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宴〜EN〜−12

「仕込んでくれたんがシビレ薬やのうて、意識のうなってまう薬や言うてくれとったら、キミももっと素直になってくれたかもしれへんな。惜しいわ〜」
「おまっ…動けないんじゃ…」
 筋一つ動かせないはずの市丸は、しっかりと掴んだ日番谷の手首を、ゆるりと身体を起こしながら力強く引き寄せた。
「キミも言うてたやん、ネムちゃんの酒なん、危なくて飲めるかいな。あんなん、フリしとっただけや」
 平然と言う市丸を、日番谷が呆然と見上げると、
「そないに心配してくれはったん?幸せモンやね、ボクは」
 嬉しそうに笑って、ぎゅっと抱きしめてきた。
「うわっ、ちょ、バカ、離せ…っ」
「一番に飛んできてくれはったの、嬉しかったで。フリしながら、ちゃんと見とったよ」
「な、な、な…」
 動けないだけで、意識もあり、皆の声も聞こえているのだろうとは思っていたが、完全に芝居だったとは。
 動けないと思っていたから、安心して市丸の部屋なんかでふたりきりになったのに。
「テメエ、ふざけるのもいい加減にしろよ!なんでそんなフリなんかすんだよ、別に普通に飲まないでいりゃいい話じゃねえか、あれで負けたことになっちまったら、どうするつもりだったんだ?!」
「あれ、やっぱりボクのこと応援してくれとったん?」
 にんまりと笑われて、カッと頬が熱くなる。
「するか、バカ!お前なんか、負けになっちまえばよかったんだ!」
 乱暴に言ってどんと腹を蹴ってやると、ぐえ、と言って市丸は腹を押さえた。
「ほんま、素直やないねえ。いくら照れ隠しでも、暴力反対やで」
「照れ隠しじゃねえ!」
 というその言葉も、照れ隠しだ。
 市丸は呆れたように笑って、
「…まあ、ホンマはすぐに冗談や言うて起きるつもりやったんやけど。その前にキミが駆け寄ってくれはったからねぇ。そのまま寝とった方が、ええことありそうな展開や思て」
 嬉しそうに言って、市丸が日番谷の目の端に、ちゅっとキスをした。
「台車はあんまりやったけど、キミとここでまた二人きりになれるなんて、嬉しい予想外や」
「俺はテメエが動けるなんて、最悪の予想外だ!離せよもう、俺、帰る!」
「帰らせへんよ〜。どれだけぶりに会うたと思うとるの?キミに会うのボクがどれだけ待ち焦がれとったか、わかっとるの?」
 市丸の言葉に、日番谷の心臓がドキンと大きく脈打った。
 思わぬ展開で忘れていた色々なことを、突然思い出してしまったのだ。
 二週間前、まさにこの部屋で市丸と愛の一夜を過ごしてしまったこと。その時の自分の痴態や、市丸の身体の重さ、その熱や、自分に向けられた欲望で掠れた声。
 もう顔を合わせるのも恥ずかしいと思っていたのに、気が付いたら顔を合わせるどころか、またしてもその胸の中にいる。
 抱き締められると市丸の身体は見た目以上に大きく感じて、捉えどころのない市丸が、まるでこの手に入ったような錯覚にクラリとくる。
 せっかく忘れていた、市丸の腕に落ちてしまった理由のひとつである胸のときめきまで、色々と一緒に思い出してしまった。
 力強いのに優しいその抱擁に、痺れるような熱が背中を走って、全身に巡ってゆく。
 ぎゅっと着物を握っていた指を開き、震える手を、そっとその背に回してみた。
 抱き締められることは何度かあっても、日番谷から抱き返したのはこれが初めてで、細く見えるが戦闘部隊の隊長である市丸のその胸は案外厚いのだということは、こうでもしないときっと一生わからなかっただろうと思うと、それだけで胸が震えるような心地がする。
「…日番谷はん…」
 耳元で囁いた市丸の声が、掠れていた。
 聞き覚えのあるその声色は、日番谷の身体の芯をジンと痺れさせると同時に、不安にさせるものだった。
 それまでその欲望を冗談に紛らせていた市丸が、この部屋で二人きりになって初めて、日番谷に聞かせた声。それが特別な意味を持つのだと身をもって教えられた、官能的で、危険な声。
「…嬉しくて、大きなってもうた」
「何が…」
 言いかけてすぐに察し、反射的に身体を離そうとしたが、それ以上の力で抱きすくめられた。
「ようやく結ばれた恋人同士を引き裂くなん、最悪の任務やったね。毎日毎日あの夜思い出して、キミの帰り、待ち侘びとったよ?」
「お…、もい出すな、バカ!てか、誰が恋人だ!」
 自分は必死で忘れようとしていたのに。思い出したくもなかったはずなのに、そう言われて、どうしてドキドキしてしまうのだろう。
「思い出すな言われたかて、忘れられへんもん。無理や…」
 言いながら市丸が、日番谷の耳を甘く噛んだ。
 心の準備も全くできていないのに、またしても市丸は、勝手に二度目の夜をおっぱじめようとしている。
「テメエ…やめろよ、離せ!」
 腕の中で日番谷が猛烈に暴れ始めると、市丸はそれをなだめようとするように、唇を寄せてきた。
「やめろって、お前、酒臭ェ!」
「飲ませたん、誰や」
「お前が勝手にあそこまで飲んだんじゃねえか!」
「ボクはキミが来い言うたて聞いたから、行ったんやで?そうやなかったら、あんな会、行かへんよ」
「それは…」
「それともそれはウソなん?キミ、言うてないん?」
「…言った、けど…」
「ほれ、みてみ。キミが飲ませたんや」
 言ってすかさず、唇を合わせられた。
「ううっ…」
 なんと人の弱みにつけこむことのうまい男なのだろう。
 市丸の唇から移される酒の匂いで、酔ってしまいそうだった。
「会えん間、辛かったで。もうキミなしではおられん身体になってもうた。キミのせいや。責任とってや」
 言いながら着物の合わせ目を開こうとしてくる市丸に、日番谷は慌ててそれを阻止しながら、
「なんだよそれ!責任とンのは、テメエの方だろ!」
 言ったとたんしまったと思ったが、遅かった。
 思った通り、市丸は逆に嬉しそうな顔になり、
「責任、どうやってとったらええ?毎晩キミの部屋通ったらええ?キミをお嫁さんにもろたらええ?」
 とんでもなくウキウキと弾んだ声で言われた。
「どっちも却下だ、バカヤロウ!とりあえず反省文十枚くらい書きやがれ!」
「なんの反省したらええんやろ。恋文なら書けるけども」
「そんなもんは、いらん〜!」
 叫んだ日番谷の唇の前に、細くて長い指が一本伸ばされた。
「し〜っ。そない大きな声出したら、あかんよ」
「誰のせいで…」
「ん〜、ボクのせいやね」
 笑いを含んだ唇が、再び寄せられた。
 その酒の匂いに、またもクラッときてしまう。本当に酔いそうだった。
 酒の匂いに?…それとも市丸の醸し出す、独特の空気に…?