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WHITE SNOW LOVE−9

 市丸がまた、なにやら物思いに耽る日が続いた。
 夜になるといそいそとベッドに潜り込んでくるし、日番谷の前ではいつも通りだが、ふと見るとひとりでぼんやりしていることが増えた。
 日番谷はそれを、きっと身体の欲求が満たされたから、自分やこの世界に対する興味が薄れたせいなのだと思った。
 きっとまた、元の生活に思いを馳せていたり、日番谷を傷つけないでそれを言い出す方法を考えたりしているのだろうと思った。
(チェッ…別に、いつ帰ってもいいって言ってんのに。また子供扱いか…)
 強がって心でそんな風に思ってみるが、いつ言い出されるかと思ったら苦しくて、できるだけ考えないようにした。
 いつにも増してポン太のところへ行く日番谷に、市丸は激しくヤキモチを焼いているようで、必ずついて来ては、ポン太を手なずけてゆく。
 日番谷はそれも面白くなくて、ポン太の家には市丸立入り禁止にしてやろうかと思ったが、その日も市丸は、日番谷について、ポン太の家にやってきた。
「なにやら最近、ポン太クンばっかり可愛がりすぎなんちゃう。ボクのことは、ちっとも可愛がってくれへんくせに」
 本気なのか冗談なのか、唇を尖らせて言う市丸は、どこかいつもと違うような気がして、日番谷は内心、ついに来るべき時がきたかと思っていた。
 ポン太を手なずかせようとしているのも、向こうの世界へ帰りたいからだと思っていた。
 ひとりでこっそり来ないだけ、まだマシだというところか。
 日番谷は厳しい顔をして、全てを受け入れようと思っていたが、
「お前、ついて来んなよ。たまには、ポン太とふたりにさせろ」
 つい、その時を少しでも先延ばしにしようとしてしまって、また自分に腹が立ってくる。
 本当は、帰りたいならそう言えよ、とか、荷物まとめるの手伝うぜ、とか、そんなことを言ってやりたいのに。
 だが、思った通り、やっぱり市丸は、いつもと様子が違った。
 真面目な顔をして、「そうもいかへん。今日はポン太とキミに、大事な話があんねん」と言ってきた。
「なんだよ」
 いつでも覚悟はできていると思っていたのに、本当に言われると、足が震えてしまいそうだった。
 それでも毅然と顔を上げて、負けるまいと市丸をまっすぐに見上げると、
「冬獅郎クン」
 市丸は日番谷の前に来て膝をつくと、日番谷の両手を、その大きな両手で握ってきた。
 そして、びっくりするほど真剣な顔で、じっと日番谷をみつめてから、
「ボクはずうっと、考えてた。キミと、一生一緒にいられる方法。ポン太クンも聞いて。冬獅郎クンも、真剣に聞いて。…サンタの掟はどうか知らへんけども、ボクはボクの神に誓うよって、…ボクと結婚してくれへん?」
「は?」
 全く予想もしていなかったことを言われて、日番谷はぽかんとしてしまった。
(けっ…こん?)
 向こうの世界に帰るという話ではなくて?
「ボクはここで一生キミと生きてゆきたい。元の世界になん、未練もない。サンタになれ言うなら、なる。ボクと結婚して?」
「お前…何言って…」
「ボクは真剣や」
 真剣だろう。
 あの夜、風呂を覗こうとしたとかなんとか、わけのわからないことを言っていた時と、同じような顔をしている。
 同じような顔で、同じようなわけのわからないことを言っている。
 市丸と、結婚。
 一瞬だけ、色んな未来の図が、日番谷の頭を巡っていった。
 本当にいつまでも、市丸とふたり、この雪山で暮らしてゆく未来。
 ふたりでサンタの仕事をして、年に4回そりに乗って下界に下り、夜空を駆け巡り、子供達にプレゼントを配って回る。
 ふたりで暮らすなら、もう一頭、トナカイを飼うこともできるかもしれない。ポン太の奥さんを。ポン太もひとりでなくしてやることができるかもしれない。
 小さいながらも、家族として、皆で楽しく幸せに暮らしていけるかもしれない…
 だがすぐにそんな幸せな夢は胸を過ぎ去って、日番谷は険しい顔になった。
 下界から来た人間がサンタになるということは、下界での暮らしを、全て捨てるということだ。
 一度サンタになったら、二度と人間には戻れないのだ。
 そうなったら、本当に雪山以外の景色など撮れなくなってしまう。
 そんな生活に、市丸が本当に耐えられるわけがない。
 遊び気分でしばらく滞在するのとは、根本的に、訳が違うのだ。
「お前、自分が何言ってるのか、わかってんのか!軽々しくサンタになるとか、一生ここで生きてゆくとか、言うな!そんな簡単なことじゃないって、何度も言ってるだろう!」
 だが市丸は、怯まなかった。
 まるで本当に覚悟を決めたみたいに、迷いのない揺るぎない目で日番谷を間近からみつめてくる。
「どこで生きてゆくことかて、簡単なことなんあらへんで。そないな覚悟くらい、できてるに決まっとるやんか。キミこそいつになったら、ボクのこと信用してくれるんや」
 珍しく市丸が、厳しい声で言った。
 日番谷の声に負けないくらい、その声は強く、重かった。
「俺と結婚なんかしたら、お前もう人間に戻れねえんだぞ。永遠みたいに長い時を、この雪山で生きていかないといけねえんだぞ!」
 それを聞くと市丸は、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「幸せやん。キミと二人でこの雪山で、永遠のように長い時間を生きてゆけるなん。ボクにはそれは、とっても幸せな未来に思えるで?」
 まるで日番谷が一瞬思い描いた同じ未来を、市丸も心に描いているみたいに。
 同じようにそれを幸せの形だと心の底から思っているみたいに言う市丸に、日番谷の心は、大きく揺らいだ。
 だからだろうか。市丸が続けて、静かに微笑みながら、「結婚、できるんや」と言うのを聞くと、日番谷は唇を噛み締めてためらうが、「できる」と答えてしまった。
「つまりは家族になるってことだ。それがどういうつながりでも、ここでは問わない。でもそれは、サンタの一族に加わるということだ。そうなったら、お前は色んな義務を負う。放棄することは許されない。この先俺のことが嫌いになって二度と顔を見たくないと思っても、俺が先に死んでお前がひとりになっちまっても、お前はサンタの宿命を背負って生きてゆかないといけねえんだぞ?」
「サンタの宿命なん知らんけども、望むところや」
「サンタの仕事もよくは知らねえくせに」
「覚悟があるてボクは言うたよ。サンタの宿命やろうが義務やろうが、キミと生きていくためなら何でもする覚悟があるゆうことや。何でもや」
 本当に…市丸がこのところ物思いに耽っていた内容が、ここを去ることではなく、ここで一生生きてゆくことだったとしたら?
 本当に、本気で日番谷と、ここで一生暮らす決意を固めていたのだとしたら?
 夢なんか見ちゃいけないと思うのに、とうとう日番谷は、深く息を吸って、
「わかった。じゃあ、次のクリスマスの夜に、一緒に仕事に行こう。お互い、もう一度真剣に考えて、それから決めても遅くねえ。ちょっと、来い」
 日番谷は家に戻ると、居間に置いてある棚から一冊の本を取ってくると、「それまでに、これ読んどけ」と言って、市丸に渡した。
「サンタとはどういうものなのか、書いてある。よく読んで、もう一度よく考えてみろ。それを読んで、よく考えて、お前が考えを変えても、俺はお前をバカにしないし、責めたりもしない。むしろ利口だと思うだろう」
 じゃあ俺は、もう少しポン太の世話してから、また戻るから。戻ったらもう少し本格的に、サンタの仕事を手伝ってもらうぞ、と言って、日番谷は市丸をそこに置いて、再びポン太の家に向かった。
 胸がドキドキしている。
 あれを読んだら、市丸は自分の考えがいかに甘かったかを知るだろう。
 そうして恐らくは、ほんの短い時間見た夢は、ただの夢となって消えるだろうと思った。
 それでも日番谷は、これから毎晩のように、それを夢として思い描くだろう。
 想像して楽しむくらいは、誰にも許されることだから。
 もしかしたら、サンタの仕事をしにクリスマスの夜に下界へ降りたら、市丸はそのままここに帰ることはないかもしれない。
 市丸が帰ってしまっても、そんな夢をくれた市丸に、感謝しようと日番谷は思った。
「待たせたな、ポン太。あいつ、またボケたこと言いやがって。笑っちまうな?」
 ポン太の餌の用意をし、ポン太の身体にブラシをかけてやりながら、日番谷はどうしても震えてしまう胸に、ぎゅっと唇を噛み締めたが、どうにもならなかった。
 ポン太の身体に抱き付いて、その暖かな身体に顔を埋めると、これまでおばあちゃんが亡くなった時以外、決して見せなかった涙が、次々と溢れて止まらなかった。



 受け取った古い本を手にして、市丸はその日暖炉の前で、それを熟読した。
 サンタの歴史。サンタの掟。サンタの仕事。
 確かにしかつめらしい文章で厳しいことが書いてはあったが、市丸にはそれほどの内容には思えなかった。
 日番谷は真面目でバカ正直だから、こんなものをそんなに重く受け止めてしまうのだと思った。
 日番谷を困らせたり、苦しめることはするつもりはないが、逆にその掟が日番谷を苦しめるのであれば、こんなものに囚われる必要は何もないのに。
 何事も、やりようによって、考えようによってどうとでもなるし、どんな形でも、生きていきようはある。
 本当に守りたいもの、手に入れたいものを、こんなもののために見失ってはいけない。
 それに、これが掟なら、思っていたより自由で、抜け道はたくさんあるとも思った。
 サンタになっても、写真を撮り続け、それを下界で売ることさえ、禁止されているわけではない。
 短期間なら下界に下りて、デートなり写真を撮りに行ったりしても、なんら問題ではない。
 日番谷に、ここにももっと自由で広い世界が開けていることを、教えてやれる。
 市丸は本を閉じ、揺り椅子に体重をかけて身体を伸ばし、ふうっと息を吐いた。
 日番谷は、もう一度よく考えろとは言ったが、市丸と結婚なんて嫌だとは言わなかった。
 それは日番谷の答えなのだと思うと、溢れるほどの喜びが胸に湧き上がる。
 目を閉じたら色んな思い出が甦ってきて、これから日番谷のためにその全てを捨てるのだと思ったら、改めて不思議な感慨が生まれた。
 日番谷に追い出されないために嘘をついたが、本当はこの山にも大学の仲間と来ていたし、放任主義の親も健在だ。
 山でいなくなったから、遭難していると思って、大規模な捜索隊などが出て、大変なことになっているかもしれない。
 それでも遺体が発見されたわけでもないし、そう簡単には死亡届も出されないだろうから、そのうち折を見てきちんとさせておくことは必要かもしれない。
 こんな話をしても、きっと誰も信用しないだろう。
 信じてくれたとしても、きっと皆口を揃えて、日番谷と同じことを言うのだろう。
 市丸自身、他の何より愛を優先させるような日が自分にくることなんか、想像もできなかった。
 だが、それほど自分を変えた運命の出会いを、そんな価値判断ができるようになった今の自分を、市丸はとても、とても嬉しく思った。