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初めてのバレンタイン−3

  ところで市丸の方は、もちろんそんなことは何も知らず、うっとうしいチョコ攻撃から逃げて、のんきに散歩などをしていた。
 日番谷がバレンタインなとどいう行事を知っているとは思ってもいないし、ましてや市丸にチョコを贈るなどありえない。バレンタインにかこつけて、何も知らない日番谷に自分に都合のいいウソ八百を教え込んでイイ思いをする方法はないかな〜、くらいはぼんやりと考えていた。
(せやけど、乱菊が何吹き込んどるかわからんから、ヘタなことはできへんな〜)
 とりあえずはなんとか日番谷をお持ち帰りし、彼の知識に合わせて作戦を選ばないといけない。
@日番谷が本当に全く何も知らなかった場合
A完全に知識があり、普通に知っていた場合
B松本によって、中途半端に知っていた場合
 などと楽しく考えながら、市丸は業務が終わりになる夕方頃、ようやくふらりと十番隊へ向かった。
「十番隊長さん、いてはる〜?」
 いつものごとく名乗りもせずにスラリと戸を開け、にこりと笑いながら中の様子を覗いた。
 松本はいなくて、日番谷がひとりだけいてくれるといいな、とは思ったが、ごく普通に二人揃っていて、ふたりともいつものごとく、ごくクールに一瞥を向けてきたが、
「よう、市丸。よく来たな」
 珍しく日番谷が、ニヤリと笑ってそんなことを言った。
「あれ、待っててくれはったん?嬉しいわあ」
 いそいそと近付こうとすると、日番谷の手が机の下から何かを取り出した。
 それはひと目でバレンタインチョコとわかる、それもかなり豪華な包みだった。
「え、ウソ!」
 思わず驚きに開眼した市丸の目の前で、日番谷はその包みを無造作に、だが手首にスナップを効かせて勢いよく、市丸の進行方向とはまるで別な方向に放り投げた。
「これ、やる」
「あ、あ〜っ!」
 予想もしていなかったデラックスな包みが宙を飛んでいくのを、市丸の目がコマ送りのようにハッキリと捉えた。
 絶対に、チョコ。それもかなり気合が入っている。
 そしてそれが何故か、まるで市丸を遠ざけるために投げられたかのように、見当違いな方向に飛んでゆく…。
 まるでフリスビーを投げられた犬のように、市丸は素早く向きを変えると、チョコレートに飛びついてナイスキャッチした。
「ひ、日番谷はん、こ、これ!」
 あんまりな渡され方だったが、これも日番谷の照れ隠しかもしれない。いや、渡され方などどうでもいい。渡されたことが大切なのだ。
「知らないのかお前?今日はバレンタインだぞ」
 得意そうに日番谷は、だが少し照れたように言った。
「そら知ってますよ!日番谷はんこそ、本当にわかってはるの?これ、どう見ても本命チョコの勢いですけど!」
「当たり前だ。その辺のと一緒にすんなよ?」
「もちろんですよ!それにボク、その辺もなにも、誰からのチョコも受け取ってへんし」
 その言葉に、日番谷はこの上なく満足そうな顔をした。…ように、見えた。
「俺からの本命チョコ、テメエ今、受け取ったな?」
「え?そらもう」
「言っとくけど、それは店で一番豪華なチョコだからな?カ、カードまで付いてんだからな?」
「カードですか!!」
 すごい勢いで市丸は食いついて、素早くリボンに挟んであるカードを取った。
(…こ、これは夢やろか…?開けたら『バカ』とか『ハズレ』とか『死ね』とか大きく書いてあったらどないしよう…)
 震える手でなんとか封を開け、そっとカードを取り出すと、確かに日番谷の字で、『市丸へ、日番谷』と書いてあった。
 たったそれだけだったが、市丸へ、という文字が乱れているところに、なんとなくこれを書いた時の日番谷の心情を推し量れて、胸が熱くなった。胸じゃないところも、熱くなりそうだった。
「ひ、日番谷はん…」
 その文字を舐めるように見ながら震える声で言うと、いることをすっかり忘れていた松本が、
「大事にしなさいよね、それ、文は素っ気ないけど、隊長の愛込め込めのカードなんだから」
「えっ!」
「松本!」
 それまで堂々としていた日番谷が、とたんに真っ赤になって松本に怒鳴った。
 松本は平然としたまま、
「隊長があの可愛い胸にぎゅって抱いて、あの可愛い唇でチュッてしたカードよ」
「ママママママジですか!!!」
「ななな、何サラリと寝言言ってンだ、松本ォ!!!ウ、ウソだからな、市丸、俺はそんなことしてねえからな!って市丸、テメエ何してやがるーッッ!!」
 これだけ動揺しているということは、本当なのだ。
 そんな鼻血ものの情報を聞いた市丸はもちろん、即座にそのカードに自分の唇を押し当てていた。
「あ、いや、このへんにチューしはったかな〜思て。このへんちゃう?裏にしはった?」
 言いながらそのあちこちに唇を落とし、日番谷の唇の跡を楽しむ。
「ヤメロ変態!あああもう、死ね!」
 ガンガン机を叩いて怒っているが、そんな様子も可愛くて仕方がない。
 市丸はそのカードを大切に胸の合わせ目にしまって、
「ウフフ、日番谷はんからの愛のカードが、今ボクの素肌の上に抱かれとるvvボクの胸にチューしてくれはっとるよvv」
「あああ、やっぱり返せ!マジ、頼む、返してくれ!」
 涙目で嫌がっているが、そういう顔があんまりかわいいから、つい言ってしまうのだ。
 さすがの松本も、『そこまでするとは』という変態を見るような目で見てきたが、そんなことはもちろん、気にしない。
「キミの気持ち、確かに受け取ったでー!」
 興奮のまま抱き締めようと突進したら、可愛い身体を抱くはずの腕はスカッと空振りし、まんまと逃げられた。
「あ、いや、喜んでもらえて良かったけど、キモいからそば来んな、いや、驚くから突進してくんな!」
 さりげにひどいことを言われたような気がしたが、こんなおいしい展開を逃すわけにはいかない。
「チョコレートおおきに、冬獅郎。こんな嬉しいもんもろたの初めてや。お返しせなあかんなぁ」
 お返しと言ったとたん、日番谷の目が輝いた。
「ああ、もちろんわかっているよな、それ、本命チョコだし、高かったんだからな!カードも付けたしな!」
 この辺でようやく、うっすらとわかってきた。
 本命チョコにはすごいお返しがくるとでも聞いたのだろう。カードをつけたら、更に効果が高くなるとか。
 松本が教えたのだろうから、こんなところだろう。
 それでももちろん、松本には大感謝だ。
「当たり前や〜、冬獅郎の愛、百倍にして返したるで!さ、そうと決まれば、早行こか。もう仕事終わりにしてもええ頃やろ?」
「えっ、行くって、どこに?」
 さっと警戒して、日番谷は伸ばされた市丸の手を不審げに見た。
「どこて、お返し買いに行くんや」
「お返し…は、ホワイトデーにするんだろ?一ヶ月後だぞ」
「ホワイトデーにお返しするんは、義理チョコに対してや。本命チョコには速攻お返事するで?」
「え、え?」
 有無を言わせず手を握って連れて行こうとすると、日番谷が松本の方へ確認するような目を向けた。
「…ま、そういうこともありますけど、市丸隊長、身体で返すのはナシですよ?」
「そんなケチくさいことせえへんよ。安心し、ええもん買うたるから」
「…いや、俺も一緒に行かなくても…。お前が勝手に用意して来いよ!」
 あくまで警戒して、日番谷が市丸の手を振りほどこうとしてくるが、
「別に変なとこ連れ込んだりせえへんて。キミがおらな買えん、ええもんあるんや」
 握った手にぎゅっと力を入れ直して、とびきりの笑顔を向けると、「ええから、おいで?」と優しく囁いた。