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大福−4

 市丸が無理だと言うことと、自分が無理だと思うこと。
 互いに相手に無理なことを求めるのなら、どちらかが譲るしかない。
 それだけのことなのだ。
(…今日、だよな?誕生日…)
 日番谷は食堂で黙々と昼食をとりながら、ぼんやりと考えていた。
 あれから市丸は、十番隊舎へ来なくなった。
 誕生日までに日番谷が市丸を好きになったら、日番谷自身をプレゼントする。好きにならなかったら、もう二度と顔は見せない。
 一方的に市丸が言っていただけとはいえそういう約束だったから、もう顔も見せないつもりなのだろう。
 せいせいした。
 と、思おうとしている。あれから何度も。
(…ったく、だからこうゆうのは、ヤなんだよ。後味悪いったらねえぜ)
 しかも、あんな去り方をしなくてもいいのに。
 まるで日番谷が人でなしみたいな、市丸にとんでもなくひどいことをしたみたいな、そんな気にさせる去り方をしなくてもいいのに。
 あんな顔をしなくてもいいのに。
 あんな声を出さなくてもいいのに。
 無意識に何度も何度もあの時のことを思い出しては、後悔しそうになって、慌てて我に返る。そんなことを、何度繰り返しただろう。
(…どっちにしろ、今更どうにもならねえよ。というより、どうにもする気もねえわけだし)
 あの時まで、毎日あんなに嬉しそうに幸せそうに、この日を指折り数えていた市丸を嫌でも思い出して、本当に嫌な気分になる。
 だが、自分の誕生日を嫌な思い出とセットにしてしまうような案を言い出したのは、市丸の方なのだ。
 だからこんな案は嫌だと言ったのに。
 あんな二者択一は嫌だと言ったのに。
 それともあんな中途半端な別れ方だったから…誕生日にもう一度、最後の答えを確認しに、十番隊に現れるだろうか。
 あれだけうっとうしいまでにへばりついてきていた市丸だけに、少しだけ不安にもなる。いや、それは不安ではなく、もしかしたら期待…?
 終わるにしても、…もう少しなんとか後味の良いように…
 …終わるにしても。
(おめでとうくらいは、言ってやってもよかったのに)
 知らず眉間のしわが、いっそう深くなってくる。
「あっ、シロちゃんだー!」
 不意に明るい声がして顔を上げると、雛森が自分の昼食の盆を持って、大きく手を振りながら近付いてくるところだった。
「こんなところで会うの、珍しいね〜♪あら、何か悩みでもあるの〜?おっかない顔しちゃって」
「ねえよ、そんなの。それよりシロちゃんて呼ぶなつってるだろ、日番谷隊長だ、日番谷隊長!」
「うふふ、隠してもダメよ。隊長さんだもん、悩みは尽きないわよね?」
「そんなんじゃねえったら」
 怒ったように言うが、雛森の顔を見て、ほうっと心が休まるのがわかった。
「なんだよお前、そんだけしか食わねえの?まさかダイエット中とか言わねえだろうな?大きくなれねえぞ?」
「ええ〜っ、日番谷くんだって何よ、また好き嫌いして、ネギ残してるじゃない〜!大きくなれないわよ!」
「俺はお前の3倍は食ってるから、大丈夫だ」
「私は質で勝負だもの」
「質ねえ」
 雛森の盆の上のものをジロジロ見てやると、雛森は少し唇を尖らせて、日番谷くんには女心なんて、わかんないわよ、と拗ねたように言った。
「そうだ、そういえば藍染隊長がね、日番谷くんに会ったら、今度五番隊に遊びにくるように言っておいてって言ってたわよ」
「藍染が?」
「もう、『藍染隊長』でしょ?日番谷くんは元気かな、って、何度もあたしに聞くの。日番谷くん、藍染隊長と、何かあったの?」
「…」
 厳密には、藍染と何かあったのではなく、市丸と何かあったことを藍染が知っているのだ。
(そういえば、見られたんだった…)
 誰かに心配されると、自分はそんなに弱くないと腹が立つのだが、今回のは弱いとか弱くないとかいう問題ではないだろう。珍しい二人が妙な雰囲気で密会していたと思ったらその後険悪になっているのだ。それも、隊長格の二人が。藍染も隊長格のひとりとして、心配もするだろう。
(どこまで見られてたんだか、知んねーけど)
 それを思うと、顔が赤らむ思いだった。
「ねえ、日番谷くん」
「え、ああ、いや、何もねえよ。…俺じゃなくて、お前の話なんじゃねえの?雛森くんが仕事してくれなくて、困ってるんだよ、とか、雛森くんにセクハラされてるんだけど、やめるように言ってくれないかな、とか」
「ひど〜い!あたし、ちゃんと仕事してるもん!セクハラなんて、してないもん!」
「どうかな〜?」
 それでも少し気になって、仕事が終わってから五番隊へ向かってしまったのは、今日が市丸の誕生日だったからかもしれない。
 今日だけは、遠くからチラリとでも顔を見てしまうことがないように、万が一にも部屋に来られて二人きりになったりしないように、どこか安心できるところへ落ち着きたかった。
 市丸が藍染を好きじゃないと言っていたから、ここなら絶対に会わないで済むと思ったのだ。
 あの時もしも藍染が誤解をしていたなら、多少なりとも説明しておいた方がいいと思ったこともある。
 五番隊の隊首室に着くと、隊員が数名、藍染に報告を行っているところだった。
 雛森は、もういないようだ。
「あ、日番谷くん。もう少しで終わるから、待っていてくれるかな?」
「ああ」
 少しだけ決まり悪い気持ちになりながら、日番谷は隊員が部屋を出てゆくのを待った。
「お待ちどう。よく来てくれたね」
 そう言ってから少し考えるように部屋を見回して、
「…よかったら、僕の部屋へ来ないかい?おいしいお茶があるんだけど」
(誰にも邪魔されないで、話を聞きたいということか)
 日番谷もあまり聞かれたくない点で同意見だったので、黙って頷いて、藍染の部屋へ向かった。
「このお茶は、雛森くんが出張の帰りにお土産に買ってきてくれたものでね。おいしかったから、それからも時々取り寄せているんだよ」
「ふうん」
 言って一口すすると、藍染が『どうかな?』という目で反応を待っているので、仕方なく、うまいな、と言った。
 藍染は嬉しそうに、微笑んだ。
「これも、雛森くんのお土産」
 言って今度は茶菓子を出してきた。
「雛森雛森って、お前どんだけ雛森に貢がせてるんだよ」
 それともこれだけ雛森に慕われているとアピールしたいのだろうか。
 日番谷がムッとして言うと、藍染はびっくりしたように目を見開いてから、
「…いや、君が喜んでくれると思って」
(…そう思われているのもムカつく)
 実際雛森の名前を出されると敏感に反応してしまうだけに、よけい。
 日番谷は答えないまま茶菓子に手を伸ばし、乱暴に口に運んだ。
「まあまあだな」
 それにも藍染がにっこり微笑むので、日番谷がふいっと顔を逸らすと、机の上に本があるのをみつけた。
「…なんか、難しいもの読んでるんだな」
 手にとって見ると、暗号のような文字で書かれた、わけのわからない書物だった。
「難しくなんかないさ」
 突然真後ろから答えが返ってきて、日番谷はビクッとして振り向いた。
「え、どうしたんだい?」
「急に後ろに立つなよ、驚くだろ?」
「ああ、ゴメン、ゴメン。熱心に見てるみたいだったから」
 確かに興味深く見てはいたが、それほど集中していたわけでもない。
 藍染に軽く後ろを取られたことを力の差のように思えて、思わず乱暴な口調になり、それが更に面白くなかった。
「読みたいなら、教えてあげようか?」
「…」
 後ろから本に手を伸ばされると、体格差からその胸に包み込まれるような感じがして、日番谷はさっと身体を引き、ぐいっと顎を上げた。
「…これは、何の本なんだ?」
「何の本だかわからないから、読んでいるんだけどね」
「?」
「研究室や情報局といったところでは、情報を文書に残す時、常にその内容を他者が簡単には解読できないように、暗号のようなものを使っている。これはそういった昔の情報文書なんだよ。暗号の難易度はその情報のレベルによってさまざまで、解読は何度となく試みられているが、そもそもの目的から、その全てが僕らが読める文字に直して保存されているわけではないし、使われる暗号そのものも常に改良されて変わってきている上、とても厄介な代物である場合も多いことから、全てが解読されてるわけでもない。一応、あたりをつけて借りてきて、欲しい情報を探しているところさ」
「欲しい情報って?」
「それは、色々」
 日番谷は藍染の顔を見て、もう一度文書を見た。
「で、お前、これどうやって手に入れたんだよ」
「あれ、鋭いところを突かれたなあ。二人の秘密にしておいてくれると嬉しいんだけど」
 困ったように笑う藍染に、これは本当は持ち出し禁止の書物なのだろうと、すぐにわかった。藍染がそういう、規則を破るようなタイプには見えなかったが、よほど読みたかったのだろうか。
「…死神ってなんだろう、魂ってなんだろう、虚は?…って、つきつめて考えてみたくなること、君にもあるんじゃないかなあ?この力はどこからくる力なのか、本当は何のための力なのか、…とか…」
 なんだか真面目に語り始めた藍染の言葉を聞きながら、日番谷は書物に書かれた、暗号のような文字をじっと見ていた。
 それはそこにあって意味を持っているのに、何を語っているのか、自分にはわからない。もどかしくて、苛立つ。
 それとも藍染のように、そこに隠された意味を根気よく解読してゆけば、いつか理解できる日がくるのだろうか…。
「…ところで日番谷くん、今日が何の日か、知っているかい?」
 藍染の言葉を聞くともなく聞きながら、日番谷が難解な文字列を睨みつけていると、ふいに藍染が柔らかく聞いてきた。
「今日…?何の日って…?」
 ドキンと心臓が跳ねたのがわかる。
「…いや、こんなところにいていいのかな、と思って」
「どういう意味だよ?」
 ジロリと睨むが、藍染はふんわりした笑みを浮かべたままだ。
 今日。今日はもちろん、市丸の誕生日だ。
 藍染はもちろん、それを言いたいのだろう。
 藍染はもともと市丸の上官だったのだから、知っていたとしても不思議はなかった。
「もちろん、僕は君が遊びに来てくれて嬉しいし、光栄だけど」
 ズバリ聞いてこないところが、一応気を使っているのか。
 そういえばもともと藍染は市丸とのことを心配して声をかけてきたんだったと思い出した。
「この間会った時」
 日番谷はタメ息をついて、開き直った。
「お前、あんなところで、何してたんだよ?」
「え、僕かい?僕はたまたまあのあたりを通りかかったら、日番谷くんが市丸を従えて歩いてゆくのが見えたから…」
「従えてねえよ。前歩いてただけだよ」
 つまり、最初から見ていたわけだ。
 市丸に、手を握らせていたところも。
 それでは弁明のしようもない。顔から火が出る思いだった。
「…あいつの誕生日なのは知ってる。でも関係ない」
 藍染と目を合わせられなかったから、言った後数秒訪れた沈黙が、重かった。
 藍染はしばらく黙って日番谷を見ていたようだったが、やがてふっと息を抜くように笑って、
「…そうだね。彼は今日も、現世の任務でこちらにはいないわけだし」
「えっ!」
「『えっ』て、知らなかったのかい?3日ほど前から発っていて、あと2〜3日は帰らないと思うけど」
「…」
 知らなかった。
 だからここしばらく、やって来なかったのか。
(なんだよ、祝うもなにも、いねえんじゃねえか!)
 なぜか一瞬ホッとしたような気持ちになって、それからすぐに猛烈に腹が立ってきた。いいように振り回されたような気分だ。
 任務が突然下りることは、わかっている。
 でもあんな約束を迫っておいて、誕生日当日に戻れないとわかっていながら何も言わずに行くとは、どういう了見だ。あんな別れ方をしてしばらく来なかったら、こちらだって色々思うじゃないか…
 そこまで思って、よく考えたら自分は市丸をフッたわけだから、そんなことをわざわざ言いに来るわけもないことに気がついた。
(あれ…何思ってンだろ俺…。バカみてえ…)
 今市丸がこちらにいないと知って、どっと安堵が押し寄せたのも事実だった。
 それならば何も心配することはないのだ。
 市丸が来るのではないかと心配することも。
 市丸が来ないのではないかと心配することも。
「…なんだよ。お前は知ってて聞いたのか」
 気持ちが多少なりともすっきりすると、その様子すら、藍染が窺うようにじっと見ていることに気が付いて、日番谷は少しムッとした。
「はは、ゴメンゴメン。聞き方が遠回り過ぎたかな」
 申し訳なさそうに笑って謝るが、遠回りとかいう問題ではなく、素直でない日番谷の本心を知るため、カマをかけられ、反応を見られたのだろう。
 藍染が任務を下す権限を持っているわけではないのだが、一から十までしてやられたような気分がして、いい気持ちにはならなかった。
「…そんなに心配か?」
「え?」
「俺がガキだから?」
「…そんなこと…」
「…俺、帰る」
 突然言って、日番谷はずっと持っていた書物を机に戻した。
「あれ、もう帰っちゃうのかい?もしかして、怒らせちゃったかな?」
 藍染の困ったような顔を見て、困らせている自分に気が付いて、日番谷はタメ息をついた。
「いや…。そんなんじゃない。皆に心配かけてるのはわかってるんだけど、…どうも俺は、そっちの話は苦手なんだ」
「気を悪くしたなら許して欲しい。僕は別に、反対しているわけじゃないんだ」
「いや、だから、う〜ん、ホントに何もないから」
 言っていて顔が熱くなってきたので、日番谷は心配してくれている藍染とこれ以上気まずくならないようにしつつ、この場から一刻も早く逃げなければいけない、と焦った。
「今日はうまい茶と菓子をありがとう。また来るよ。…そのう、俺もそういう本とか、興味あるし」
「そうかい?じゃあ、よい本を持っているから、貸してあげるよ。とりあえずこれを読んでおくと、わかりやすいと思う。暗号じゃないし」
 日番谷が巧みに話題を変えたことを喜んだように、藍染はいそいそと奥の書棚に向かって、本を一冊取って来た。
 渡された本は厚くはなかったが、歴史を感じる、いかにも貴重そうなものだった。
 さきほど日番谷に少々気を悪くさせたことを詫びようとしているのかもしれないが、そういうものをぽんと自分に貸してくれたことに、少し嬉しくなる。
「…いいのか?俺なんかにこんな大切そうなもの貸しちまって」
「もちろん、君だから貸すんだよ。こういうものに興味を持ってくれる子は少ないし、話し合える相手ができたら、僕も嬉しいし。それを読み終わったら、こっちの文字を教えてあげるから、またおいで。簡単なのから用意しておいてあげるよ。…でももちろん、これは二人の秘密」
 言って藍染は、冗談のように小指を伸ばして差し出してきた。
「指きりしようか」
「バカ、子供じゃねえぞ」
 軽くその指をはたいてやると、藍染は、ははは、と笑ってその手を日番谷の頭に伸ばした。
 くしゃっと撫でて、 
「いつでもおいで」
「だから、子供じゃねえって」
 怒ったように言って手を振り払ってから、日番谷は借りた本を懐に入れて、戸を開けた。
「じゃ、またな!」
「おやすみ」
 日々もちろんヒマではないけれど、没頭できるものが増えるのは、いいことだ。これで当分は余計なことを考えないで済みそうだ。
 一日憂鬱でいたから、まだ少し暑さの残る夜に、光る星がやたら綺麗に見えた。
 柔らかな木々の葉の音が、心地よく耳に響く。
 部屋に戻ったらゆっくり風呂に入って、そして早速借りた本を読んでみよう、などと考えながら五番隊舎を出たところで、鋭い殺気にビクリと足が止まった。