.

Don't Speak−4

「なんだと?」
「ボクも普通に稽古いうても、なかなか本気になれへんタチで。勝ったらええことあるんやったら、必死で稽古しますやん」
「へえ、それで?」
 日番谷が眉を上げると、市丸は口元を袖で隠し、恥じらうように、
「ボクが勝ったら、その可愛えお手々、握らせてほしいねん」
「はあ?」
「痛くせんて約束する。せやから、ぎゅーってしても振りほどかんと、キミのお手々握らせてほしいねん」
「…」
 言われて少し、日番谷は赤くなった。
 さっきは無理やり抱き締めてきたのに、なんとも可愛らしいお願いだ。
 それくらいなら、別にいいけど、と思いながらも、
「…俺が勝ったら?」
「なんでもええよ。それに見合うたお願い言うてくれたら、ききますよって」
「別にお前にしてほしいことなんて、ないしな。真面目に仕事してくれりゃ」
「ええ〜、色気のないお人やねえ〜。イヅルの回しもんみたいなこと言わんといて…」
「色気なんか、最初からあるか。じゃ、この部屋の掃除でもしてくれ。テメエの幼馴染が、片付けても片付けても散らかしてくれるんで、困ってるんだ」
「乱菊が、えろう迷惑かけてもうて、スイマセンなあ。あの子昔からお掃除ダメやねん。せやけど、料理はうまいんよ?…後片付けは、いつもボクやったけど」
「じゃ、その後片付けを頼む」
「決まりやね」
 市丸は言って、唇の端をぐっと持ち上げる独特の笑いを浮かべた。
(あ、ヤな予感…)
 市丸がそういう笑い方をする時は、たいていロクでもないことを考えている…
 そう思ったら、案の定、
「で、二回目に勝った時は、お膝に座ってほしいねん」
「二回目だとぉ?!」
「キミをお膝に乗せて、お仕事してみたいねん」
「しかも三番隊舎でかよ!」
「三回目に勝った時は、キミのその可愛え唇に、チューさせてほしいねん」
「チューだと!」
「四回目に勝った時は、キミの着物の中に手ェ入れさせてほしいねん」
「ちょ、テメエ、…!」
「五回目に勝った時は、着物も袴も何一つ身につけてへん、キミの裸が見たいねん。秘密のところを、見たいねん」
「……」
 可愛かったお願いは、回を追うごとにエスカレートしてゆき、耳を塞ぎたいほどの卑猥な要求に、日番谷は絶句した。
「六回目に勝った時は、ボクのお部屋で、」
「バカ、ヤメロ、聞きたくねえ、誰が、そんな、…!」
 市丸の声をかき消そうと、大声で制止すると、市丸は言葉を止めて、ニッと笑った。
「聞いとかんでええの?後で約束違う言うても聞かへんよ?」
「すでに違うだろ!てか、そんな約束、最初からしてねえ!」
「キミが勝ったら、それに見合うたもん、後でゆっくり考えてくれはったらええよ?」
「俺はテメエにしてほしいことなんて、」
「『優しくして』でもええで?…もちろんボクは、最初から優しいけども」
 その言葉だけで、身体中を舐められているような気がして、ゾッとした。
 一歩近づきながら、ふわっとかがんで顔の高さを合わせてくる市丸が、普段よりも何倍も大きく迫ってきたように感じ、日番谷は思わずゴクリと唾を飲んだ。
「最後にはな、キミは、ボクの、お嫁さんになるんよ?」
 ひとことひとこと強調するように、市丸は言った。
「意味わかる?ごっこやないで?心も、身体も、ボクのもんになるいう意味やで?」
 いつの間にか部屋の空気は、蜜のように甘い大人の香りに満たされていた。
 その色のあまりの妖艶さに、ブルッと震えそうになる。
「ありえねえ…」
 声が、掠れた。
 心底不快なはずなのに、その肌は別の理由で粟立った。
 キッと睨みつけると、市丸は全て見透かしたような、絡めとるような声で、
「嫌やったら、キミが勝てばええ」
 まるで蛙を狙う蛇のように余裕の笑みを浮かべる市丸に、日番谷は刀の柄を握る手に、ぎゅっと力を込めた。
 遊びだ。
 これは、遊びだ。
 大人が楽しむ、ロクでもない、くだらない、けれど少しだけ好奇心を刺激されないでもない程度の…、
 日番谷はそっと息を吐いてから、唇の端をクッと上げて、笑った。
「ハ、ハ、くだらねえ。バカじゃねえの。お前は稽古でその変態性欲満足させて、俺には何の得があるんだ」
「さあ、何かあるんやないですか?」
「じゃあお前は、裸で逆立ちして瀞霊廷内一周しろって言ったら、するのかよ?」
「うひゃあ、えげつないこと思いつくんやねえ、キミ」
 日番谷の言葉に、市丸は「参った」とでも言うように肩を竦めて見せるが、
「別にええよ。勝ったらええんやもん。ボクは優しいで。裸で逆立ちして大股開きなん、ボク一人の前でしてくれたらええし。ほな、決まりやね。明日の稽古、楽しみにしとるで」
「バカ、俺はまだ…」
 性的な世界などほとんど知らない日番谷には強烈すぎる性の匂いを残して、市丸は闇に吸い込まれるように、去っていった。
 思い出しただけで、ゾクッと肌が騒ぐ。
 どこまで本気かわからないその剣の稽古とやらは、結局まだ勝負はついていない。
 あんなことを言ったくせに市丸は、仕掛けてきてもいつも最後まで勝負をつけようとはせず、今日はこのへんにしときましょか、などと言って、あっさり次に持ち越してしまう。
 負けそうになって逃げることもあるが、勝ちそうでも引く。
 市丸は、いつもそうだった。
 何をしたいのかわからない態度で、一気に距離を詰めてきたかと思ったら、のらりくらりと逃げてゆく。
(チェ、結局本気でやらねえなら、稽古の意味ねえよ)
 つまりはあの言葉遊びがしたかっただけで、剣の稽古もあの賭けも、本当はどうでもよかったのだ。
(…キスくらいまでだったら、してやってもよかったのに…)
 本気で求められているかと思ったのに、からかわれていただけなのかもしれない。本当に勝ち進まれても困るが、それはそれで、面白くない気分だった。
(…どうでもいいけどよ、する気ねーんだったら、早く新しいこと思い付かねえと、相手してやんねーぞ、市丸…)
 大きく伸びをしてあくびをすると、日番谷は疲れた身体を書棚にもたせかけて、うとうととまどろみに入っていった。