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大福−2

 
 日番谷は最初、市丸と松本は付き合っていると思っていた。
 それなのに自分に好きだと言ってきた市丸に猛烈に腹が立って、ことごとく拒絶してきたのだ。
(まさか…付き合ってなかったとは…)
 ようやく松本も所用ででかけてひとりになると、日番谷はぐったりと机に倒れた。
 ただでさえ隊長に就任したばかりで忙しく、考えないといけないこと、しないといけないことが山積みなのに、こんな色恋沙汰に巻き込まれてしまうとは。
 男で、しかも身体はまだ大人になりきっていない自分に本気で告白してくる市丸も市丸だが、松本も、どうして女はこういう話がそんなに好きなのだろうと頭が痛くなってくる。
 日に日にエスカレートしてくる市丸の求愛を、それなりにブロックしてくれるのはありがたいのだが。
 はあ、と自然にタメ息が出た。
 これまでストイックに生きてきたから、こういうことは苦手だった。
 市丸のことは最初は嫌いだったが、次第に、それほど悪いヤツではないと思うようになってきていた。
 だからといって急に身体の関係ありの恋人同士になりたいと言われても、答えられるわけはないのだが。
 いや、その段階までまだ到達していないというべきか…。
 初めて市丸にキスをされた時は頭を殴られたくらいショックで、猛烈に頭にきたが、…その後時々、…夢に出てきた。
 後ろから市丸がいきなり抱き締めてきて、すっぽりとその胸の中に抱き込まれ、痺れるほどに甘く優しい声で、名前を呼ばれる。
 一度捕まってしまうと、どんなに暴れても、その腕からは逃れられない。
 その時々によってそのあたりで終わったりその先までいったりするが、流れはだいたい、同じだった。
 やがて市丸の顔が近付いてきて、顎をとられ、唇を重ねられる。
 優しく吸い上げてから一度離し、日番谷の反応を確かめてから、もう一度、今度は深く合わせられる。
 この先までいくのは稀ではあるが、その後市丸はその長い指を日番谷の着物の合わせ目に差し入れてきて、味わうように肌を滑り、やがてその指先が一番敏感な突起を捉え…
(うわあああああ!何考えてんだ、オレ!!!)
 とうとう白昼夢まで見てしまい、日番谷は恐ろしさに、大きく肩で息をしながら、ブルリと震えた。
 夢の内容は、全て実際に市丸のしたことだった。
 だからそれ以上は、決して進まない。
 未知の世界すぎて、日番谷の想像力では、その先を補うことはできないからだ。
 実際にはあれはどう考えても無理矢理な痴漢行為だったのに、夢でみると、まるで恋人同士の行為みたいに、エロチックだ。
 夢の中の市丸がその続きを始めたら、自分にはとても拒めそうもない。
 ――――もちろん、夢の中の話だが。
(そうそう好きなようにされて、たまるか)
 現実には、今日番谷は市丸に、告白の色よい返事を求められているところだった。
 松本に言ったとおり、日番谷は断ったつもりなのだが、市丸には断られたつもりは、全くないようだった。
 9月の10日が彼の誕生日だから、その時に答えをくれ、OKならプレゼントに日番谷をくれ、NOならもう日番谷の前に顔を出さないと、とんでもないことを言って去って行った。
(真ん中はないのか、真ん中は)
 公平な条件に見せて、その実市丸に都合のよい話になっている。
 そんな話に乗ってやるつもりなどないから、当日市丸が答えを求めてきたらそう言ってやるつもりだったが、
(…そしたら本当に、…もう顔見せないつもりかな?)
 いつもいつも何の用事もないのに十番隊舎へ遊びに来ては仕事の邪魔をし、ひどい時はセクハラをして帰ってゆく市丸だったから、来なくなったらせいせいするはずだ。
 だが市丸の方から来なくなったら、三番隊と十番隊に特別接点もなく、何か任務で一緒にでもならない限り、本当に彼とは顔も合わせなくなるだろう。
 それは少しばかり、…淋しい…、気がした。
 それこそ市丸の思う壺だとわかっていても、だったらどうしたらいいのか、日番谷には全くわからなかった。
(だいたい、さっきのアレは一体何なんだよ)
 市丸があんな風に帰ったのは、初めてだった。
 本当に浮竹の菓子を食べたことくらいで、怒ったのだろうか。
 それとも市丸の前で浮竹に菓子をもらった話をしたことが、気に入らなかったのだろうか。
(どっちにしろ、どうでもいいけど)
 こんなことくらいでエネルギーを消耗してしまうのは、本当にバカげている。
 いっそ本当に来なくなったら…きっともっと仕事にうちこめて、悩みもなくなって、おかしな夢もみなくなって、気分爽快になるに違いない。
 だからもう市丸のことなど考えるのはやめよう。悩むだけ絶対に、無駄に決まっているから。
 日番谷は身体を起こすと、キリリと背筋を伸ばした。



 十三番隊の隊首室に日番谷がやって来て、浮竹はウキウキとお茶とお菓子を出した。
「…純粋な剣技の会として、隊員全員参加は場所と仕事の都合で無理だから、それぞれ選抜隊員十名と、希望者四十名ほどを募って、十番隊員と十三番隊員をそれぞれ一名ずつ順に出して一本勝負の後…」
 言いながら浮竹は、チラリと日番谷を見た。
 眉間にシワがよっているのはいつものことであるが、今日の彼にはそれに加えて、そこはかとなく憂いのようなものが漂っていた。
 ぼんやりしているわけでもなく、いつものようにそつのない応対でしゃんとしているのだが、その様子を見ていて浮竹は、何か悩みでもあるのではないかと思った。
 日番谷に悩みの種など、尽きないだろう。
 隊長で何も憂いのない者の方がいるのだろうかとも思う。
 それだけ重圧もあり、責任も多く、大変な仕事だからだ。
 特に日番谷はまだ隊長になったばかりだし、年も若すぎるということで反感も買いがちだ。だが彼の能力では重荷すぎるということもないだろうと浮竹は思っていた。
「そういえば」
 話がひと段落したところで、浮竹は思い出して振ってみた。
「最近三番隊の市丸隊長と仲がいいらしいね?」
 それについては色々な噂がさりげなく耳に入っていたが、とりあえずはその辺りには触れないように、浮竹は言った。
 その名前を聞いて、日番谷の眉がぎゅっと上がった。
「別に、仲良しじゃない」
 きっぱりと、さも不快げに言い放つ。
「…じゃあ、もしかして、迷惑してるのかな?」
 遠慮がちに言ってみたら、睨まれた。
「そんな心配そうな顔しなくても、オレは嫌なことは嫌だと言えるから、大丈夫だ」
 別に日番谷のことを、市丸に対して対等に渡り合えないと心配しているわけではなかったのだが、言い方が悪かったのか、プライドに障ってしまったらしい。
 もちろん能力的には負けていないと思うが、絶対的な経験の差はどうしようもないことだし、何にしろ真っ直ぐな日番谷に対し、市丸は彼の真実さえどっちを向いているのかわからないような男なので、全く心配しないではいられないことも、仕方がない。
 例えば日番谷は、信頼している相手が自分にウソをつくなど、理性で理解できても、本当の意味では決して理解することはないだろう。それは彼自身が、信頼している相手にウソをつくことを決してしない男だからだ。もちろんウソをつくことで相手を守る必要がある場合などは別だが、その点市丸は、いともたやすくそれをするだろう。
 そういった資質の差は、それだけで浮竹を心配にさせる。
 こうして日番谷が、強くあろうそれを他に認めさせようとすればするほど、実際に彼が強いからこそ、年若くして強すぎるからこそ、とても危なく見えて仕方がないのだ。
 日番谷がそれこそを嫌がっていることも、わかっているのだが。
「うん、そうだね。それはわかっているけど、…人の好き、嫌いという感情は、侮れないからね。特に誰かにどうしようもなく好かれるということは、どうしようもなく嫌われるよりも厄介なことがある。…君の大切な時間とエネルギーがそんなことに奪われるようなことになってはいけないからね。そうでなくても君にはやるべきことややらないといけないことがたくさんあるんだから…」
 浮竹の言葉に日番谷の目が曇り、いつでもまっすぐ向けられてきた視線が、フッと外された。
「どっちにしろ、オレの問題だから」
「淋しいことを言わないでくれよ。俺じゃあ役不足ってことかい?」
「…そういうわけじゃ…」
 日番谷は年若いことから、生意気だなどと言って良く思わない者もいるようだったが、一方ではそのひととなりや能力、見た目の魅力から、人気もあった。
 だから本当は、こういう問題も今に始まったことではないだろう。
 それでも市丸は。
(どうも、面倒な相手に惚れられたようだね)
 相手が彼でさえなかったら、ここまで心配もしなかったかもしれない。
 あれはいつだったろう、調べ物があって書蔵庫の方へ向かう途中、日番谷が雛森と中庭で話しているところを見かけた。
 なんとも可愛いツーショットだったから、つい嬉しくて、そのまま立ち止まって建物の陰からふたりの様子を見ていた。
 日番谷はいつものようにクールで、雛森がひとりで楽しそうに高く笑ったり、からかわれて怒ったりしている。
 太陽の光と庭の緑の葉がとてもよく似合う二人で、そのまま二人が今にも池の周りを駆け回り始めるのではないかと思うほど、微笑ましくて健康的な空気に、心が洗われるような気持ちになった。
「可愛えですなあ、十番隊長さんは」
 不意に後ろから声をかけられて振り向くと、三番隊長の市丸が、にこにこして立っていた。
「十三番隊長さんも、十番隊長さんのファンですの?」
 遠くから二人を見ているのに、市丸が最初から日番谷一人のことだけを話していることには、ほんわりとした口調で世間話のように話してくるから、すぐには気付かなかった。
「いやあ、微笑ましい光景だなあと思ってね。なんだい、市丸隊長も、日番谷隊長のファンなのかい?」
 ファンという言葉に少し照れて浮竹が答えると、市丸は更に深く笑っただけでそれには答えず、
「ほんま十番隊長さんは、五番副隊長さんの前では、ええ顔しはりますねぇ」
「幼馴染だそうだからね。本当にお似合いの、可愛い二人だね。見ているだけで、幸せな気分になってしまうなあ」
「十三番隊長さん、ストーカーは犯罪ですよ?」
「ストーカーなんてひどいなあ。俺は…」
 言いかけたところでゾクッと殺気のようなものを感じて、浮竹はバッと振り向いた。
 市丸がいつものようににこにこ立っているだけで、他に誰もいない。
 市丸からは殺気も何も感じなかったが、他の者からの殺気なら市丸も感じたはずだから、こんな平然とはしていまい。
「どないしはりました?」
「いや…」
 気のせいなどではない。殺気というのが言い過ぎなら、憎悪とか敵意、そういうものだ。
 その意味がわからずに浮竹がまじまじと市丸を見ると、
「十番隊長さんは、アレはあかんね」
 浮竹の視線など全く意に介した様子もなく、市丸は日番谷と雛森の方を見たままで、
「あれじゃあ、自分の弱点ココです言うてるみたいなもんやね」
「!君は一体…」
「あ、いややなあ。何もせえへんよ?ほんの冗談ですわ。幼馴染が大切なのは、ボクかてわかりますもん。ほな、人待たせてますんで、ボクはこれで」
 不穏な空気は跡形もなく消し去り、市丸はふわりと立ち去った。
 狐につままれたような気分のまま、正体のわからぬ不安に浮竹が立ち去り難くその場にいると、
「あれ、また十番隊長さんを覗き見してるのかい?好きだねえ、君も」
「春水!」
 がばっと後ろから肩を抱かれて、浮竹は驚いて飛び上がりそうになった。
「そんなに驚かなくてもいいだろう?…ははぁ、さては後ろめたいこと考えてたなあ?ダメだぞう、日番谷君は、小さくても男の子なんだから。雛森くんも、やめておいた方がいいと思うなあ。日番谷くんに、嫌われちゃうぞ〜」
「ち、違うぞ春水!俺はただ、微笑ましく見ていただけだ!」
 慌てて浮竹が否定すると、京楽は何かを感じ取ったように顔を上げ、
「…誰か今、ここにいたかい?」
「え?ああ、市丸隊長が…」
 その名を聞いて、京楽は得心したように頷いた。
「ああ、そういうことね。最近彼、入れ込んでいるようだからね。ああいう光景、面白くないかもしれないねえ。それともお前さんがデレッと見てるから、敵と思われたかもしれないな」
「…どういうことだ?入れ込んでいる?敵?」
 どうやら京楽は、薄く残った先ほどの殺気を鋭く感じ取ったらしい。
 だとしたらやはりあれは市丸のものだったのかと思うが、京楽の言っていることも、よくわからなかった。
「知らないのかい?市丸隊長は、このところ日番谷隊長にご執心らしいよ?あの彼が珍しく、せっせと十番隊に通いつめているって聞くからねえ」
「ええっ、市丸隊長が、日番谷隊長を?ご執心って、どういう…」
「さあねえ、どこまでどう本気なのやら。俺には全く理解できないからねえ、日番谷くんは、男の子なのにねえ」
 耳を疑う言葉だったが、それで全て納得がいった。
 浮竹はあまりの驚きにしばらく口も聞けなかったが、
「…それで、日番谷隊長は、どう?」
「どうもないさ。今のところね」
 それ以来、日番谷と市丸の様子は、それとなく見、それとなく情報を集めてみた。
 その結果、京楽の言ったことは本当だったとわかって、愕然とした。
 心配ではあったが、日番谷がしっかりと守り切っているなら、助けが必要ないと言うなら、自分の出る幕はないのかもしれない。
「…まあ、それはそれとしても、また時間があったら、ぜひ十三番隊舎へおいで。細かい打ち合わせも進めないといけないし、君が来てくれるのを、楽しみにしているから」
 浮竹がにっこりと微笑むと、日番谷もようやく、素直にわかったと頷いた。