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大福−3

 前回変な帰り方をしたから、市丸は今日はもう十番隊舎へは来ないのだと思っていたら、夕方を過ぎた頃、何事もなかったかのような笑顔でやって来た。
「十番隊長さ〜ん、お待ちかねのおやつの時間ですよ〜♪」
「えええ、おやつって、こんな時間だけど」
 色々な意味で驚いて言うと、市丸はいっそうにこやかに微笑んで、
「でも、お腹すいてますやろ?本日のおやつは花雪堂の大福とカルビーのうす味カールやで〜」
「なにその組み合わせ?昨日の浮竹隊長のポッキーに対抗してるの?」
 その差し入れを受け取って、松本がすかさず突っ込みを入れたが、市丸はにこにこするだけだった。
「ささ、乱菊、はよお茶入れて。まずはふっくらやわらか、もちもちの大福からや〜♪」
「な、なんだ、このデカさ」
「知らんの〜?有名なんよ、ここの大福」
 有無を言わせずお皿に分けられた大福と湯飲みがどんと机に置かれ、日番谷は一瞬どうしたものかと思ったが、すっかりいつも通りの市丸に、少し安心もした。
 普段市丸は、日番谷が何を言っても何をしても決して本気で怒ったりしなかったから、いつの間にかひどいことを平気で言ったりしたりしてしまうようになっていた。
 だから、昨日は無意識のうちに何か彼を傷つけるようなことをしてしまったのかと、根が人のいい日番谷は、密かに心配していた。
 結局昨日の市丸の突然の退場の理由は不明のままだが、気を取り直してか、またいつも通りの顔で来てくれたのだから、ここで食べなかったら、宣戦布告みたいなものだ。
 黙って大福を手に取ると、市丸が期待いっぱいの目で見てきた。
 やはり仲直り?の印のような意味あいなのだろうと思って、日番谷の手には大きすぎる大福に食らい付く。
 噛み切ろうとしたら本当にやわらかくて、餅が手と口の間で伸びた。
「うん、うまい」
 少々食べ辛いが、これは人気の大福というのも頷ける。
 言って日番谷が顔を上げると、ソファに座った市丸が、テーブルに顔を突っ伏して悶絶していた。
「…市丸?」
「…あかん、想像以上や。…いや日番谷はんは気にせんと、続きいって」
「?」
 よく意味がわからなかったが、日番谷は促されるまま、二口目を口にした。
 よく伸びる餅を切ろうと、かぶりついたまま顔を上げると、市丸が手で鼻を押さえながら、ギラギラした目で見ていた。
「…何見てんだよ?」
「あああもう〜、魔性の可愛らしさや〜。理性がどうかなりそうでヤバイのに、目が離されへん〜」
「…」
 それは、自分が大福を食べる姿が可愛いと言っているのだろうか。それで悶絶しているのだろうか。
「あんた、バカでしょ?」
 日番谷の代わりに松本が、冷静に言い放ってくれた。
「もうこの際何とでも言うて。ささ、十番隊長さん、ぐいぐいいって」
 市丸が何かにつけて可愛いを連発するのは今更だったし、自分は普通に大福を食べているだけなので、日番谷は市丸の妙な反応は無視することにして、大福を食べ切った。
 市丸は涙を流し、鼻水を垂らしそうになりながら、ムフムフその様子を凝視していたが、
「したら日番谷はん、お次はカールや。カール知っとる?現世のお菓子やで?」
「ふうん?」
「これはな、こうして一度端っこを歯で軽く咥えてから、ぱくっと食べるんよ」
「ふうん?」
 よくわからなかったので言われた通り、一度軽く歯の先でカリッと咥えてから、ぱくんと口に入れた。
「うん、まあまあかな」
 甘い大福の後で、さっぱりした食感もよかった。
 続けて2〜3個食べてからふと見ると、今度は市丸と松本が二人して悶えていた。
「…ふ、不覚だわ。まさか私までヤられちゃうとは思わなかったわ」
「あかん、日番谷はん、犯罪や。ありえへん」
「…何やってんだ、お前ら?」
 いつもおかしい市丸はともかく、松本までソファに顔を伏せ、フルフルしている。
「子、子リス?子リスじゃ表現しきれないわ。子リスがあんなにエロくないもの。ああもう、隊長ったら、隊長ったら」
「せやろ、せやろ?あの微妙に見え隠れする白い歯ァと、微妙にすぼめた唇の間に、くるりと巻いた可愛え形のジャストサイズのスナック菓子…vv更にはいったんお口にくわえられたカールがするっとその中に吸い込まれるエロスvvvな、たまらんやろ?さっきは好みのポイントが違っただけや。ボクの言うこと、わかるやろ?」
「だからってこんなこと思いつくなんて、あんたやっぱりおかしいわよ。確かに私もハマっちゃったけどさ、なにこのマニアックな萌えポイント?ストレートにバナナやキャンディーバーでも持って来た方が、まだわかるわよ」
「ああ〜っ、それは今度持って来ようと思とったんに、今言ったらあかん〜〜〜!」
「知らないわよ。もしかしてあんた、昨日のポッキーでもヤラれてたんじゃないの?」
「さすが乱菊は鋭いわ。あれは不意打ちでヤバかったんや。まさかポッキー食べるくらいであない可愛いと思わんもん、心の準備ができてへんかったから、思わず理性がどうかなってまうところやった。あと一秒出てくの遅かったら、ボク獣になっとったかもしれへんな。危機一髪や」
 理解を超える会話をする二人に、日番谷の額に青筋が浮かんだ。
「テメエら…人で遊んでんじゃねえ!」
「遊んでませんよ!真剣ヤバいです日番谷隊長!カールはダメです、こいつの理性がそのうちフッ飛びますから!」
「ああ〜っ、乱菊、なんてこと言うんや、裏切り者!日番谷はん、気にせんと、もっと、もっと可愛いとこ見せてぇな」
「ダ〜メ〜で〜す〜!」
 文句を言う市丸にひと睨みをくれて、松本は日番谷からカールを取り上げた。
 そんな変態な会話を聞かされて、言われなくても日番谷はもうカールを食べる気はない。
(あ〜、わけわからん。昨日市丸が急に帰ったのは、そんな理由か?マジでそんな理由だったのか?)
 本当にそんな理由だったなら、情けなさすぎる。
 日番谷なりに、少しばかり気にしていたのに。
(やっぱりこいつは、気にしてやる必要なんか、全然ねえよ!損した気分だぜ、ちくしょう)
「日番谷はん、今度はもっとええもん持ってくるね?」
「お前の差し入れは、もう食わん」
「ええ〜っ、そんな〜」
 大げさに泣き真似をして、市丸はがっくりと肩を落とすが、湯のみを片付けに松本が席を立ったところで、
「日番谷はん、覚えてはる?もうすぐボクの誕生日やで。日番谷はんからのプレゼント、もう今から楽しみで楽しみで、眠られへんよ〜」
 嬉しそうに言う市丸に、日番谷の心はまた曇った。
 そんなに嬉しそうにされても、困るからだ。
「…市丸、ちょっと散歩でもしに行かないか?」
「えっ、ほんま?一緒にお散歩してくれはるの?」
 ここで喜ばれてもますます困るが、心が決まっている以上、あまり期待させたまま待たせない方がいいとも思う。
 日番谷が市丸と二人で散歩に行くと言うと、松本はあからさまに心配して、
「大丈夫ですか?氷輪丸ちゃんと持っていってくださいね?何かあったら斬魄刀を解放して下されば、とんでいきますからね?…ギン、隊長に手を出したら承知しないわよ?!」
「…松本、女や子供じゃねえんだから、そこまで心配するな。…氷輪丸は、持って行くけど」
「ふたりとも心配性やな〜。なんもせえへんよ?もっとも、日番谷はんがオッケーやったら、その限りではないけどね?」
「くだらねえこと言ってねえで、行くぞ、市丸」
「ほな、乱菊、またな?」
 うきうきと日番谷について来る市丸を見て、松本が後ろで小さく、大丈夫かしら、と言うのが聞こえた。

 言わねばならないことだが、言いにくいことなので、さてどうやって気持ちを伝えようかと、日番谷は歩きながら考えた。
 木立の中をしばらく歩き、誰も周りにいないことを確認して振り返ると、市丸がにこにこしながら自分の手を羽織で拭いてから、
「はい日番谷はん、手ェ」
「?」
 何か渡されるのだと思って不用意に手を差し出してしまうと、すぐにその手をすっぽり握られてしまった。
「…おい、何だよこれ」
 怒って振り払おうとすると、
「ええやん、少しだけ、こうして歩きましょ?夢やったんやから、ボクの」
 その言い方が、まるでこれから自分が日番谷に言われることをわかっているように思えたので、日番谷は少し考えてから、黙ってそれを許すことにした。
 市丸はそのまましばらく歩いてから、日番谷はんの手ぇは小さぁて、柔らかいね、と言った。
 どうせガキだよ、と少しムッとしたが、日番谷は市丸の手を見て、
「…お前は指が長いな」
「ええ、そうですか?…それ、褒めてはるの?」
「別に…ただの感想」
 そんな話をしているとなんだか恋人同士みたいで、そうでなくても手をつなぐという行為がやはり恥ずかしくてたまらなくなってきて、
「そろそろいいだろ、放せよ」
 ぶっきらぼうに言って、市丸の手を振り払った。
「えっ、なんでですの?もう少し、ええですやん」
「やだよもう。恥ずかしいし、なんかお前、握り方変だし」
「へ、変ですか?変て何?どう変なん?」
 日番谷の言葉に、市丸が慌てたような声を出す。
「その、…ええと、力加減とか」
 繊細な壊れ物でも持つように、恐る恐るといった感じで握ってきたかと思ったら、時々手触りを確認するように、そっと指を滑らせてくる。そうしながら少しずつ指に力が込められてきて、決して放すまいとでもするような勢いを見せ始め、なにやらヤバそうな予感に、こちらまで緊張してきてしまったのだ。
 そういうことを言葉で表現するのが難しくて、日番谷が一番近いと思われる言葉を使うと、市丸は困ったような顔をして、力加減、難しいですわ、と答えた。
「だってボクの手ェの中にすっぽり入ってしまいますんよ?そやろとは思てましたけど、いざホンマに握ったら、予想以上でどないしよ思いましたわ。痛くしたらあかんし、せやけど、ぎゅって握りたいし。…そうでなくても日番谷はんと初めて手ェつないだんやもん、もう舞い上がってもうて、嬉しいやら緊張するやらで、どう力入れてええやらわかりませんわ」
「市丸」
 市丸のそんな言葉をこれ以上聞いていたら、せっかくの決心が崩されてしまいそうだった。
 日番谷が立ち止まって市丸の方を向き、思い切って言おうとした丁度その時、
「珍しい組み合わせだね」
 不意に木の向こうから、覚えのある声がした。
「藍染?お前…なんでこんなところに?」
「それは僕のセリフだよ」
 自分もびっくりしているという声で日番谷に言ってから、現れた藍染は少しきつい目で、市丸を見た。
「君達がそんなに仲良しだったなんて、知らなかったよ」
「別に仲良しじゃ、」
「まあ、ええですやん、仲良しでも、仲良しでなくても。それより五番隊長さん、」
 日番谷と藍染の間にすうっと入って、市丸はいつもの笑いを浮かべたままで、
「…邪魔せんといてくれはります?」
 静かな声だけに、びんと響いた。
 瞬時に高まった緊張感に驚いて、日番谷は息を飲み、二人を見比べた。
 藍染は市丸の言葉に少し顔をしかめてから、日番谷を手招きしてそばに来させると、小さな声で、
「…大丈夫かい、日番谷くん?市丸と、何かあったのかい?」
「いや、別に…」
 心配するように聞かれて、汗が出てしまった。
 とんでもないところを見られてしまった。手を放してからで、本当によかった。いやまさか、手をつないでいたところも見られていたわけではないだろうな、と思って、チラリと藍染を見る。
 藍染の顔からそれは読み取れなくて、猛烈に恥ずかしくなってきて、日番谷は思わずその場から逃げたくなった。
「何話してますの?」
 市丸がまた二人のところへ来て、日番谷の肩に、そっと手を置いた。
「今は十番隊長さん、ボクと話があってここ来てますんよ?後から来て連れてってまうんは、ナシにしてくれます?」
 柔らかな口調なのに、断固とした響きがあった。
 藍染は少し気を悪くしたように市丸を見てから、日番谷の顔を見て、大丈夫かと目で聞いてきた。
「いや、ええと、…そうなんだ。ちょっと市丸と、話があって」
「斬魄刀を持ってかい?」
 鋭いところを突いて来る。
「いやこれは、ついでにそこらの警備もして行こうかと」
 なんとも苦しい言い訳だが、説明のしようもない。
 決まり悪く言うと、藍染はじっと日番谷を見てから、そうか、と言った。
「ならいいけど」
 まだ心配そうに言うが、藍染はおそらく日番谷を信頼して、静かにその場を立ち去った。
 自分の何かがそうさせるのか、それとも相手が市丸だからなのか、周りの者がやたらと心配してくれると、自分でも心配になってくる。
 そんなに自分達は、心配したくなるような有様なのだろうか。
 舌打ちしたくなるのをこらえて、藍染の姿が完全に消えると、日番谷は眉根を寄せて市丸を振り返った。
「おいテメエ、何だよあの態度。藍染にケンカ売るつもりだったのか?」
 軽く脚を蹴ってやりながら言うと、市丸は痛がる素振りもせず、
「ボクあのおっさん好きやないねん」
「ああ?!お前、五番隊の副隊長だったんじゃねえのかよ?」
「関係あらへんよ。だいたい、霊圧消して近寄るなんて、感じ悪いと思わへん?ええとこやったのに、馬に蹴られて死んでまえばええのにね?」
 本気で気を悪くしているような市丸のそんな態度は初めてで、日番谷は少なからず驚いたが、本来の目的も思い出した。
 この流れで言うのも可哀相な気もするが、ここであまりフォローを入れるより、この際一気にケリをつけてしまった方がいいかもしれない。
「…市丸」
 日番谷は改めて市丸に向き直ると、
「悪い。俺、お前の誕生日に俺をプレゼントしてやることは、できそうもねえ」
 思い切って言うと、市丸は表情も変えずに、じっと日番谷を見た。
「…まだ誕生日やないですよ?そない早う答え急がんでも」
「てゆうかそもそもあの二者択一は、飲めねえから。一方的すぎるし、納得いかねえ」
「納得いきませんか?ボクのことが嫌いなら、良ェ条件やと思いますけど」
「別に…、だって、お前は松本と幼馴染なんだし、普通に顔合わせるくらいは…」
「『ええお友達でいましょう』いうやつ?やめてや、そんなの」
 日番谷の言葉の途中からかぶせて、市丸が鋭く言った。
 思わぬその鋭さに日番谷はビクッとして言葉を失い、一瞬沈黙が落ちる。
 急に落ちたその沈黙で、今まで遠くで聞こえていた風に揺れる木の葉の静かな音が、突然すぐ近くで聞こえるように感じた。
 慣れないこんな場面でどうしたらいいかわからなくなり、途方に暮れて市丸を見ると、市丸は少し切なそうに笑って、十番隊長さんは、中身は大人でも、やっぱり身体は子供なんやねえ、とひっそりと言った。
「なんだと?」
「あのね日番谷はん、大人の男は、好きな子と一緒におって、いつまでも理性的ではおられへんねんよ?」
「…」
「日番谷はんの小さな肩とか、柔らかい唇とか、すべすべやったお肌とか、毎日夢に見てまうんよ。毎日や。忘れられへん」
 市丸の言葉に、日番谷の頬がカッと熱くなった。
 自分にも覚えがあったからだ。
 市丸も同じと聞いて、不本意にも動悸が速くなってしまった。
「せやのに何もできんと、いつまでも隣におれると思いますの?それは、無理なお話や。いつかキミのこと、襲ってまうよ?」
「…だったらやっぱり、お前の都合だけじゃねえか。お前の気持ちを押し付けてくるばっかりで、俺の気持ちなんて、お構いなしだ。付き合い切れねえよ」
 日番谷が言うと、市丸の表情が、急にすうっとなくなった。
「…ホンマにそう思ってはりますの?」
「…市丸?」
「…悲しいなぁ」
 静かに言って、これまでずっと自分に向けられていた視線が、すうっと離された。
 それだけで胸の奥が、きゅうっと苦しくなった。
 市丸はそのまま何かを思い切るように黙って遠くを見ていたが、
「…残念や」
 ぽつんと言って、ふわりと踵を返し、そのまま静かに立ち去ってゆく。
 その後ろ姿を見て、日番谷は思わず呼び止めようとして、慌てて言葉を飲み込んだ。
 望んだはずだ。
 あのしつこかった市丸が、ようやく諦めてくれようとしているのだ。
 あまりにあっけなく。
 本当に悲しそうにするくせに、いとも簡単に背を向けて。
 心にどんどん、穴が開いてゆくようだった。
「…他に、どうすりゃいいってンだよ…」
 日番谷は無意識に、チッと舌を打った。