのだろう。
 つくずく市丸の考えることは、わからない。
 こちらもそれほど市丸の真意などわかっちゃいなかった当の斑目は、それでも実に嬉々として酒を飲んでいた。
 十一番隊の声援も心地よいし、ネムも見ている。
 何より、負けるつもりなど、全くない。
(しかし、予想以上に強ェな、こいつ)
 市丸の笑顔は無表情と同じで、考えていることもわからないが、今どれくらいなのかも、全くわからない。
(でも、これで市丸の野郎に勝ったら、いい気分だぜ)
 酔いも心地よく回っている。
 日番谷や阿散井や吉良などが、目を丸くして呆然と自分達を見ているのも、いい気分だった。
(やっぱ男は、酒にも強くなくっちゃよ)
 チラッとネムを見ると、目が合った。
 目が合うと、ネムはこくりと頷いて、徳利を持って立ち上がり、自分達のところへやってくる。
「頑張ってくださいね」
 斑目の猪口に酒を注ぎながら、抑揚のない声で応援してくれる。
「よっ、憎いね、色男!」
「美女の応援じゃ、頑張らんわけにゃあいかんのう」
「わー、つるりん、真っ赤になった〜!」
「うるせえ、これは酒のせいだ、酒のせい!」
 とたんに十一番隊側は、大騒ぎになった。
 それを見て市丸は、羨ましそうな顔をして、日番谷の方に視線を向けた。
(オ、俺にも応援しろってか?言えってか?)
 できるかバカ!と思って、日番谷は思い切り睨みつけてやった。
「なんや、ボクには応援なしかいな」
 続いて市丸にも酒を注いだネムに向けるように言うが、それは間違いなく、日番谷に向けて言ったのだろう。
 がっかりしたように言って注がれた酒を飲んだとたん、市丸の動きが突然止まった。
 もともと動きの少なかった市丸の変化は、その瞬間には誰も気付かなかったが、
「う、うわああ、市丸隊長〜〜〜〜ぅ!!」
 吉良の悲鳴が響き渡る中、市丸の手の中の猪口が床に落ち、続いて崩れるように、その長身が畳に倒れた。