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開けたらあかん−3

慌てて振り返ると、さきほど檜佐木に渡されたアンケート用紙を持って、朽木白哉が立っていた。
「あっ…すまない、俺のだ…」
 箱に気を取られていたためか、アンケート用紙のことなど、すっかり忘れていた。
 朽木の方へ歩いてゆき、用紙を受取ろうと手を伸ばすと、
「…それは、兄のものか?少し見せてはくれぬか?」
 片手に持った箱をじっとみつめて、朽木が言った。
「…いいスけど」
 珍しいことを言うな、と思いながら渡すと、朽木は驚くほどの熱心さで、あちらこちらから箱を見た。
「開けても構わぬか?」
「あ、それは、ダメだ」
 即座に断ると、朽木が眉を寄せたので、日番谷は慌てて、自分で開けてみたいから、と言い訳をした。
 朽木は納得したように一度頷いて、じっと考えるようにしてから、
「この箱、譲ってもらえまいか」
「えっ」
「開けてみてからで構わぬ。そちらの求めるだけの金を払おう」
「いや、金払われても」
 突然の申し入れに、日番谷は慌てた。
「申し訳ないすけど、これは人にやるわけには」
「ならば、もっと豪華で上等な箱と交換ということではどうだ」
 思いがけぬ熱心さに、日番谷は一瞬ポカンとしたが、
「せっかくですけど、これ、大事なものなんで」
 大事な、なんて言うだけでも恥ずかしかったが、そうでも言わないと諦めてくれなさそうだったので仕方なく言うと、朽木はいっそう眉を寄せて日番谷を見てから、そうか、と短く答え、箱を返すと、くるりと踵を返して行ってしまった。
「…なんだったんだ、あれ…?」
 貴族の朽木があれほど言うくらい、値打のある箱なのだろうか。
 市丸が持っていたものだから、何でも有り得そうで、日番谷はもう一度箱を見て、眉をしかめた。
「…なんか、変ないわくのある箱なんじゃねえだろうな?」
 まさか、朽木家から盗んできたものだとか?開けることができた者に、三つの願が叶う箱だとか?
(いやいや、貴族の宝になるほどのモンじゃねえし、市丸も開けたみたいだしな?そんな夢物語みたいなこと、あるわけねえし)
 だがなんとなく、やっぱり市丸は何か理由があって開けるなと言ったのではないかと思えてきた。
 これから一週間、日番谷が市丸に会えない状況で、突然渡され、開けるなと言われたからくり箱。
 もしかしたら、任務の間、自分の代わりに守ってくれと言いたくて、日番谷に託していったのか…?
「あーもう、面倒なモン渡していきやがって、あの野郎!」
 市丸のために時間と頭を使うことに腹が立ってきて、日番谷は乱暴に箱を袋にしまうと、もう何も考えないことにして、十番隊に戻っていった。


 だが次の日、日番谷が所用から十番隊に戻ると、慌てたように松本が出迎えて、
「隊長、六番隊の朽木隊長が、貴賓室でお待ちです」
「なんだと!」
 朽木の用など、昨日のことしか思い付かない。
 まだ諦めていなかったのかと驚きながら、急いで貴賓室に行くと、まるで高貴な一輪の花のような凛としたオーラをまとった朽木が、背筋をピシリと伸ばして座っていた。
 松本や市丸が作り出す空気感とあまりに違うその様子に、日番谷も思わずピシリと背筋を伸ばして羽織を正し、
「待たせたようで、すまない。何か用だったか?」
 日番谷が声をかけると、朽木はすうっと目を上げて、
「こちらこそ、突然すまない。すぐに戻ると聞いたので、待たせてもらった」
「構わない。それより用とは…、昨日の箱のことか?」
 朽木の前に腰を下ろし、日番谷が早速聞くと、朽木は頷いて、もう一度あの箱を見せてはくれぬか、と言った。
「今持っておらぬなら、出直してくるが。それとも、もう少し待たせてもらってもよい」
「…いや、…持っている」
 色々文句を言いながらもしっかり持ち歩いている自分と、その事実をこうして朽木に知られた恥ずかしさに、日番谷は頬が熱くなる思いがした。
 朽木はもちろん、そんなことは気になどしていないだろうが。
 日番谷が腰に下げた袋から箱を取り出し、朽木に差し出すと、朽木は手にとって、もう一度じっくりと見た。
 その真剣で情熱的な眼差しに、ザワザワと胸騒ぎがしてくる。
 やがて朽木は箱を置くと、持って来ていたらしい、見るからに上等な包みを取り出した。
 日番谷の箱の隣に大切そうに置き、丁寧にゆっくりと、包みを開いてゆく。
「…!それは…」
 日番谷の反応を確認してから、朽木は頷いて、
「兄の箱と対になるものだ」
 それは、日番谷の持っている箱と同じ大きさ、同じ形、同じ細工の、柄の色の違う箱だった。
 日番谷の箱の柄は黒と朱色で、朽木の箱は黒と黄色だ。
「これは私の」
 日番谷の方に、ずいっとそれを差し出して、朽木は言った。
「亡くなった私の妻が、生涯探していたものだ」
 朽木の言葉に、差し出された箱を取り上げた日番谷の手が、ピタリと止まった。
「特別な宝ではないが、いつの間にか持っていて、ずっと大切にしていたと言っていた。それが、…生きてゆく中で、ふたつとも失ったと」
 まずい。
 この流れは、まずい。
 瞬時に全てを察して、日番谷は大声を出して耳を塞ぎ、聞きたくないとこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「どうにか、ひとつは彼女が生きている間にみつかった」
 だが日番谷は、ただ背筋をぴんと伸ばし、内心を読み取られぬよう表情を固めたまま、息を詰めることしか、できなかった。
「その時すでに病床にあった妻は、毎日大切に大切に眺めては、対になるもうひとつに想いを馳せているようだった」
 ぎゅうっと胸が押しつぶされるように苦しくなったが、やはり日番谷は、身動ぎもせず、まっすぐに朽木をみつめて座っていた。
「できることなら、私は彼女の望みを叶えてやりたいと思い、妻が亡くなってからも、ずっと探していたのだ」
 日番谷はそっと息を吐き、一瞬目を閉じて、開いた。
「無理を承知で頼みに来たのだ。兄の望む形で礼をするつもりだ」
 市丸の顔が、浮かんで、消えた。
「その箱、私に譲ってはくれぬか」
 膝の上の手を、日番谷はぎゅっと握って、緩めた。