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開けたらあかん−5

市丸がこれほどまでに任務完了に意欲を燃やしたのは、初めてだった。
 今まではそれそのものをゆっくりと楽しむように、必要以上に急ぐということは、したことがなかった。
 帰って報告書を作成するなどのデスクワークなど大嫌いだったし、現世で時間を過ごすことは、好きだった。
 あくせく働く精霊廷での時間よりも、もっと自由で制約のない、つながれていない時間が好きだった。
 その間にも机の上に積まれていくだろう書類を思って副官が胃を痛めていても、市丸はいつも、ごくマイペースだった。
 それなのに。
 日番谷に会ってから、それは変わった。
 毎日にぱっと色が差し、彼のそばにいることこそが、意味のあることだと思った。
 だから、日番谷のいない現世になど、長くいる意味はない。
 早く早く帰ってあの可愛らしい顔を見て、可愛らしい身体を抱いて、可愛らしい声を聞きたい。
 自分と離れて、可愛いあの子は、淋しがってくれているだろうか。
 一瞬でも思い出してくれているだろうか。
 渡したあの箱は、開けてしまっただろうか。
 いや、約束したから、開けてはいまい。
 真面目で誠実で、決められたことは、きちんと守る子だから。
 でもきっと、開けたくてウズウズしているに違いない。
 市丸も最初に手に入れた時、難解なそれに、魅了された。
 結局すぐに、開けてしまったけれど。
 任務は結局、四日ほどで終わってしまった。
 勢いよく終わらせてしまったけれども、四日は早すぎるかな、と、少し市丸は思った。
 恋愛には駆け引きはつきものだ。
 淋しい思いをさせることも必要だし、焦らすことは、効果がある。
 少しばかり早く帰ってくることで喜ばせることはできるだろうが、予想以上に早く帰ると、却って軽んじられる。
(五日は、おらなあかんなあ)
 今すぐ飛んで帰りたいくらい落ち着かなくても、市丸は後片付けを先延ばしにし、ふらりと現世の街に足を伸ばした。
(あの子に何か、お土産買うてこう。あの子の興味引くような、珍しい、きれいなもんがええなあ)
 市丸、何これ、へえ、すげえ、と言われたい。
 あの可愛らしい目をまん丸にさせて、彼を魅了したい。
 仕事熱心な日番谷の気持ちを、少しでも自分に向けたい。自分なしでは日も夜も明けないくらい、夢中にさせたい。
 日番谷の可愛い顔を思い出しただけで、自然に市丸の頬が緩んだ。
 日番谷との出会いは、市丸の全てを変えた。
 あんなに可愛くて愛しいものがこの世にあるなんて、想像もできなかった。
 あんな小さな子の気を引くためにこんなに必死になるなんて、我ながらバカバカしくて、それがとても嬉しい。
 小さくても隊長になるだけあって、さすがに一筋縄ではいかないけれども、一歩一歩が幸せの階段のように思えた。
 今日は、振り向いてくれた。
 今日は、返事をしてくれた。
 今日は、いつもより長く話をしてくれた。
 そんな他愛ない一歩一歩を繰り返し、彼の隣に立ち、彼の手を握り、彼を抱き締めて、彼に口づけた。
 その度に市丸の中に日番谷が注ぎ込まれてゆき、空っぽだった市丸の心は、日番谷で満たされていった。
 可愛い、可愛い、可愛い、日番谷。
 考えていたら恋の駆け引きなどどうでもよくなってきて、今すぐ彼の元へ飛んで行きたくなった。
(…あかん。あまり追いかけすぎると、うっとうしがられてまう。あの子はクールで、冷静な子ぉやからなあ。何かするのに、何でも理由欲しがるしなあ)
 それが少し淋しかったけれど、そういうところもひっくるめて好きだったから、不満はなかった。
(いっそあの子とふたりで現世に遊びに来られたらええのになあ)
 ふたりきりで、隊長という立場からも解放されて、ただの恋人同士として過ごせたら、どんなに楽しく幸せだろうと思った。
(いや、マジで考えるで。絶対実現させたる)
 その時にどこを回って何をするか。
 そんな下見に余念がない市丸に、明日のこの時間まで自由にしてええで、と言われた部下達も、案外気ままな隊長の率いる隊に所属したことを、喜んでいるようだった。


 現世に発ってから、5日目の夕方。
 市丸率いる三番隊の現世出張メンバーは、首尾よく任務を終え、ちゃっかり一日現世を楽しんで、意気揚々と帰って来た。
 総隊長に報告に行き、隊舎に戻って簡単に机の上を片付けて、報告書を仕上げるのは後日にして、市丸はさっさと業務を終了した。
 大がかりな任務があった後は、だいたい休日にしてのんびりと過ごせる。
 特に今回はお楽しみの約束もあったから、何より日番谷に会うのが待ち遠しかった。
 もしかしたら日番谷は、勢いであんな約束をしたことを後悔しているかもしれないが、忘れてやるつもりなど、全くない。
 とにかく早く顔を見たくて十番隊に飛んで行ったが、珍しくそこはもう真っ暗で、誰もいなかった。
「あれ、珍しい。今日は定時で帰ってもうたんかな?」
 予定より大幅に早く帰ってきたから、日番谷はまだ知らないかもしれないし、知っていて逃げたのかもしれない。
 とるものもとりあえず会いに来た自分に、喜んでくれるのか嫌な顔をするのか、それも楽しみだったのに、いないなんて残念だ。
 各隊の予定はチラリと見たが、十番隊に何か大きな任務が入った様子もなかった。
 ならば、自室に引き上げたかと思ってのぞきにも行ったが、そこにもいないようだった。
(えーーー、どこに行ったんや、まさか、ボクのおらん間に雛森ちゃんと仲ようしとるとか、そないなことはあれへんよな?)
 藍染の顔など見たくなかったが、日番谷が一番行きそうなところといったら、五番隊だ。
 正式に顔を出すのは面倒だったのでこっそりのぞきに行ったが、そこにもいないようだった。
(なら、十三番隊か?)
 自分がいない間に一番日番谷に手を出していそうなのは、浮竹だ。
 腹立たしく走ってみたが、そこにもいる様子はなかった。
(えー、ウソや。あの子、どこ行ってもうたん?)
 その後、思いつく限りあちこち行ってみたが、どこにも日番谷はいなかった。
 誰かとどこかに食事にでも行ってしまっていたら、もう探しようもない。
 まさか定時で業務を終了するとは思っていなかったから、余裕をみすぎたかもしれない。もっと早くに戻ってきて、仕事を終える前に捕まえるべきだった。
(あー、失敗や。せっかく早う戻ってきたのに、なんやいきなり凹むわ〜)
 とはいえ、仕方がない。
 また明日、朝から十番隊に押し掛けてやろうと思いながら三番隊の自室に戻ると、市丸はあまりの驚きに、声もなく歩を止めた。
 まさか、予想もしていなかった。
 日番谷が、自分の部屋の前で、自分の帰りを待っているなんて。
 市丸の部屋の前の廊下で待ちくたびれたように座っていた日番谷は、市丸の顔を見ると、ぱっと頬を染めた。