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Don't Speak−3

  ほんの半秒でも反応が遅れていたら、本当に斬られていた。
 つい先ほど投げつけようとしていた湯飲みはいつの間にか倒れ、少し残っていた茶が机に小さな染みを作っていた。
「キミが言うたんやん、用がないなら帰れて。キミに会うてもらうには、キミが納得する用が必要なんやろ?これやったら、キミも満更でもないんちゃうん?」
 柄を握る手が、かけられる重みにブルブル震え、痺れるようだった。
 日番谷が受け止められるギリギリのところで、力加減をされている。
 そう思った瞬間屈辱に目が眩みそうだったが、怒りで我を忘れた状態で敵う相手じゃない。
 受け止めたとはいえ、自分の刀の上に刀を乗せられた状態で、いつまでも支えきれる体重差でもない。
 一秒でも早く刀を払いたかったが、その隙もみつけることはできなかった。
「隊長格ゆうても、稽古は必要やん。そうは言うてもボクら、相手探すんも大変やと思わへん?…どうやろ、十番隊長さん、ボクの稽古のお相手お願いできませんやろか?ボクの腕では、役不足ですか?」
 のんびり言う声が、更に日番谷の怒りを煽った。
「…市丸…!」
 だが、霊圧を爆発させて市丸を振り払おうとした一瞬先に、それを読んだかのように、市丸の方から日番谷の刀を払って後ろに逃げた。
「ほな、決まりやね?」
 勝手に始めておいて勝手に刀を鞘に収めながら、市丸は嬉しそうに言った。
「バッ…カヤロウ!勝手に決めんじゃねえ、何考えてんだ、テメエ!」
「十番隊長さんには、負けますわ。立入り禁止線なん引かれるとは、予想もつきませんでしたもん」
「だからっていきなり斬りかかるか、普通!」
「いつまでカタナ握り締めてはるの?今のはほんのデモンストレーションなんよ?腕が足りひん思われたらあかんから、ボクも必死やったんよ」
 詫びるように優しく言って、敵意はないことを示すためか、両手を開いて前に出してくる。
「そない怖いお顔せんといて。ボクはただ、十番隊長さんのことが好きなだけなんよ。どないしたらキミに振り向いてもらえるのか、そればっかり考えてますんよ?」
 そらきた、と思って、日番谷は思わず、フンと鼻を鳴らした。
 熱烈な言葉を吐くくせに、そこに重みは感じない。
 いつもの市丸の、お遊びだ。
 いつも甘ったるいことばかりしてきたから、今回はちょっと方向を変えてきたのだろう。
 本気で斬りかかってくるとは思わなかったが、確かにいい刺激にはなった。
 今回の市丸のお遊びにそれなりに満足しながら、口では素っ気なく、
「…バカくせえ。くだらねえことすんの、もうやめろよ市丸。テメエは暇かもしれねえけど、俺は忙しいんだ」
 タメ息をついてみせながら、日番谷は構えていた刀を下ろし、鞘に収めた。
「あかんなあ、心を亡くすと書いて『忙しい』やで。もっと余裕もたな」
「そう思うなら、よけいな仕事増やすな」
 日番谷が再び椅子に戻ろうとすると、後を追うように市丸も寄ってきて、
「…お茶、こぼれてまいましたね?驚かせてもうたお詫びに、新しいお茶入れさせていただきますわ」
「いらねえよ。飲むか、テメエの入れた茶なんか」
 日番谷は眉を寄せて断るが、市丸は気にした様子もなく、ええから、ええから、と、勝手に日番谷の湯のみを持ってお茶場へ向かう。
「勝手にするなよ!」
 ここは無視したいところだが、自分の湯飲みを持って十番隊のお茶場へ行かれたのでは、何をされるかわからない。仕方なく後をついてゆき、入口のところに背もたれて市丸の挙動を見張ってやると、
「え、キミはゆっくり机でくつろぎはっててください。すぐにこの世で一番おいしいお茶を入れていきますよって」
「いやいやいや、ついさっき本気で斬りかかってきた奴の茶なんか、飲めねえだろ、普通。つか、何を混ぜてこの世で一番おいしい茶ぁとやらを入れる気だ、テメエ」
 棘のいっぱいある声で言ってやるが、市丸は怯みもせずににっこりと笑って、
「愛と真心と純情混ぜるだけやで?」
 臆面もなく言い切った。
「アホか、どの面下げて純情だ、愛だ、真心だ」
「こう見えてボク、お茶入れるの結構うまいんやで?」
 言いながら、慣れた手つきで急須に茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
「はい、どうぞ」
 本当に普通に茶を入れて茶托に乗せ、にこやかに渡してくる。
「あ、ああ、…」
(別に、何も混ぜなかったよな?)
 どうも信用しきれなくて、その目で確かめてなお飲んでもいいのやら悩んで、匂いなどを嗅いでみながら机に戻ろうとしたとたん、
「あァ、あかんなあ、十番隊長さん」
「わっ…」
 ゾッとするほどセクシャルな声とともに、スルリと市丸の腕が身体に巻き付いてきた。
「!な、なにしやがる…!」
 驚いてビクッとするが、入れたばかりの熱いお茶を両手で持っていたために、こぼしてはいけないという意識が働き、とっさに振り払えなかった。
 なんてことだろう。お茶は何かを混ぜるのではなく、日番谷にそれを持たせることによって隙を作り、抵抗を鈍くさせるために、入れられたのだ。
 市丸は皆の前では軽いおふざけしか仕掛けてこないが、二人きりになると、こういったディープなことを仕掛けてくる。軽いおふざけを撥ね付けるのは簡単だが、こうなると市丸の方がうわてであることは、面白くなかった。
 二重三重に仕掛けられる市丸の策略は、日番谷の反応に合わせて方向を変える余地がいつもしっかりと用意されており、出し抜いたつもりでも、結局最後は彼の罠にはまってしまう。
 日番谷は舌を打ちたい思いだった。
「あないに警戒してはったのに、どうしてそない簡単に無防備にならはるん?」
 熱い息が首筋にかかり、大きな身体が、後ろからぎゅっと抱き締めてくる。
「細い腰やねえ。…ほんま、可愛え身体」
 ゾクッとしたものが、背筋を走った。
「は、離せ…っ」
 この際、茶がこぼれることなど気にしていられない。
 湯のみを放り出してでも市丸を振り払おうとした日番谷の両手首を、その一瞬前に、市丸がふわっと掴んだ。
「熱〜いお茶、こぼすと火傷してまうよ?」
 優しく思いやるような口調で囁いた唇が、そのまま耳たぶに触れ、きゅっと噛んだ。
「あっ…、ヤメロこのバカ…!」
 今度こそ市丸の手を振り切り、湯のみも放り出す勢いで身を離すと、市丸の手が空中に飛んだ湯のみを、さっと受け止めた。
「乱菊にもろうた、大事な湯飲みやろ?」
 それをわかってしたくせに、市丸は日番谷がひどいことをしたみたいに言って、滑るように机まで行くと、そっと置いた。
「ふざけんじゃねえ、テメエ!殺すぞ!」
 怒りに任せて刀の柄をはっしと握ると、
「そうそう、剣の稽古の話やったねえ」
 わけのわからないところに、話を戻してくれた。
「勝ったらご褒美もらえる条件つけたら、どないですやろか?」