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開けたらあかん−4
キリリと顔を引き締めて、何ごともなかったかのように仕事を済ませたが、日番谷はその後、自分が何をしたのか、半分覚えていなかった。
ようやく一日の業務を終え、部屋に戻ると、袋の中から箱を取り出し、机の上に置いて、じっと見た。
どうするのが一番いいのか、理性ではようくわかっていた。
あんな話を聞いてしまっては、心の奥でそれが気になってしまい、心底から大切にすることができない。
要するに、ケチがついてしまったということだ。
ならば市丸に正直に全部話して、こんなわけでこの外身を朽木に譲ってもよいかと聞くしかない。
いくら市丸でも、誠意をもって話せば、わかってくれるに違いない。
嫌味な男ではあるが、市丸の数少ない長所のひとつは、まずめったに怒らないことだ。
情緒が安定しているとか心が広いという表現をするには少し首を傾げるが、細かいことにこだわらないとか、物事にあまり動じないという表現なら、そうともいえる。
執着がない、と檜佐木は表現していた。
中身は大切だと言っていたが、箱だけなら。
日番谷だって喜んであげるわけではないということを、きちんと伝えれば。
理性ではそう思っていても、感情は正直だった。
純粋に、手放したくないと思っている。
(…だって、これは、市丸が…)
市丸が、くれたのだ。
自分にはあまり執着がないから、特に欲しくもないけれども、きれいだからあげたら誰かは喜ぶかもしれない。
そんな軽い気持ちで、周りの者に簡単に何でもあげてしまいそうな男だけれど。
それでも、市丸がくれたと思ったら、嬉しかった。
何を思って突然こんなものをくれたのかもさっぱりわからないし、開けてはいけないからくり箱などをもらって、どうして自分がこんなに嬉しいのかも、わからない。
でも。
一週間待ってくれ、と朽木に言った。
今は事情があって、答えることができないから。
朽木は黙って頷いて、持ってきた彼の箱を、再び丁寧に包みに戻した。
とてもとても大事そうに箱をみつめる朽木の目が、いっそう日番谷を苦しくさせた。
自分はこの箱を、あんな風に見ることはできない。
自分と市丸は、あんな関係ではない。
それがとても悲しいのに、箱を朽木に譲りたいと市丸に言ったら、市丸はなおいっそう自分から遠くに行ってしまいそうに感じた。
『きれいな箱やろう?』
何の重みもなく、ぽん、と渡された。
『中身は大切やからあげられへんけども、箱は、キミに、あげる』
箱はいらないから、キミにあげる。
そんな、ごく軽いニュアンスだった。
どんな言葉でもごく簡単に言ってしまえるから、市丸の言葉は、いつもごく軽いのだ。
『おいで』
大きな手が、すっと伸ばされる。
『こっちにおいで。ボクとおいで』
『キミはほんまに、可愛えなあ』
『もう、夢中やわ』
『好きやで、冬獅郎』
『もう、ボクのもんや…』
そんな言葉に、意味などない。
時間を埋めるためだけの言葉。
だって市丸はいつも、来たい時に来て、帰りたい時に帰る。
お前なんか消えてなくなれと言ったら、たぶん本当に、消えてなくなる。
ずっとここにいてと言っても、たぶん彼は、消えてなくなる。
そう言う勇気なんて、とてもないけれども。
はあ、と日番谷はタメ息をついた。
(存在するだけで、迷惑な奴だ)
いなくてもこんなに悩ませる。
市丸に、何と言えばいいのだろう。
箱を朽木にやりたいと言ったら、どんな反応をするのだろう。
怒っても、悲しんでも、平然としていても、日番谷は苦しい。
朽木が見せた箱への執着が、情熱が、愛情が、自分にも市丸にもなくて、とても敵わないから?
そこに込められた、吹けば飛ぶほどのささやかな気持ちは、きっと朽木の深い想いに弾き飛ばされて、塗り替えられて、どこかに行ってしまうから?
とてもささやかでとても勝てないのに、自分がすがれるのは、たったそれだけだという事実が悲しいから?
考えても、仕方がない。
市丸が帰ってきたら、正直に、誠実に、事情を説明するしかない。
彼はヤル気満々で帰ってくるから、せめてもの罪滅ぼしに、彼の望むように、彼が喜ぶように、精一杯、応えてやろう。
そうしたら彼は満足して、案外簡単に、許してくれるのではないかと思った。
物などあげても市丸はきっと喜ばないから、日番谷が何かを彼に与えられるといったら、それくらいのものだ。
それですら、彼にとっては、どれくらいのものかもわからないけれども。
この世に執着など、何もないように見える男だから。
朽木のあの想いに比べたら。
吹けば飛ぶような関係だから。
日番谷はもう一度タメ息をついて、もう考えるのはやめにした。
胸がもがれるように苦しくなったからではなく、そんなことを考えることそのものが、時間の無駄だと考えたからだった。
考えたからといって、何も変わらない。
求めたからといって、必ずしも与えられない。
何も生みはしないのに、狂おしいほどのこんな気持ちなど、えぐりとって捨ててしまいたい。