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開けたらあかん−2

 それから市丸のいない平和な毎日が始まったが、日番谷は不満だった。
 市丸がいない淋しささえふっ飛ぶくらい、箱が気になって仕方がないからだ。
 からくり箱などと言われたら、開けてみたいに決まっている。
 普通の箱を渡された方が、却って興味を引かれることもないに違いない。
 いや…、市丸の大切なものとは何なのか、興味がないと言ったら嘘になるが。
 日番谷は松本が席を立ったのを見計らって、こっそり腰に下げた巾着袋から、もらった箱を出してみた。
 明るい日の光の中で見ると、細かい装飾がよく見えて、上等とまではいかないが、それなりによい物らしいことは、わかった。
 新品ではなく、古い物で、市丸がどれくらいの間持っていたものなのかは、わからない。
 突然何を考えてこんなものをくれたのかはわからないが、腹が立つほど市丸らしい贈り物だと思えた。
 開けてはいけない箱をもらっても仕方がないから、こんなものはいらないとよっぽど突き返したかったが、…市丸が、初めて自分にくれた贈り物なのだ。
 大切なものだと繰り返し言っていたし、現世の任務でしばらく会えないというあの晩に渡されて、返せるはずもない。
 持っていたら、開け方が気になる。中身も気になる。
 自分がいない間に自分を忘れられなくさせる、なんともうまい手を考えてくれたものだ。
 それに純粋に、贈り物なんて、予想もしていなかったアプローチだった。
 くれた相手が市丸だというだけで、こんなに嬉しくなってしまうことが、悔しい。
 市丸がどういう気持ちで自分のところに毎日やってくるのか、いつも全くわからなくて、どういう態度をとっていいのかも、全くわからなかった。
 熱烈な求愛にうっかりほだされて、とうとう身体を許してしまったら、未知の世界はあまりにも色々がショッキングすぎて、慌てて逃げた。
 これは絶対ダメだ、やめておいた方がいいと、理性がガンガン警報を鳴らし、その通りだと思うのに、市丸が来たら嬉しくて、一緒にいたくて、離れたくなくて、ズルズルきてしまっている。
 それでも行為だけは、背徳感もあったし、身体に無理もあったから、なんとかかんとか、拒むこともできてきた。
 それでもその後も押し流されたことが二回ほどあって、…会う度言葉を交わす度、時間や身体を重ねる度、どんどん離れられなくなってゆくのを感じて怖くなった。
 ブレーキをかけて見て見ぬフリをしなければ、市丸が自分に向けている興味などあっという間に追い抜く勢いで、市丸に全てを持っていかれそうだった。
 恋など初めてで駆け引きの方法も知らないし、気持ちの制御法も、さっぱりわからない。
 市丸のいいところなどひとつも思い浮かばず、惹かれる理由で説明できることは、ひとつだけ。――胸が熱くなるから。
 理論的な説明など、ひとつだってできないのだ。
 相談できるものなら、誰かに相談したい。
 それこそ、恋愛の達人、松本にでも。
 でもそれは絶対にできないし、沽券にかかわる。
 何しろ相手は男で、あの市丸だ。
 恥を晒した上、やめておけというアドバイスで終わるくらいがオチだ。
 そんなことは言われなくたって、わかっているのだ。
「…ちくしょう、……市丸…」
 からくり箱をじっと見ていたら、色々な思いが胸に込み上げてきて、思わず口からこぼれ落ちた名前に、思いがけず切ない響きがこもってしまった。
「うわあ!」
 それに自分で気がついて、とんでもない白昼夢から覚めたように、日番谷は悲鳴を上げて我に返った。
 激しい運動をした後みたいに、心臓がバクバクと脈打っている。
 慌てて箱を袋にしまって、日番谷は机に突っ伏した。
(あー…。しかも俺、なんか、とんでもない約束しちまったよなあ…)
 あの時は、ああ言うしかなかった。
 市丸はヤル気満々だったし、自分は流されかけていたし、しばらく会えないなんて思ったら、切なくなって、自分でも想いを留め切る自信がなかった。
 帰ってきてからならまだ安心して、冷静に対処できそうに思えた。
 それに、本当に一日でも早く市丸が無事帰ってきてくれたら、…行為がしたくて早く帰って来るのか、日番谷を想って早く帰ってくれるのか微妙なところではあるが、どんな理由にせよ嬉しい。
 …と、思ったのだ、あの時は。
(…やっぱりダメだ、あの散歩はマズい。なんつーか、妙にロマンチックとゆうか、ロクでもねえ気分ばっかり高まっちまって)
 特にあの夜は月なんか見せられて、隊舎の灯りなんか見せられて、後ろからしっかりと抱き締められて、しばらく顔が見られなくて淋しいなんて囁かれた。
 全て計算づくに違いなくて、そういうところは大嫌いなのだが、なんだろう、あれは、呪術でも使われているのだろうか。冷静な判断というものが、まるでできなくなってしまう。
 手を握られるのも、ダメだ。身を寄せ合うのも、ダメだ。二人きりの夜の散歩なんて、もう絶対、ダメだ。
 …それでも市丸が迎えに来たら、会わずにはいられない。
 就業中なら追い払う口実もあるが、市丸が来るのはいつも、見計らったかのようなタイミングで。
 そろそろ習慣になってきたから、なくなるとそれはそれで淋しく感じてしまうだろう。
(…クソ、いねえ時まで悩ませやがって、ムカつく)
 日番谷は突っ伏していた顔を上げると、気持ちを切り替えるために、外に出ることにした。
 


 隊舎を出てウロウロしていたら、檜佐木に声をかけられた。
「あっ、日番谷隊長じゃないですか。丁度いいや、これ、ウチの隊長から各隊隊長へのアンケートです」
「ああ?アンケート?精霊廷通信のか」
「そうッス。〆切来週なんで、よろしくお願いします」
「しょうがねえな」
 日番谷が渡された書類を受け取ると、檜佐木は周りをキョロキョロと見まわして、
「…今日はお一人ですか?乱菊さんは、一緒じゃないんですか?」
「そうそう一緒じゃねえよ」
「そうスか?いいですよね、日番谷隊長は、乱菊さんといつも一緒の部屋で仕事できて」
「仕事してんの、主に俺ひとりだぞ?」
「いや、俺はもうなんか、乱菊さんと一緒の部屋で仕事なんて、考えただけで胸がいっぱいです。あの人は、そこにいてくれるだけで、いいんですvv」
 そんなような内容のことはしょっちゅうあちこちから言われるが、そういうことを言う男と松本を二人一緒の部屋にしたら、仕事にならない上セクハラを助長するような気もする。
「ンなこと言ってるうちは、ダメだな」
 容赦なく言ってやると、檜佐木の眉が、ピクッと上がった。
 気に障ったのかと思ったら、
「そういえば日番谷隊長、三番隊の市丸隊長が最近よく十番隊に出没するって、本当ですか?」
 突然話が飛んだ上、あまり聞きたくない名前を聞いて、日番谷はドキリとした。
「えっ…まあ、時々な。毎回即座に追い返してるけどな」
 本当はしょっちゅう来ているのだが、その事実も少し恥ずかしくて、余分なことまで答えると、檜佐木は嬉しそうに日番谷の両手を取って、
「そうっスか!さすが日番谷隊長!頼りになりますねえ!あんな奴、どんどん撃退してやって下さいね!」
「ああ?」
「あいつ、ムカつくんですよねー!聞いて下さいよ、昨日俺が十二番隊に行ったら、丁度あいつと、乱菊さんがいて」
 突然何の話が始まるかと思ったら、どうやら檜佐木は市丸が足繁く十番隊へ通っているのは、松本目当てだと思っているらしかった。
 まあ、当たり前といえば、当たり前だが。
 檜佐木の話によると、十二番隊で檜佐木に気付いた市丸は、わざと松本を抱き寄せてその耳に唇を寄せ、何やら内緒話をしたらしい。
 その内容は他愛もない冗談だったらしく、松本は弾けるように笑い出し、市丸は更に二言三言、松本の耳元で囁きながら、いっそう身体を密着させたという。
「あれ、絶対ェ俺に当てつけてんスよ! 乱菊さん抱き寄せる前に、俺の方チラッと見て、意地クソ悪ィ顔で笑いましたもん!幼馴染だか何だか知らねえスけど、自分は特別だって、見せつけてンすよ!ムカつく!死ねばいいのに!」
「ま、まあ、落ち付け」
 よほど腹が立ったらしく、話しながらどんどんエキサイトしてきた檜佐木をなだめながらも、そういう話を聞くと、日番谷も心中穏やかではない。
 松本との関係が特別なのは知っているし、市丸の性格が悪いのも今更だが、冗談でもそんなことを、やっぱり軽くできてしまう男だったのだ。
「なんとかあいつをぎゃふんと言わせる手はねえスかね!特に、乱菊さんの前で、みっともねえツラ晒させるような手は!」
 ええっ、そこまで?と思ったが、男の嫉妬は恐ろしいのかもしれない。
 日番谷は軽く引きながらも、なだめるように、
「…いや、松本の前ではあいつ、けっこうヘタレだぞ?」
「そうなんスかっ!?」
「んー、なんというか、お互いへらず口で一本取ったり取られたり、みたいな感じで。市丸もガンガン言われまくってるぞ?」
 市丸が来たら追い返しているのも、主に日番谷よりも、松本だし。
 だがそれでも檜佐木は面白くないらしく、
「ああクソ、特別親しいってコトっすねー!ムカつく!」
 もはや何を言っても無駄かもしれない。
 日番谷が閉口して黙ると、檜佐木はやはり怒ったまま、
「でもあいつ、ほんっとうに、腹が立つほど、弱点ねえスよね!弱点てゆうか、大切なものがねえって感じ」
「大切なもの?」
 ここは黙って聞くだけにとどめようと思っていた日番谷は、意外な話の展開に、思わず聞き返した。
「大切なものに何かされるのが、一番効きますよ。でも、あいつに大切なものなんか、あるんスか?乱菊さん以外で」
 その言葉で、ドキッとした。
 市丸の大切なもの。
 確かに、市丸には似合わなさすぎる言葉だ。
 だが、あのからくり箱の中に、あると言っていなかったか?
 もともと開けるなと言われていたから、中に入っている大切なものとやらへの好奇心も、無意識に封じ込めていた。
 だが、そんなふうに言われると…
 ゴクリと唾を飲んで、日番谷は腰に下げた袋の中の箱に意識を向けた。
 絶対に見てはいけない、市丸の、大切なものとは?
「もう、全然思い付かねえスよね。キャラ的にも、ある程度恥かいても冗談で逃げれるし。何に対しても、執着心がねえとゆうか」
 執着心。
 確かに、市丸が何かに執着するさまなど、見たこともない。
 何かをとても大切にする様子も…、言われてみれば、松本を大切にしているらしいことを、なんとなく感じるくらいか。
「まあ…どっちにしろ、あんまり関わり合わないのが、一番じゃねえのか?」
 とても苦い気持ちになりながらも、全くの本心から、日番谷は言った。
「そうですけど。まあ、ぎゃふんと言わせるいいネタみつかったら、教えて下さい」
「やめとけよ。お前じゃ返り討ちに合うのがオチだから」
「日番谷隊長まで、そんなこと!」
 親切な忠告のつもりで言ったのだが、檜佐木は傷ついたように肩を落として去っていった。
 その哀れな後姿をタメ息をついて見送りながら、
(しかし、なに遊び半分であちこちに敵作ってんだよあいつ。バカじゃねえの?)
 似たような話は、あちこちで聞く。
 一体何をしたのか、先日は涅マユリが、あいつの名前を自分の前で出すなと、部下に物を投げつけながら怒り狂っている場面を目撃した。
 そんな話を聞くと、うっかり自分がゴメンナサイと謝りたい気分になってしまうところも、ちょっと憂鬱だった。
(イヤ、それよりも…)
 日番谷はそっと木の陰に隠れ、袋から箱を出してみた。
 開けてみたい。
 からくり箱を開けたいだけでなく、その中身を、市丸の大切なものを見てみたい。
 どちらかというと、開けるなと言われたものは開けない主義だが、時と場合にもよる。
 とはいえ、市丸のことだから、たっぷりと長い時間興味を引きつつ最終的に開けさせるために、わざと開けるなと言ったかもしれない。そもそも何を思って突然箱などくれたのかと考えると、中を見させるためではないのか。
 だがもしかしたら、日番谷を試しているのかもしれない。
 そういうことをやりそうな男だけに、ますます悩んでしまうが、
(…ま、中さえ見なけりゃ、開けてみるくらい、いいよな?)
 中を見たい、という理由よりも、箱を開けてみたい、いう理由の方が、自分の心に言い訳しやすい。
 とうとう本腰を入れて開けてみようとしたとたん、
「これは、兄が落としたのか」
「わっ!」
 突然声をかけられて、あやうく箱を取り落としそうになった。