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Don't Speak−22

  やがて先に、市丸が刀を下ろした。
 続いて日番谷が、市丸の身体から、刀を抜いた。
 赤い赤い血が飛び散った瞬間、日番谷は、市丸の血も赤いのだと、ちょっと驚いたような心地になった。
「あかん。日番谷はん。急所外れてるもん、キミの負けや」
 言いながら、市丸がその場にどうっと倒れた。
「テメエはあと一歩入れなかった。テメエの負けだ」
 刀の血を払ってから、日番谷は鞘にそれを収めて言った。
「いや、とろうと思うたら、とれた。寸止めしただけやもん。ボクの勝ちや」
「俺も、とろうと思ったら、とれた。1ミリずらしたんだ。俺の勝ちだ」
「入れておいて殺れへんなん、アウトや。ボクの勝ちや」
「お前は入れられなかったんだから、お前の負けだ」
 空しい言い合いだが、この勝ち負けには重大なものがかかっているわけだから、どっちも引けなかった。
「せやったら、ボクの負けでもええから、お願いだけでも、きいて」
「アホか。負けた奴の願いなんか、きけるか」
「せやったら、ちょお休憩いうことで、とりあえず、お膝枕して…」
 なにがなんでも引けないようだが、刺されたのだから、このままではヤバそうだ。
 さすがに辛そうに息をついたが、そんな状態でも甘えることは忘れない市丸に感心しながらも、
「なにが膝枕だ、図々しい!四番隊呼んでやるから、負けた奴はおとなしく倒れてやがれ」
 冷たく言い放って無情に立ち去ってやろうとした日番谷の袴の裾を、市丸の手が、ぎゅっと掴んだ。
「…行かんといて…」
 無防備に倒れたまま、市丸が切ない声で言った。
 一瞬、風に揺れる葉の音で、かき消されそうになったその声に、日番谷は思わず、足を止めた。
 聞き間違いだろうか、と思ったが、その手はやっぱり、哀願するように袴の裾を握っている。
「…テメエ、そのまま死にてえのかよ」
「イヤや。キミにお願いきいてもらうまで、何があっても、死なれへん」
「テメエの願いなんか…」
「…新婚第二夜は、次でもええねん」
「次って何だよ!」
「…何を怒ってはるのか、ほんまにわからへんけども、もうほんまお願いやから、堪忍してや。キミに冷たくされると、ほんま辛いねん。もう泣きそうやねん。たぶんボクが悪かったんやと思うし、何でもするよって、お願いや。ほんまにもう、許して…」
「…」
 ほとほと困り果てたというように、市丸はぐったりと項垂れて、情けない声で言った。
 そろそろ日も暮れかけていて、市丸の顔も、その声も、淡い色に染められて、ぼんやりと霞んだように感じた。
 一気にそれだけ言ったために、市丸は少し咳き込んで、苦しそうな呼吸が低く響いている。
 日番谷は市丸をじっと見下ろしてから、すっとその場にしゃがみ込み、袴を掴む市丸の指を、一本一本、はずし始めた。
「ちょ、ちょお待ちぃ!マジで、マジで、行かんといて下さい!お願いします!」
 慌てふためく市丸に、日番谷は表情を変えもせず、
「じゃあまず、俺に謝れ」
「ゴメンなさい!」
 間髪入れずに答える市丸に、日番谷は少し眉を上げて、
「この間は僕が悪かったです、反省してますと言え」
「この間はボクが悪かったです、反省してます!」
「ご主人様、ワンワンと言え」
「ご主人様、ワンワン」
 本当に言った市丸が面白すぎて、日番谷は腹を抱え、肩を震わせて、声もなく笑った。
「ホ、ホントに言いやがった。バカだこいつ…」
「ええっ、言え言うたの、キミやん!こっちは必死やのに、何笑てるん?!ひどいで!」
 確かに必死そうだ。
 いつも余裕の市丸が、必死で自分の愛を得ようとする様子を見るのは、なんて気持ちがいいんだろう。
 自分が市丸に振り回されるのは御免だが、市丸を振り回すなら、悪くない。
 倒れた市丸を見下ろすのも、いい気分だ。
 そんな市丸を見ているうちに、ムカムカしていたものが、すうっと消えてゆくのを感じた。
「じゃあ、まあ、今回は相討ちということで、譲歩して、三つのうちひとつだけいうこときいてやるから、選べ。一、今すぐ四番隊を呼んできてやる。二、誰か来るまで、膝枕しててやる。三、誰か来るまで、手ェ握っててやる」
 日番谷が言うと、市丸は飛び上がるほどに驚いて、
「ええっ、ほんま?!きゅ、究極の選択やで、それ!お膝枕かお手々か、あ〜、どっちにしよう〜」
 死にかかっているくせに、本当に一番はどうでもいいらしい。
 市丸は本気で悩んでいるようだったが、
「もう、迷うとったら、時間もったいないわ。お膝枕!」
 言うなり日番谷の膝に飛びついて、ゴロニャンとでも言いそうな勢いで甘えてきた。
「お前な、このまま放っておいたら、本当に死ぬぞ?」
「うん、こない素敵な死場所、他にあらへん」
「姿勢辛くないのか?」
「何言うてんの、最高や…」
 本当に幸せそうに言う市丸に、日番谷の頬が熱くなった。
 甘えてくる市丸が可愛いと思ってしまうなんて、自分の頭も、おかしくなってしまったに違いない。
「…しょーがないヤツ…」
 小さな声で呟くように言って、日番谷は地獄蝶を四番隊へ飛ばすと、少しためらってから、市丸の手を取って、そっと握った。
 市丸の指先は少し冷たくなっていて、血がついていて、日番谷は今更ながら、ここまですることはなかったかも、と思った。
 ここまでしなかったら、負けていただろうから仕方がなかったのだが。
 そもそもあんなわけのわからない賭けの稽古を思いついたのは、市丸の方だし。
 あんなくだらないお願いをきいてもらいたいという理由だけで本気で斬りかかってきたのも、市丸の方だし。
 何を怒っていたのか、おかげでどこかに吹き飛んでしまったようだけれども。
 市丸は驚いたようにピクッと震えたが、すぐに握り返してきた。
 その力は笑ってしまうくらい遠慮がちで、本当に笑ってしまいそうになった。
「日番谷はん、今度の勝負は、居合抜きの速さとか、もうちょっと危険度の低いもんにしような…?」
 少し苦しそうな力ない声で、それでも市丸は懲りないことを言った。
 まだやる気かよ、と思わず呆れたが、そうだな、と答えて、日番谷は空いている方の手で、市丸の顔は見ないようにしながら、その髪をさらりと撫でてみた。