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大福−1

 浮竹が十番隊舎のそばを通りかかった時、丁度向こうから、日番谷が木刀を持って歩いてくるのが見えた。
 どうやら稽古帰りらしく、若々しいエネルギーに溢れている。
 その身体には大きすぎる木刀も、彼が持つと全くそれを感じさせず、身体の一部のように見えた。
 あのくらいの少年の稽古に汗を流した姿というのは、なんとも清清しくて、見ていて気持ちが良い。
「おおい、日番谷くん、日番谷くん!」
「浮竹」
 嬉しくなって手を振ると、日番谷も軽く手を上げて、こちらへ歩いてきた。
「稽古帰りかい?」
「ああ。たまには隊員の稽古も見てやらないとな」
 日番谷の剣技は相当なものだときく。
 その稽古の様子を、一度見せてもらいたいものだと思う。
 自分の何倍もあるような屈強な男達を、身体の大きさの差など全く感じさせない圧倒的な強さで倒してゆく様子は、さぞや素晴しいものだろう。
 まるで自分の子供のように、浮竹は誇らしい気分になった。
「そうだ、稽古帰りなら、おなかすいただろう?今日はね、とっておきの良いものがあるんだよ」
 ふふふと笑って袖の下から新入荷のお菓子を取り出すと、日番谷の小さな手をとって、渡した。
「浮竹〜、またお前、こんなものを」
「いいから、いいから。現世のお菓子だよ。帰ってゆっくり食べなさい」
 ついでに頭もなでなでしたいところだったが、小さいけれど隊長さんなので、浮竹はぐっと我慢した。
「ちゃんとお風呂に入って汗を流すんだよ。そのまま長くいちゃダメだよ?」
「わかってるよ、子供じゃねえんだから!」
「ああ、ゴメンゴメン、つい、心配で」
 どうにも世話を焼きたくなってしまうのだが、浮竹は笑って、引いた。
「今度、稽古を見せてもらってもいいかな?」
「あ?いいけど。じゃあ、十三番隊と十番隊で合同稽古でもするか?」
「それはいい案だね!」
「じゃあ、今度また十三番隊に打ち合わせに行くから」
「ああ、楽しみに待っているよ」
 お菓子もたくさん用意して。
 今から本当に楽しくなって、浮竹は満面の笑顔で日番谷と別れた。



 日番谷が稽古から帰ってくると、ほんのり湯上りのいい匂いがした。
 稽古後の汗を流してきたのだろう。それでも髪のセットは、ビシッとキメていた。
 まずいわね、と松本が思った時には、もう遅かった。
「日番谷は〜ん、待ってましたで〜。なんやええ匂いやね〜、お風呂入りはったん?」
 さっきまでソファでダラリとしていた市丸が、風のように松本の脇をすり抜けて、ドアのところにブッ飛んでいった。
「ああ、稽古の汗を流してきた」
「そうやったんや〜!乱菊、教えてくれへんもん、知っとったら背中くらい、流させてもらいましたのに〜!」
 日番谷の目が一瞬松本に向けられて、それは間違いなく、ありがとうと言っていた。
 松本も軽くウインクをして答えてから、素知らぬ顔をしてお茶を入れに立った。
 市丸と日番谷は今、とても微妙な関係を保っていた。
 日番谷が十番隊隊長に就任してからじきに、市丸は日番谷を追いかけ始めた。
 それがただの訪問であった最初の頃、とても迷惑そうにそれから逃げ回っていた日番谷だったが、ここ最近それはよりセクハラチックになったにも関わらず、なぜか訪問そのものは避けなくなった。
 どんどん露骨になってくる市丸の求愛は手厳しく撥ね付け続けているが、最初の頃に比べたら、それでも多少は仲が良くなってきているようにも見える。
 よくもまああれだけけんもほろろにされて、懲りずに毎日アプローチをしてくるものだと市丸に感心しているが、それでも本人がいない時、時々日番谷は松本に市丸のことをさりげなく聞いてきたりするので、全く脈がなさそうでもない様子だ。
 市丸の恋の行方はとてもとても気になるが、とりあえず現段階での痴漢行為は、阻止しないといけない。
 お茶を持って戻ると、自分の椅子に座っている日番谷に、市丸が無理矢理抱きついていた。
「日番谷はん、ええ匂いや〜、すべすべしっとりお肌や〜♪」
「は〜な〜せ〜、変態〜っ!」
「何やってんのよ、ギンッ!」
 松本が怒鳴ると、さすがの市丸も、ぱっと離れた。
「何って、仲良しさんのスキンシップやん〜。乱チャン、そないな顔すると、綺麗な顔がダイナシやで〜?」
「日番谷隊長、嫌がってるでしょ!湯上りくらいで、そこまで理性飛ばさないでよっ!」
「ええっ、何言うてるの?!湯上りやで?!理性飛ばさん男がいるかいな!」
「バカなこと言ってねえで、とにかくあっち行け!」
 マジな顔で言った市丸の尻を、日番谷が後ろから蹴り飛ばした。
「みんなして、酷いわぁ〜」
 言いながらも部屋を去らず、堂々とソファに座るところが市丸のすごいところだ。
 しかもそこでおとなしくしていたのも三秒くらいで、
「日番谷はん、稽古してきはったばかりですやろ?そない早速仕事戻らんでも、もう少しこっちのソファでゆっくりしはったらどうですの?」
「オレはここでいい」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ」
「ヤなこった」
 日番谷のそばに行きたくて仕方がないのだろう。市丸は少し腰を浮かせかかったが、松本がジロリと睨むと、また腰を下ろした。
 こうして市丸が遊びに来ると、最初はピリピリしていた日番谷だったが、今では全く平気な顔で、軽く無視して仕事を始めている。
 そういえば、日番谷は市丸に、あっち行けとは言ったが、帰れとは言っていない。
(…何かあったのかしらね、ふたりの間に。このところ、ギンの図々しさにも拍車がかかっているし)
 まさか、もう出来上がってしまったということはないだろうが、これはそろそろ、どちらかにそれとなく聞いてみるべきかもしれない。
 松本がそんなことを考えていると、日番谷が珍しく筆を止め、
「さすがにちょっと腹減ったな。松本…、お前もよかったら少し休憩して、もらった菓子でも食えよ」
「あ、浮竹隊長のですか?」
「ああ。オレはまた今日もらったから、それを食う」
 その会話に、当然市丸が敏感に反応した。
「浮竹のおっさんに何もろたの?」
「お菓子いっぱいもらうんですよね〜?うちの隊長、みんなに愛されちゃってるからvvギンも食べる?」
 あまり嬉しそうでもない顔をして答えない日番谷の代わりに、松本が嬉しそうに答えて棚からもらったお菓子を取り出すと、市丸はチラリとだけ見て、フーン、と気のない返事をした。
 普段お菓子はあまり食べない日番谷だったが、よほどお腹が空いたのだろうか。今日もらったというお菓子の箱を無造作に開け、一本取り出して、口に運んだ。
「あ、そのポッキー何味ですか?見たことないパッケージですね?」
「ん〜?知らん」
「あっ、コレ最近発売された、季節限定のヤツですね?浮竹隊長、よく手に入れましたね?」
「ンな珍しいモンなのか?」
 ポリポリかじりながら、日番谷がポッキーのパッケージに目を落とした時だった。
 今まで何も言わなかった市丸がカッと開眼し、ものすごい形相で日番谷を見た。
「な、なんだ、どうした、市丸…?お前も欲しいのか?」
 さすがの日番谷もびっくりして聞くと、市丸はそれには答えず、
「ボク、ちょっと用事思い出しましたわ。…今日のとこはここらでおいとまさせていただきます」
「ちょっと、ギン?」
 いつもは追い出さないとなかなか帰らない市丸が、言うなりさっと立ち上がり、さっさと部屋を出て行った。
「…なんだ、アレ?」
「う〜ん、なんでしょう。日番谷隊長が浮竹隊長のお菓子をおいしそうに食べたから、拗ねちゃったんじゃないですか?」
「それくらいで?」
「だって隊長、市丸隊長のお菓子はあまり食べなかったじゃないですか」
「昔の話だろ、それ」
 そう言われると少し気が咎めたのか、日番谷は困ったような顔をした。
「最近は差し入れの菓子もちゃんと食ってるし、一応、来たら相手もしてやってるし。ちょっと浮竹の菓子を食ったくらいで、怒られる筋合いはねえぞ」
「隊長」
 話の流れから、聞いてみるチャンスだと思った。
 日番谷が、なんだという顔で松本を見上げる。
「市丸隊長と、付き合ってるんですか?」
「ぶはっっ、ななな、何言ってんだお前、んな、んなワケねえだろっ!!」
 予想以上の激しい反応に、松本は驚いた。
 必死で否定するその顔は、真っ赤だ。
 そんな日番谷を見るのは、初めてだった。雛森とのことをからかった時だって、それほどまでの反応はしなかった。
「えっ、隊長、付き合ってるんですかっ?!」
「いやだから、付き合ってねえって言ってるだろっ!」
「だって隊長、真っ赤ですよ?」
「いやその、こ、これは、」
「ギンと何かあったんですね?襲われちゃったんですかっ?!」
「違うっ!」
「じゃあ、唇奪われちゃったとか?」
「あ、うう、それは、」
「ええーっ!!奪われちゃったんですかーっ!?油断も隙もないわね、あのエロギツネッ!まさか隊長、キスしたら付き合わないといけないとか、騙されてないですか?大丈夫ですか?!」
「いや、さすがにそれは、…わかるから」
 ウソのつけない日番谷は、松本の勢いに押されてうっかりバラしてしまい、落ち込んだように机に突っ伏している。
「で、日番谷隊長」
 ここまで聞いたら、最後まで確認しないと、気が済まなかった。
 松本は容赦なく日番谷に詰め寄ると、
「隊長は市丸隊長のこと、どう思ってらっしゃるんですか?好きなんですか?」
「だ、誰がだ!ありえねえだろっ!」
 またも目を剥いて即答するが、さっきよりも激しく顔が赤い。
(えええええええ、本当に有り得ない〜〜〜!!)
 その反応に松本の方がショックを受けて、よろめいた。
 どうりで市丸があんなに図々しく、平気でセクハラをしてくるわけだ。
(一体どんな手使ったのよ、あんまり調子に乗ると、本当に犯罪だからね、ギン!)
 ソッチ方向では大人の市丸に勝てるとも思えない日番谷を心配すると同時に、意外や意外の展開だけに、ちょっとばかりワクワクしないでもない。
 本気で二人が好き合っているなら応援しないでもないが、市丸の恋があまり順調にいくのもムカつくので、引き続き邪魔してやろうと松本は思った。
「松本」
 そんな気持ちが、顔に出たのだろうか。
 気がついたらいつの間にか復活していた日番谷が、まだほんのり頬が赤いながらも、コホンと咳払いをして、
「今ちょっと、オレも動揺してみっともない反応を見せちまったが、本気で市丸とは何もないし、今後も何もならないから」
「え、そうなんですか?でも、唇奪われちゃったんでしょ?」
「う、それは…いや、もう二度とそんな隙は見せないから、大丈夫だ」
「好きって言われたんでしょう?告白されたんですよね?」
「…なんで知ってんだ、お前っ?」
「女の勘です。やっぱりそうなんですね〜?で、なんて答えたんですか?」
「答え…」
 またしても日番谷の頬が、カアーッと赤くなる。
「…てない。…イヤ、断った」
「ええーっ?」
「もう、いいだろ、とにかく何もないんだから!」
 とうとうキレかかった日番谷に、松本はおとなしく、はあ〜いと答えて引き下がった。