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開けたらあかん−14
市丸は、香を炊きしめた桜色の紙をそっと手にとって香りを確認してから、ふわりと机の上に置いた。
背筋を伸ばしてゆるゆると墨をすり、これから書こうとする言葉を考える。
生まれて初めての恋文を、書こうとしていた。
勿論相手は、日番谷だ。
せっかくあげた箱は、怒り狂った日番谷が嵐のようにやってきて、朽木にやると言って持っていってしまった。
それは、それでよかった。
市丸は朽木の妻への想いも、妻の箱への想いも全く興味がなかったし、どうでもよかったのだが、 そうでもないとあの優しい子は、朽木に負い目をもってしまう。
そしてその箱を見る度に、日番谷は市丸と、朽木を思い出すことになるだろう。
市丸にとってそれはあの箱を手放すことより、よっぽど我慢できないことだった。
あの箱は開けられてしまったから、日番谷が持っているならともかく、もう市丸には価値はない。
というよりも、初めての夜に日番谷の寝顔が愛しくて、思わず寝息を閉じ込めたのは本当だが、そもそも市丸だって、あんな箱がそれほど密閉されているとは思っていないし、そういつまでも中身を保っているわけはなかろう。
それに本当に大切なのは日番谷本人で、箱じゃない。
でも一度断ったものを、きっかけもなく返しになどいけないだろう。
市丸に対する気使いや、遠慮もあるだろう。
市丸から朽木に渡す気はなかった。
市丸から、朽木に渡せと日番谷に言ってやる気もなかった。
日番谷がもう一度自分から気を変えて、勢いよく返してしまうのが一番いいと思った。
そしてその通りになったから、市丸は満足していたが、日番谷は淋しい思いをしているかもしれない。
口が裂けても淋しいとは言えない子だから、察してあげないといけないのだ。
市丸は墨を筆に含ませると、少し考えて、愛する冬獅郎へ、と書いた。
それからまた少し考えて、死ぬまであなたの市丸より、と書いた。
日本語的には少々間違っているが、言いたいことは伝わるだろう。
ことりと筆を置くと、隣に置いておいた道具箱の下の引き出しを、そうっと開ける。
さすがにもう贈れるものなど何も持っていなかったから、昨日半日かけて街で探してきたものだ。
それそのものは市丸にとってあまり価値のないものだったが、何か形のあるものを贈るという考えは、気に入っていた。
それに日番谷は市丸の大切なものだとか、箱の中身だとかを、気にしていたようだった。
だから、あのからくり箱の代わりになる何かを改めて贈り、そして箱の中には、形のあるものを入れておかないといけないのだと思った。
そういうことを気にする日番谷が可愛くて可愛くて、それに付き合うこともとても楽しく思えた。
墨が乾くと、市丸は紙を折りたたみ、揃いの紙で包んだ。
紙の表にも、冬獅郎へ、と書いておいた。
恋文用のその紙の、色も香りもとても気に入っていた。
(ええなあ、こういうの。なんや、ときめくわ)
すっかりご機嫌で引き出しに恋文を入れると、そっと閉める。
いつか、これを開く時。
日番谷は、市丸の気持ちを読み取ってくれるだろうか。
市丸の永遠の愛を、信じてくれるだろうか。
隊長の部屋には特別に、私室に風呂がついている。
激務の疲れを心身ともに癒すため、落ち着いてゆっくりと入れるようにと作られたそれは、快適な広さもあった。
もともとあまり長湯をする方でもなく、ぱっぱと身体を洗ってちょっと湯に浸かってホッとしたら、すぐに上がってしまうようなタイプだった日番谷は、そのためにわざわざ湯の準備をするのも面倒で、普段は隊舎の大浴場へ行くことが多かったが、その日はたまたま、本当にたまたま、自室の風呂にのんびりと浸かって、ぼんやりとしていた。
(なんだか、色々あったな…)
色々あって、市丸とも結局は今まで通り、元の鞘に収まった。
いや、今まで通り…よりも、ちょっぴりだけ、距離が縮まったかもしれない。
あれ以来今までよりも、ちょっぴりだけ、恋人同士の雰囲気が強くなった。
それはひとえに、日番谷が今までよりも、ちょっぴりだけ、市丸は自分の恋人なんだと、自分は市丸の恋人なんだと、自覚したことによる。
恋人同士なんだから、甘えてもいい。
日番谷がずっと欲しかった口実は、気付かなかっただけで、最初からすぐそこにあった。
だがその口実は、つまりは日番谷も市丸を好きなんだと認めないと使えないので、結局おおっぴらには使えないけれど、少し気は楽になった。
それに、その響きには、強烈に惹きつけられる、甘い誘惑があった。
市丸に対する気持ちも、単に市丸に惹きつけられる、ではなく、『恋人である市丸』に惹きつけられるのだと思った。
(…な、なに考えてンだろ、俺…)
そんなことを考えていたら、猛烈に恥ずかしくなってきて、思わずブクブクと顔を湯に沈めてしまう。
(せっかく今日は、市丸も来なかったし、ひとりでゆっくりできる時間ができたってのに…)
結局市丸のことを考えてしまうのでは、会っていなくたって、同じことだ。
これなら、どんなに邪魔くさくても、会っている方がずっといい…。
普通なら、『会えないと淋しい』『会いたい』とストレートにいけばいいところを、さんざん遠回りをしてようやくそれに近いところまで辿り着いた丁度その時だった。
何の前触れもなく、突然ガラリと風呂の戸が開けられて、
「こんばんは、日番谷はん〜!声を掛けたんやけど、お返事なかったものやから、勝手に入らせてもらいましたで〜」
「うわあ!!!」
突然現れただけでも驚くには十分なのに、市丸は風呂にまで入る気満々なのか、素っ裸だった。
「何考えてるんだ、いきなり人ン部屋の風呂に、ってゆうか、近寄るなーーー!!!」
声をかけたと言っているが、絶対にかけてはいないだろう。
それに、部屋の主が風呂に入っているとわかったら、出直してくるなり、出てくるのを待つなり、普通そうするものなのではないのか。
突然戸を開けるだけでも失礼なのに、了解を得る前に入ってくるなんて、非常識にもほどがある。
それとも恋人同士だったら、そこまでしてもいいことになってしまうのだろうか。
なってしまうのか??!!
パニックになりながらも、湯をぶっかけた上桶も投げつけて、その隙に急いで風呂場から飛び出した。
「うわっ、乱暴な子ぉやねえ。そこまで嫌がらんでもええやんか〜」
「やかましい、お前、不法侵入というか、痴漢というか、あ、有り得ねえだろう!」
突然風呂に入ってこられたこともショックだったが、市丸の素っ裸を見てしまったことも、ショッキングだった。
今まで情事の時でも、市丸は袴は脱いでも上の着物は前を開くだけで着たままだったので、彼の完全な裸を見るのは初めてだった。
同じ男同士で、裸を見たくらいで動揺するのもおかしな話だが、恥ずかしくて直視できないものは、どうしようもない。
「いつになったら、一緒にお風呂に入ってくれるん?」
「一生入らねえよ!」
「え〜〜〜」
突然裸で入って来はしたが、市丸はそこで襲ってくることが目的でもなかったらしく、ほなら、このままボクも入らせてもらいますね、などと言って、一人でそのまま風呂に入ったみたいだった。
(な、何考えてるんだ、あいつ?わ、わからねえ!)
混乱しながらも、市丸が出てくる前に、急いで身体を拭いて、着物を着た。
市丸もさほど時間をかけず、さっさと風呂から出てきた。
「あ〜、ええお湯やった」
「…なんでテメエ、そこで寝間着着てんだよ」
「え、お風呂からあがったら、着替えるやろ、普通」
「なんで着替え用意してんだって聞いてんだ、バカ!」
準備が良すぎて、これは完全に、狙っていたとしか思えない。
最初から市丸は、ここで風呂に入るなり、泊まってゆくなり、するつもりでやって来たのだ。
「いやな、今後突然いることもあるやろ思うて、丁度お泊りセットを持ってきてたんよ。早速役に立って良かったなあ」
ぬけぬけと言う市丸に、日番谷は目を吊り上げて、
「泊めねえぞ!帰れよ!」